少女社長と殺し屋

三角海域

1

 部屋は無機質な方がいい。思考に雑念が入らず、それでいて気付きを促すような部屋が一番だ。そんな風に仙道紗花は思う。

 座っていても疲れが出にくい椅子に腰かけて、ほどよく聞き心地のいい音楽を聞いて、更けていく夜を楽しむ。

 そんな、心地よい時間が、もう何時間も奪われている。

「ですから、こちらとしては協会に迷惑をかけているとは思っておりません」

「データが嘘をつくとでも?」

 こればっかりだ。データは目的に応じて集めるからこそ意味がある。今問題にしているのはそれではないだろう。出直せと言いたくなるが、そうもいかず、紗花の心は飲み込んだ言葉であふれかえり、胸やけを感じていた。

「それは業界全体でのことでしょう。我々は協会の定めたルールの上で運営をしています。表の方もおろそかにせず、裏のほうでも功績をあげているつもりです。それこそ、そちらに送っているデータに残っているものと思いますが」

「君だけの問題ではないのだ。これは業界全体の問題だ。だからこそ、我関せずではなく、まずは改善できる部分を探すべきではないかな?」

 おとなしく話を聞いてくれるから私に言ってくるだけだろう。こうして、またひとつ吐き出されなかった言葉がたまっていく。胸やけがひどすぎて吐いてしまいそうだと紗花は思う。

「我々も考えてはいます。協会の定めるルールからはみ出した連中を処理することを優先していますし、それによりかかる費用は協会に申請せずにこちらでなんとかやりくりをしています」

「うむ」

 何がうむだ。また言葉が一つ胸に落ちる。

「ともかくだ。私たちは殺し屋ではあるが、それは必要悪としての役割であって、利益至上主義の悪辣な仕事は認められない。わかるね?」

「心得ています」

「仙道君。我々は君のお父様の代をよく知っている。君のお父様は立派な人だった。君もその志を守り、我々に協力してほしい」

「もちろんです」

 事あるごとに父の名を出してくるのも、紗花にとっては不快だった。父は立派であったが、それを他人から自慢げに語られるのは気持ちの良いものではない。

「では、よろしく頼むよ。いい報告を期待している」

 通話が切れると、紗花は大きなため息をひとつ吐き出す。それで少しは胸のつっかえが取れたように思える。

「立派でしたよ」

 控えていた紗花の秘書、高倉が声をかける。

「めんどくさいことこの上ないよ。裏世界にもこんな政治みたいなやり取りがあるんなら、継ぐんじゃなかったこんな仕事」

 椅子をリクライニングさせ、天井をあおぎながら愚痴をこぼすと、高倉は紗花の横に座り、笑った。

「紗花ちゃんの代わりなんていないわよ」

「仕事はするから代わりに表に立ってくれる影武者を選べばよかったって後悔してるよ。高倉さんみたいにセクシーでさ、仕事もできる人だったらイメージもいいじゃない」

「無理よ。だって、和彦さんに娘がいることも、その年齢もこの業界じゃみんな知ってるから」

「プライバシーの問題ー」

 駄々っ子のように紗花は言う。高倉の前では、本当の自分が出せると紗花は自覚している。それを高倉もわかっているから、この瞬間だけは秘書でも護衛でもなく、ひとりの友人として紗花と付き合うのだった。

「和彦さんは特別だから」

「それって、高倉さんにとっても同じ?」

 紗花は少し真面目なトーンで訊く。

「ええ。でも、紗花ちゃんのことも大切よ?」

 和彦が亡くなってからそれなりに時間が過ぎた。だが、良い意味でも悪い意味でも、仙道和彦は伝説になりすぎた。それは呪いのようなものだと紗花は思うことがある。

 みなが自分は優秀だと言ってくれる。だが、紗花がいつも考えるのは、父の存在を抜きにしてもそう言ってくれるのかという疑問や、父と比べたら自分は劣るという劣等感だった。

「ほら、明日も学校でしょう? もう寝た方がいいわ」

「やること多すぎだよ」

「でもやるんでしょ?」

「うん」

 椅子を起こし、紗花は立ち上がる。

「そう決めたからね」



 ※



 世の中には、様々な悪がある。

 大きいもの、小さいもの。数えればきりがないそれら悪を裁く者がいる。

 法を守る者だけが、裁く者ではない。闇には闇、悪には悪。武力には暴力を。そうした悪をもって悪を裁く人間たちがいる。

 協会と呼ばれる巨大な組織がある。殺し屋たちの元締めである。

 殺し屋を専業としている者は、その大多数が協会に属する社員のようなものだ。協会の子会社に身を置き、必要なときに仕事をする。それ以外での殺しは認められていない。

 それでも、殺しなんていう非合法なことを生業としているのに自由であったり、生活していくうえで十分な金も得られる。

 しかし、人間は強欲だ。それで飽き足らない連中は多い。

 協会に属しながら、裏では雇われ殺し屋をやっている奴はいる。そういう奴ほど優秀で、協会側が粛清をしようとしても逃げられたり返り討ちにあうことも多い。

 だから、協会は殺し屋の中でもとくに腕のいい人間を特別枠として定め、そいつに規定違反をした奴を処理させている。

 いわば、殺し屋の殺し屋。

 仙道紗花の下には、その中でも特に腕利きで、重宝される殺し屋がいた。紗花の父、和彦がもっとも信用していた男。

 名を、詠坂。名は知らない。和彦は知っていたらしいが、紗花はまだ教えてもらっていない。それはなんだか悔しいが、まだ一人前ではないという自覚は紗花にもあるので、文句は言わなかった。

 昨日の通話も、詠坂にもっと仕事をさせろという圧をかける意味があったのだろう。紗花はなめられている。協会はまだ若い紗花をうまく使おうとしているのだろう。

 そうはいかない。紗花は思う。父が遺した大切な場所を、汚されるわけにはいかない。

「すずちゃん?」

 窓から外を眺めながら考えを巡らせていた紗花に、一人の少女が声をかけた。

「うん? ああごめん、寝不足でさ」

「忙しそうだもんね。この前雑誌に載ってたよね? 私つい買っちゃったよ」

「つまんかったでしょ? かったい内容のビジネス雑誌だし」

「何書いてるか全然わからなかった……でもでも、すずちゃんが載ってるんだもん。記念だよ」

 そうやって無邪気な笑顔を紗花に向けるのは、同級生の矢坂真優だった。真に優しいと書いてまひろ。名前がここまで当人をあらわすというのも珍しいと紗花は思う。

「立派だよ、すずちゃんは。お父さんからお仕事引き継いで、その歳で社長さんで」

「ほとんど助けられてなんとかやってるだけだよ。真優の方が凄い」

「そんなことないよ」

「凄いよ。私のこと、普通に扱ってくれるじゃん」

 紗花を見る目は冷たい。若い者はステータスを気にする。その中で、社長という肩書を持つ紗花はその最高位に立つ。だが、これといってそれを誇るでもなく、日々をどこか退屈そうに過ごす紗花の姿は、他の同級生からしてみれば見下していると感じるのかもしれない。

 別にそれを気にしたことはないが、その中において、こうして接してくれる真優のことは、紗花なりに大切に思っていた。

「でも、なんか今日はずっとぼーっとしてるね」

「ちょっと気になることがあってね。まあ、問題はないんだろうけど、やっぱり気になるは気になるというか」

「お仕事のこと?」

「そう」

「大変だね」

「うん」

 まあ、大変なのは相手の方だが。と紗花は心の中で付け加える。

「そろそろ次の授業始まるよ。教室帰ろうか」

「うん」

 仕事に関しての心配はしていない。

 心配なのは、心の方だ。紗花は今この瞬間仕事をしているだろう詠坂のこと思い、そんなことをひとりごちた。



「あんたまさか……」

 言い終える前にその口を銃弾で抉った。

 これで十人目。聞いている数で言えばあと五人だ。

 マガジンを交換し、足音を消しながら歩く。

 巨大な倉庫の中なので、音がまだ反響している。

 小刻みに息を吐きだしながら、周りの空気に気を配る。視覚にだけに頼るのではなく、感覚で周りの気配を探っていく。

 そうすると、勝手に体が反応する。右、左、上。感覚が敵を捉えたら、そこに向けて銃を撃つ。

 十一人目。

 隠れてくれるほうが仕事がしやすい。このまま隠れていてくれれば、すぐに終わる。そう思い始めたころ、声が聞こえてきた。

「佐藤、聞こえてるか!」

「聞こえてます!」

「大竹!」

「聞こえてます」

 声があちらこちらへと移動する。攪乱しているらしい。面倒なことをする。

「囲むぞ! 声は出し続けろ!」

 攪乱するように、それぞれが声を出しながら歩き回る。ある程度の予測はできるが、下手に撃って隙を作りたくなかった。

 ひとまず、立ち止まる。待てば向こうから近づいてきてくれるというのだから大人しくしていよう。

 音が頭の中で混じり合って、頭痛がする。もう何年も続いている頭痛だった。仕事に影響があるわけではない。だが、不快だった。

 目を閉じる。頭痛の波が大きくなるが、感覚もより鋭くなる。

 体のまわりの空気が、どこかゆったりと流れ始める。

 わずかに聞こえる音が、やたらと大きくなる。

 爆ぜる音が聞こえた。銃が撃たれた音だ。少し体を動かし、引き金を引く。そのまま体の向きを変え、引き金を引く。

 そのまま残りも片づけようとしたが、頭に強烈な痛みが走り、狙いが少しずれてしまった。

 叫び声がする。急所は外してしまったらしい。

 撃ち漏らした奴に近づき、銃口を向ける。

「あんた、仙道のとこの猟犬か」

「だから?」

「猟犬が子猫の下で働いてるってのはお笑いだな」

 引き金を引く。それで男は黙った。二度と口を開くことはない。

「子猫だって噛みつく。なめてると、首筋を噛みちぎられるぞ」

 銃をしまい、倉庫を出る。

 先代が死んだ今、もう忠義を尽くす必要はないのではないかという声を聞く。それは、紗花をただの小娘としてしか見ていないからだ。きちんと目を見て話せば、わかる。彼女はまぎれもなく仙道和彦の娘であり、その魂は継承されていると。それならば、俺はその魂に尽くすだけだ。俺は仙道和彦の心に惹かれ、尽くすと決めたのだから。

 息が上がる。思っているより体にはがたがきている。今はごまかせているが、そのうち殺し屋としては使い物にならなくなるかもしれない。その時こそ、俺が去る時だろう。まあ、それまで生きていられるかどうかはわからないが。

 薬を飲み、頭痛をごまかす。頭痛自体は、仙道さんに拾われる前からあった。人を殺すたび、ひどくなる頭痛。だが、仙道さんの下で協会の仕事を重ねるうちに、少しましになってはきた。

 元々、無理をしながら仕事を重ねてきた。それは今、俺の体を蝕んでいる。だから、仙道さんに拾われる前のほうがよほど犬のように生きてきた。俺は仙道さんに人間にしてもらったんだと思う。だから、この頭痛も、壊れ行く体も、すべて抱えて、仙道の家のために尽くそう。

 しばらく歩くと、高倉が車の前で待っていた。

「お疲れ様。ひどい顔色」

「そう思うなら手伝ってほしいな」

「あなたと比べたら私なんていないのと同じでしょう」

「そんなことはない。お前は優秀だ」

「優秀なだけ。あなたみたいに突出してない」

「それでいいんだ。優秀な人間こそ重宝されるべきだ。だからこそ、お前は紗花の一番近くにいることを任された」

 助手席に乗り込み、大きく息を吐く。

「すまない」

「いいのよ。事故であなたを失うなんてことがあったら、痛手だもの。報告が終わったら、少し寝なさい。着いたら起こすから」

「学校は?」

「もう終わってる」

 携帯を取り出し、紗花に電話を掛ける。一度目のコールが鳴りやむ前に紗花は電話に出た。

「終わった」

「簡素な報告」

「それ以外になにを言えばいいんだ」

「別に構わないですよ。お疲れさまでした。体調は?」

「いいとは言わない」

「良くないでしょうどう見ても」

 運転をしながら、高倉が言う。電話の向こうの紗花は面白そうに笑った。

「仕事を頼んでる本人から言うのも変ですけど、あまり無理はしないでくださいね」

「わかってる。大丈夫だ。紗花は表の仕事と学校を優先すればいい」

「ありがとうございます。でも、みんな大切な仲間なので。心配くらいはさせてください」

「感謝してるよ、ありがとう。それじゃ」

 電話を切り、目を閉じる。

 殺し屋の世界も、変わり始めている。同じままではいられないかもしれない。それでも、俺はこの場所で、変わらずに生きていこうと思う。

「おやすみ」

 高倉が言う。その声に小さくこたえ、俺は眠りに落ちた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

少女社長と殺し屋 三角海域 @sankakukaiiki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ