10月26日(金) 津和野の覚皇山永明寺を観る。

津和野の覚皇山永明寺を観る。


石見における曹洞宗の古刹で、坊さんの修行寺でもあったらしい。


坂の入り口から寺特有の深閑とした雰囲気に包まれ、雨脚も強くなり、沙羅の木や太鼓谷稲成神社に多くいた賑わしい子連れの観光客や、ぞろぞろ歩くツアーの団体客は誰一人見なくなり、まるで時を違えたような錯覚に陥るほどだ。


紅葉の名所らしく、墓所はわずかに染まるだけの輝かしいもみじの緑の裏葉に覆われて、墓石は苔むし、雨は垂れ、音はあるも静けさに沈みきっている。


坂崎出羽守の墓と森鴎外の墓がある。千姫事件を知らないので坂崎出羽守はわからず。津和野に来た目的の一つは、森鴎外に関する史跡を観ることなので、その墓を観る。


三鷹ともう一つの墓がここだ。散骨され、遺言通り石見人として眠っている。墓を観て、一体何になるのだろうか。神社で合格や何かしらを祈願するように、肖りたいのだろう。この世俗的で紛れもない文豪は、芸術家というよりも学者らしく、子供に西洋の名前を名付けるというあまりにも新進的な行為をしたり、舞姫で描かれている通り感情よりも理知と損得で動くところから、故郷を離れて津和野に戻らないあたりも合理的で、いざ死ぬ間際になって故郷に帰りたくなった都合の良い人間……、などと思ったこともあったが、おそらく心の内ではいつまでも故郷の憧憬が残っていたのだろう。舞姫と同じように、育ててもらった義務と責任に生きるしかなく、後ろ髪を引かれるような懐郷があったのかもしれない。


ひっそりと歩き、境内に入ると、寂れている。風が吹き付けて、雨音が心に点く。傘をたたみ、先へ歩くと、坊さんが拝観料を待っている。ひとり静かに、まわりに何匹もの蚊を浮遊させて。刺されないのだろうか。


陰翳があらゆる場所に生息していて、分厚い茅葺きからは雫がいくつも垂れて、見上げると、太陽は出ていないのに苔か植物の緑が光に透けている。障子はすべて開かれ、湿った風は吹き抜ける。音を鳴らし、沈む廊下や畳に足と心を沈み込ませながら、部屋部屋を幽霊のように廻る。かろうじて生きながらえているかのようなたたずまいには、命を刷毛で奪われていくようにかすれた絵があり、それは人々の記憶から忘れ去られて消えていくように思える。達磨だけがいやに生きている。


縁側に胡座をかき、禅庭を眺める。時間に追われてばかりの観光のなかで、ここでもさすがにおわれるも、違った追われ方で冷たい板に尻をつける。ここは寂れているだけであって、忘れられているわけではない。庭の造りと手入れは届いており、橋の下で宿っている鯉がじっと息をしている。


雨の降り始めの早さは恨めしかったが、雨がなければこれほどまでに足取り重く、能楽のような観念や怨念の亡霊として幽玄を気どるような面持ちで寺をうろうろ徘徊し、呆けたまま庭を観ることもなかっただろうに。


拝観料を受け取った坊さんをうろつく微小な蚊は、鬼火の燈芯だろうか、夕刻になれば無念を集め、静かに火がでて揺れるだろうか。


しかし時間は揺れに揺れても、ふと見た時計の針は感覚通りの時間を差さなくても、歩みは一定でしかない。そろそろ行こう。


ありがとうございましたと坊さんが言う。雨脚は強い風がそう教えるように、弱くなっている。長い雨ではなく、一時だけの俄な感情的な降りかもしれない。

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