3月 広島市中区加古町にあるJMSアステールプラザで演劇引力廣島第十五回プロデュース公演「昼下がりの思春期たちは漂う狼のようだ」を観た。

 先月、演劇引力廣島第十五回プロデュース公演「昼下がりの思春期たちは漂う狼のようだ」作・演出:蓬莱竜太を観に行った。これは蓬莱さんによる広島での三年計画の最後の劇で、一年目「五十嵐伝」、二年目「広島ジャンゴ」(チラシは何度も見ていたが行くことはなかった。劇に興味を持っていなかったのが悔やまれる)に続くものだ。まだ数えるくらいしか劇は観たことないが、足を運ぶたびに素直に楽しめており、今回も有名な人による作・演出なので期待していたら、強烈な効果によって心の底から揺さぶられた。映画や劇団四季などの舞台でもおおいに感動できるが、役者との距離が近い舞台では魂の働きを感知できて、六十%以上の水で組成された生物同士だからこそ波及される情動の振動を直に感じるようで、心底からの演技による叫び、涙などの感情の発露はたやすく自分にも同調を催す。


 素晴らしい物語は観る者に続きを想起させる。映画、小説、どれも同じだ。今回の劇も、二十七人のキャストによるF中学校「3のA」の一年間におよぶ群像劇は、演じられた各生徒の描き分けられた個性に愛着を持たされ、将来の夢にしろ、部活にしろ、趣味にしろ、特別な家庭事情にしろ、迫ってくる現実を大人同様に一個人として向き合い、経験の乏しい中学生だからこその不器用さで、もみくちゃになりながら、新体験として人生を学んで成長していく。だが、過去の自分も同じ時期があったにしても、人生に向き合う姿勢は中学生も、中年も変わらない。中学生なら中学生らしい人生からの課題があるように、中年には中年にうってつけの運命からの翻弄があり、少しばかり人生経験が豊かになったからとしても、がむしゃらに挑む態度はほとんど変わらない。それは生きる本人の姿勢こそが人生の向き合い方を決めるのであり、年齢がいくつ離れていようと人生に対して進歩的な態度で臨むものは若者であり、十代であっても変え続けようと現実に対峙していないものは、いわゆる後ろ向きな老人なのだ。


 そんなことを感じながら、素晴らしい劇にふけっていた。他の人にもぜひおすすめしたいと思ったが、この日が最終日となっていた。三年計画すべてに参加した役者もいれば、一年だけ参加の人もいるけれど、一つのクラスとして時間を共有したつながりは舞台上に表れていた。安易な言葉でいえば、まるで自分もクラスメートの一人として、そのクラスを体験していたと感じた観客は自分以外にもいたことだろう。若い役者たちはまさに中学のクラスメートであり、演劇に夢を持つ者にしろ、そうでないにしろ、俳優は一人残らず未来を信じて努力しているので、素直に、それぞれの舞台で本当に頑張って欲しいと思わずにはいられず、また自分も、自分の世界で頑張ろうと思わずはいられなかった。

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