7月4日(水) 広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーでペドロ・コスタ監督の「ホース・マネー」を観る。

待ちに待ったEUフィルムデーズ2018が始まると思ったら、今月の1日にすでに上映されていて、ラトビアとエストニアの映画を逃した。ラム酒を飲んでだらだらした昼間が悔やまれる。


映像文化ライブラリーでポルトガル映画、ペドロ・コスタ監督の「ホース・マネー」を観た。


昨日の睡眠の質が良くなかったのか、非常に眠く、映画冒頭からうとうとした。簡単に惹きつけてくれる映画内容なら目を覚ましていたかもしれないが、この映画は決してそんな優しさはなく、音の少ない、動きの少ない、ぼそぼそした、脈絡をつかめない、今までに経験したことのない表現によって正直退屈を感じてしまい、集中力など保てなかった。


ソクーロフが頭によぎった。そんな華美ではない。淡々と、的確に意図された映像が場面を変えていく。観ていて辛くなる神経を苛むような効果で、独房や監獄よりも、追い詰められた精神の檻の中で、刃の悪い、極端に細い鉋で神経を下手にすり減らしていくような気分で、正直、早く終わってくれと思った。


しかし、こういう内容だからこそ自分の心を捉える。謎があればこそそれに近づこうとするように、わからないからこそ、悔しさと好奇心によって魅了されるのだ。


映画が終わって、この内容を調べた。”ひとりの男の人生の終焉に際し、個人および集団としての移民の記憶が交錯する”。


なるほどと腑に落ちた。なんて表現の独創性だろうか。決して万人受けしない。観ていて、暗い墓場を、鮮やかな走馬灯ではなく、人生の苦難が時間の経過で美化されるのではなく、鋭く研磨されてしまい、再び自己に突きつけられるようだ。


死ぬ前の安らかさではない。死ぬ前の本当の悲劇が降り掛かってくるようだ。


最近観たアメリカ映画のように健康的ではない。しかし、メタファーのようにとれる記憶の断片だけでコラージュされたような構成は、主人公の出自に端を発した国の歴史と社会の実情が、どのように彼らを形成していたかをどぎつく振りまいている。

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