8月30日(木) 広島市中区幟町にあるエリザベト音楽大学セシリアホールで「フライブルグ大聖堂少年合唱団ジャパンツアー」を聴く。

エリザベト音楽大学セシリアホールで、フライブルグ大聖堂少年合唱団ジャパンツアーを聴きに行った。


・グレゴリオ聖歌“主に新しき歌を歌え”

・リヒャルト・ルードルフ・クライン:ミサ曲

・ヨハン・セバスティアン・バッハ:トッカータとフーガニ短調

・ガブリエル・フォーレ:ジーン・ラシーヌの歌

・ライムンド・ヘス:美しきドイツのメロディー“ところ変われば、娘も変わる”より

等など


グレゴリオ聖歌を歌いながら、少年合唱団は舞台袖から登場して整列していく。少年と冠がついているが、まず現れたのは青年達で、白髪交じりの壮年も混じっており、彼らが整列してから、線が細く、足の長い、落ち着きのない少年達が前列に登場する。


パラジャーノフの映画で聴いた荘厳な声楽を味わいたくて来たが、その望みは冒頭から満たされていく。同じものを聴けたとは言わないが、神を讃える合唱はイコンを想起させる音階で各声部が追いかけ、交わり、澄み切った美しさに満ちていた。声楽はまったく聴き慣れていないが、オーケストラを聴くのと同じように、各パートの味わいを少しは感じられる。


フォーレや現代の作曲家の曲もあり、パイプオルガンによるバッハの演奏もあり、宗教的巨大さから、情感豊かな雰囲気や、民謡風の快活で叙情溢れるものまで、バラエティに楽しめるコンサートだった。


しかしもっとも面白かったのは、合唱団のメンバーで、金髪で色の白い、森で育ったゲルマン系らしき風貌のかわいい子供たちが、落ち着かず、指揮者を見ながらも、幾度も観客席を観て歌う子が少なからずいて、彼らにとって観客席の日本人は興味深いのだろうと思いつつも、ふと、今自分が見ている視点こそが、そっくりそのまま彼らの視点なのかもしれないと思ったりした。


パイプオルガンの演奏の時、合唱団のメンバーはその場に座って待つこととなり、階段部分に腰掛けて、待つ子供たちは落ち着かず、頭を深く下げて、両手で抱えて、まるで悩みに襲われて悶ているような子もいれば、両手をあごにあてて天使の気取りを装うような無邪気にきょろきょろする子もいて、日本の子供達よりも、彼らははるかに好奇心があり、エネルギーに溢れているさまが見て取れた。


合唱も良く、歌う彼らもとても楽しめた。観客が少なかったから、もっと聴きに来る人が多ければ、彼らも嬉しかっただろうに。他の街でのコンサートでも、青年達は落ち着いて、少年達は興味につられて、歌い、楽しみ、思い出深いツアーになってくれればと思う。

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