8月23日(木) 広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーパラジャーノフ監督の「アシク・ケリブ」を観た。
映像文化ライブラリーでパラジャーノフ監督の「アシク・ケリブ」を観た。
絢爛華美な衣装と映像は前二作と変わらない。アルメニア、グルジスタンの後に、今回はアゼルバイジャンの文化が映されて、南コーカサスの主要三カ国は残さず舞台とされた。
眉間も渡る濃い眉毛の女性は、まるでインドの絵図に見る女性のようだが、インドの女性の眉毛はつながっていない。
度外れに着飾られる衣装と同じく、登場する人物の相貌も髭に覆われ、表情の変化と動作の激しさも、同じ要素が通底している。
強い風に木々や絨毯は揺れ、煙は揺蕩い、馬はジョン・フォードのように疾駆する。これも変わらない。
前作と前々作に比べると、結末は親しみやすく、物語もわかりやすい。諧謔の要素も差し込まれている。
すこし物足りなさを感じるのは、この監督の作品にわずかに慣れたからか、映画を観ることにすこし倦んでいるからか、「ざくろの色」を超えるほどの衝撃ではないからだろうか。
風の強い時に、木々が揺れているのを見てパラジャーノフの表現を自分の目に置き換える。扇風機の風にひらひらする紙を見て同様のことをする。信号待ちで静かに立っている時に映像のリズムを自分の時間に流す。
激しさと静けさと、飄々とした空漠感が日常生活に巣食っている。誰かと話している時は感じずも、エレベーターに乗った時や、誰もいない空間に置かれた時に、背後霊がささやき始めるように、映像によって取り憑かれた感覚が姿を現す。悪くはないが、いささか憂鬱になる。
光と影、自然と人工美、当たり前に美しいと思う現象を、ズームアップするように増幅させて映像にさせるパラジャーノフ監督の作品を観れば、難しいことをしているのではなく、鋭敏な美的感覚が、いかに自然な審美眼を土台に発展させていることがわかる。
ふと思うのは、日本の古典芸能の衣装や所作は、いかに優れて美しいかということだ。
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