11月 広島市中区吉島町にある広島刑務所の「第40回中国地区矯正展」に行った。

 先週の日曜日に吉島にある広島刑務所のイベント、第40回中国地区矯正展へ行ってきた。別に刑務所に対して何らかの思い入れがあるわけではなく、葛飾区の金町浄水場で施設見学があればふと一人で行ってしまうくらいの気持ちだ。どうせあまり人はいないだろうと思いつつも、たまたま午前の施設見学の受付が開始される時間に現地に着いてみると、見学を希望する人々が列を作り、中に入るまでに三十分近く待つことになった。江田島の旧海軍兵学校の見学でさえこんなに人は並んでいなかったのに……、とはいえ、いつでも見学できる施設ではないのでこれだけの人がいてもおかしくないか、しかしどうして関心を持った人がこんなにいるのだと、訝しく思わずにはいられなかった。


 施設見学は想像していたものとは違った。おそらく自分だけではなく一定数の人が抱く先入観があって、湿気と冷たさを含んだいくらブラシでこすっても落ちない積年の汚れに覆われた壁面の上部は煤けていて、古い病棟のような廊下に裸電球のじりじりする音が響き、顔に傷のある眼光鋭い刑務官が後ろ手に足をこれ以上なく大げさに広げて直立し、まるで電柱のように至る所に立ち、時折怒号が響く、いわば昭和の軍隊生活の遺風で満たされた時代錯誤の空間、といえば大袈裟だが、その要素を含んだ物がどこかしらにあると思ったものの、ほとんど見つけることはできなかった。


 印象としては学校だ。建物はいつ建てられたのだろうか、新しい臭いでも残る殺風景な施設で、自動車免許の合宿に行った浜松の教習場のほうが数段も自分の先入観に一致する場所で、教官の対応も、彼らの好んだ言葉でいえば“やんちゃ”な人間に対する高圧的、かつ幾分親しみと人情の含んだ断定的な物言いが多かったから、旅行から帰ってきたばかりに合宿へ行ったものだから、旅行の続きのように異邦人の視点で過ごすことができたのを思い出す。


 施設に入ってまず見学したのは風呂場だ。冬場は週に二回、夏場はたしか週に三回だったか、決められた時間に一定数の人間が同時に風呂に入る。非常に清潔な浴槽で、規則的に並んだ脱衣スペースとシャワーヘッドにはこの施設で活動する人間に与えられる最も重要な義務であろう規則正しさが表れていて、ステンレス色(どんな素材かはわからなかった)の風呂釜はあまり深くなく、見学者に湯船への誘惑を掻き立てる波紋を起こしていて、清潔さが際立っていた。風呂は年配者というより、昭和の記憶に結びつきやすい印象があり、例えば東京のドヤ街として有名な山谷の宿に泊まった時、そこは日雇い労働者と外国人旅行者が一緒に泊まるという行き交うことを誰も想像できないであろう和洋折衷な居住空間で、酒やけした顔に禿げ上がた頭の中年がカップラーメンを食べるのに、他の日雇い労働者が罵声を浴びせかけ、「うるせぇ、どうせいいんだよ」と、どんな内容でそんなやりとりになったのかわからないが、悪い言葉を使えば、どん底にいる人間模様を描いたありがちな場面を実際に目の当たりにして非常に興味深く思った場所で、そこは一泊千五百円という値段でありながら、立派な風呂がついていて、世界中探しても安宿で立派な風呂が存在するのは、特別な生活をしなければならない宿泊客の生活を考慮した宿の人の気配りが伝統として残っている日本のこういう場所であり、共同のシンクやトイレは汚れていても、こういう場所の風呂は常に一切手抜きせず清潔に保たれている。浜松の合宿場の風呂も同様の意識の表れがあった。要するに、規律を重んじるところには清潔な風呂があるという短絡的な結論に至ってしまう。整理整頓、清潔、それは自己を統制できる規律……。


 次に観たのは体育館、ここではどのような罪を犯した受刑者に、どのような更生(矯正?)プラグラムが適応されるのか展示されており、短時間の見学で内容を把握するにはあまりにも細分化されていて、ほぼすべての見学者が内容を詳しく理解できず、まるで世界的に有名で巨大な美術館に集まる観光客の関心と同じくらいに展示物は素通りされていた。ただ受刑者でバレーボールをしている写真があり、皆カープのユニフォームを着用して競技に励んでおり、それは実際にカープの選手が送った本物のユニフォームだそうだ。それらには子連れの家族も親しみを持って写真を眺めていた。体育館の出口付近に、刑地巡礼スタンプラリーのスタンプ台が置かれていて、施設見学の受付に並ぶのと同じ量の人々で列を作っていた。


 あとは船舶の部品加工作業、製本作業の現場を見学した。これらも細部を事細かに説明すれば様々な物語が浮かび上がってくるだろう。とにかく、作業台に置かれた帽子が印象的だった。


 施設見学は数十分で終わり、施設の外にある各刑務所で作られた物を見学した。監獄パン、網走監獄和牛、尾道刑務所の下駄等、各刑務所の地域に根ざした工芸品が手頃な価格で売られていた。目玉はタンスなどの調度品で、そういった物を購入する機会が今までないので相場というのがわからないので、はたして高いのか安いのか判断できないけれど、桐箪笥や杉材の引き出しなど、一軒家があれば購入したくなるような悪くない出来のものがあり、売約済みの紙が貼られている商品がいくつもあったからこれを目当てにくる人が多いのだろう。


 自分は山口刑務所で売られていた萩焼のぐい呑みを390円で購入した。倉敷、唐津、伊万里と今年は器にゆかりのある土地へ行き、それぞれのぐい呑を買い、ちょっとしたコレクションにしているので、来年は萩に行き、信楽へ行きと、考えていたので、ついつい値段の安さと自分の好みの色に、萩焼らしい色ではないが衝動買いしてしまった。長年腕を磨いてきた作家さんの気品のある作品を鑑賞するのはもちろん素晴らしいことだが、唐津で買ったぐい呑に自分なりの思い入れがあるように、泥臭く不細工でも良いから作り手の人間が滲み出ている作品を欲しくなる。もともと素人の受刑者が作ったぐい呑は、たしかに優れた作品ではないかもしれない。手触りはすべすべしすぎていて、ガラス質の被膜が厚い気もして自分の好みの肌触りよりも軽いが、きちんと、誠実に向き合っている印象は受ける。それは受刑者が自分の過去への悔恨から萌芽した真っ直ぐな意志、すべてを忘れて集中して作業をすることはないだろうが、ひたむきに向き合える物に集中しながら、本人には意識できない内奥の葛藤を指と手を介在して、社会更生、いわば新しい人生の再構築に向けて努力している姿が、あまりにも端正に作りすぎた姿に滲み出ているのだと思ってしまう。


 こんなのはもちろんわからない。実際は教官にやれと言われて面倒くさそうに作っただけの代物かもしれない。ただ、こういう作品を見て、想像することは自分にどれだけの楽しみを生み出すことだろう。なんで矯正展へ行ったか、それは罪を犯した人のいる場所を、そのかけらを少しでも知ってみたかったからに違いない。

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