9月27日(木) 広島市中区加古町にあるJMSアステールプラザ大ホールで「エストニア国立男声合唱団」を聴いた。

JMSアステールプラザ大ホールで、エストニア国立男声合唱団を聴いた。


指揮:ミック・ウレオヤ

チェロ:アーレ・タメサル

フルート・高市紀子

賛助出演・フラウエンコール広島


メンデルスゾーン:レスポンソリウムと讃歌「晩課の歌」

ラフマニノフ:徹夜祷より

松下耕:Gloria-男声合唱のための“Cantate Domino”より

ボナート:大いなるしるし

トルミス:牧童の呼び声 三つの美しい言葉 古代の海の歌 サンポの鋳造 雷鳴への祈り


研ぎ澄まされた声は、機械とも思えるほど精確で明確な楽器としてあり、どの曲でも荘重な調べを携えている。


どれも曖昧なく表現されていて、濁りのない色を常にイメージさせられる。マーク・ロスコの絵画のようにぼやけながらも、定まった輪郭がある。そんなイメージを何枚も見比べられ、重ねられて、美しい重唱による調和は粛然とさせる時もあれば、荒々しい大地に掴まれるのもあり、森の鳴き声に清々とすることもある。多彩な映像は、腹から生み出される空気の流れにのせられた声により、常に広大な風を感じる。生きた、躍動する風を常に受け続ける。


ボナートとトルミスの曲がとにかく良かった。


ボナートの曲は、舞台中央でチェロが演奏され、舞台を降りて客席の最前列の両翼に並んだ合唱団は、二階席にいた自分に、決して音響機材からは得られない効果を与えた。人々のおしゃべりさえ表現の一つとして、珍奇な唱法が飛び交い、スタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」を体験するような気分を味わった。


トルミスの曲は、エストニアの自然生活が息づいた詩と共に歌われ、民謡らしい素朴で胸をときめかせるメロディーに、情感は常に最大限に高揚させられて、まったく休まることなく、このままいつまでもエストニアを歌い続けて欲しいと思わせた。


特に古代の海の歌は、自分に深い感銘と記憶の掘り起こしを促し、荒れたバルト海の暗い海岸を必死に自転車を漕いだ記憶を土台にして、詩の情景が胸から膨れ上がり、沸き立ちが止まらなかった。


詩を抜粋すると、


昔俺には三人の兄弟がいた

ひとりは牧草地に

二人目は木の実の畑に

三人目は海へ魚を捕りに行った

牧草地からは帰ってきた

木の実の畑からは帰ってきた

漁からは誰も帰ってこなかった

水は兄を連れ去った

水は彼を連れ去って、風は彼を投げ捨てた

高い海岸は彼を見失った

一月というもの、俺は兄の外套のために泣いた

一日中、俺は兄の花輪のために泣いた

そして一生涯、俺は兄のために泣いた


これが物悲しい調子で、感情が停止したように、嘆きながら同じメロディーで歌われ、痛ましさにどうにもならなくなってしまい、たまらなかった。陽気な性質の人に暗い曲調を好む傾向があるように、軟弱な気質の人間は、豪胆な物語を好むことがある。相反する性質に惹かれることがあり、本当は都会が好きなくせに、こういう素朴な生活に惹かれてしまう。実際にそこへ行けば、とても馴染めないことを知っているくせに。


声という楽器の表現がいかに多彩であるかを知った。そして言葉を伝える楽器として、特別な効果を音に含ませて、情感を刺激してやまないことを痛感させられる。


こういうコンサートは本当に価値がある。客席は人で溢れていたから良かったけれど、これが空いていたら悲しくなる。


有名でとっつきやすい曲じゃなかったから良かった。ボナートとトルミス、この二人の作曲家を聴けたことに、どれほどの価値があるだろうか。

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