8月10日(金) 広島市中区加古町にあるJMSアステールプラザで朗読劇「アフターヒロシマ」を観る。

朗読劇「アフターヒロシマ」を観た。


これは「ヒロシマの孫たち」を観たロンドンの人々が、原爆後の核に関連した人々にインタビューして作り上げた姉妹作品だ。


海洋核実験に参加した海軍兵や、フィリピンの日本軍の捕虜収容所にいた人や、原爆投下4か月後に広島を訪れたイギリス兵や、広島で核について研究するアメリカ人や、イギリスの平和運動に参加した人々などの証言を元に作られた朗読劇ではあるが、演劇要素も多く含まれているので、眠気を我慢してぼんやり観て聴くような心配など吹き飛び、眠気など一切感じずに集中させる質の高い演出だった。


「ヒロシマの孫たち」と違い、この劇の背景知識を詳しく知っておらず、初めて知る内容が多かった。第5福竜丸の被爆は知っているが、日本の敵としていた兵士の一人が、原爆が開発されたことによって、強力な日本軍に対しての対抗措置として期待された兵器がようやく生まれたと述べるところなどは、被害者としての日本ではなく、どれだけ日本が東南アジア諸国で暴虐を振るっていたかを思い知らされるところだ。日本軍の捕虜収容所にいた人が、精神を病んだ話なども、核爆弾投下を容認することに、小さくはあるが、一つの理由として浮かびあがっていた。まるで、戦時中に日本軍がしてきた非道の代償として、一つの爆弾に集約されてしまったような意味合いにもとれる。


「ヒロシマの孫たち」に比べると、群像性が強く、どの場面が語られているのか注意していなければ取り残されることもあった。被爆による悲劇ではなく、核そのものの存在と平和について考察されるこの朗読劇は、多角的な視点が要する。より複雑で、より考える機会を与える作品だ。


イギリスという国に核はどれだけ関連があるのだろうか。この朗読劇を観るまで考えたことなど当然ない。しかし、第一次世界大戦、第二次世界大戦と経験してきたヨーロッパの国の一つとして、戦争の絶えなかったヨーロッパの国として、核に対して何もないわけではない。強国として、核の驚異は日本と違った位置で感じているのだ。

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