NAOKIチャンネル ウーの一族
星村直樹
日本人はどこから来たのか?初めっから日本にいた
人類発祥には、多地域起源説と単一起源説がある。日本人は、多地域起源説側の人。
現在の人類は、クロマニヨン人しかいない。他の旧人は、全部滅んだ。淘汰されたと言うのが、単一起源説。
もう一つは、旧人も、知恵のある人であった。雑多にいた旧人類は、混血することで、もちろん新人類とも混血することで、現在の人類になったと言うのが、多地域起源説である。ホモ・サピエンスとは知恵のある人の事を指す。
今回多地域起源説を発端に、日本人が、どこから来たのかを考えてみたいと思う。
1、まず遺伝子から検証
単一起源説が出たのは、一昔前の話。遺伝子解析で、遺伝子の中に旧人の遺伝子が発見されなかったからだ。この時の遺伝子解析と言うのは、ミトコンドリアの遺伝子解析だった。ミトコンドリアは、人の細胞と共生している細胞。彼らはエネルギーを作り出す。ミトコンドリアDNA継承は、母系のみ遺伝するので、男系の継承は分からない。
その頃より進んだ現在の遺伝子解析は、人の細胞核そのものを解析している。そこから、旧人類の遺伝子が出て来た。最近の研究では、旧人であるネアンデルタール人の免疫遺伝子を一番多く持っているのは日本人だと、遺伝学の科学誌「The American Journal of Human Genetics」で独の研究チームが発表している。この割合は、南アフリカは無く、アフリカから日本に向かうほど増えていく。日本人は、ネアンデルタール人の免疫遺伝子を51%も持っているそうだ。更に日本人は、東亜に多数遺骨が発見されたデニソワ人の遺伝子も多く持っている。デニソワ人とは、クロマニヨン人とネアンデルタール人の混血種。
ネアンデルタール人とは、イスラエルからヨーロッパ、中東にかけて多く遺骨が発見された旧人。旧人と新人が共生して混血を繰り返していただけなら、旧人の遺伝子割合は、ヨーロッパ中東で多くなくてはいけない。そうなっていいないと言うことは、混血説と淘汰説の両方を吟味しなくてはいけないことになる。つまり、旧人は、新人類に殺されてもいたのではないかと言う事。また、旧人の生き残りの割合が日本に偏っているというのも考慮しなくてはいけない。
日本は、クロマニヨン人が大量発生するという、現生人類パンデミックの影響を一挙に受けにくかった。極東だし、日本に行き着くまでに食い物もあったからすぐには来ないし。そのうち、日本は、ユーラシア大陸から離れた。現生人類は海洋民族ではなかったので海をあまり意識していない。このように、地政学的好条件がそろっていたから彼らの影響をゆっくり受けたのではないだろうか。多地域起源説から考えると、日本人は、現生人類の遺伝子汚染をゆっくり消化していったと考えられる。そう考えると日本人は、世界で最も古い種族かもしれない。
2、日本にある遺跡が古すぎる
遺伝子からの疑問の次は、遺跡。日本の遺跡遺物は、古すぎる。現生人類単一起源説から行くと、日本のような土器が、4万年前のアフリカからも見つかって良さそうなものだが、出土していない。これは奇妙なことだ。
日本の遺跡で最古なのは島根県出雲市の砂原遺跡。これは、12万年前。ペトログリフに至っては、熊本県・日の宮幣立神宮の御神体、日本石板が、20~30万年前とされている。炭素年代測定と言うのはとても正確なものなので、20~30万年前と言うアバウトさは、いかがなものかと思う。この辺の根拠を見つけられなかったが、こういう記述や口伝もあるのである。
現生人類が、アフリカを最初に出たのが8万年前。しかし一度、アフリカに引っ込み、再度出たのが5万年前。どちらにしても、数字が合わない。
大げさな記述は、更なる証拠が出るまで置いといて、最古の縄文土器は、4万年前。日本人は、この土器で煮炊きしていた。土器に残る炭化したコメで正確な年代を出している土器もある。また、磨製石器が3万5千年前。これで、カヌーを作っていた。日本人が海洋民族であった証拠である。
も一度言う。今の現生人類が、世界に広がったのは、5~4万年前とされている。それなのに、アフリカで土器が発見されていない。磨製石器の遺物もない。アフリカから一番遠い日本で発見されるのは、おかしなことだ。
縄文文明は、土器から考察すると4万年続いたことになる。だけど、現生人類の文化が、こんなに長く続いた歴史がない。何万年も文化を続けることが出来る民度は、現生人類では無理だ。砂原遺跡や最古のペトログリフは、極端なので、まだ違うんじゃないとを笑い飛ばせるが、縄文文明4万年継続は、現生人類にとって、現代人でさえ厳しく重い課題になる。人類最古の文明、シュメール文明が現在まで続いていたとしても、たかだか6500年なのだから。
文明とは?
猿人や原人、旧人類や新人類のどこからを人類の文明の歴史とするか。意見の分かれるところだろう。火を使いだしたところか石器を使いだしたところか。石器だと200万年前の猿人が使い始めていた。火だと50万年前の原人が頻繁に使っている。しかし、現代人ぽいと言う視点で言うと旧人類になる。旧人類であるネアンデルタール人の遺跡から、葬式をしていた跡が出ている。そこに花の花粉が発見された。旧人類は葬式して遺体に献花していてことになる。
それに石器が文明の始まりたと考えるのは、ちょっと疑問がわいてくる。地球上の大型動物と言うのは新人類が絶滅させている。逆に言うと旧人類までは、共生していたことになる。これだと石器の主な使い方が、旧と新では違うことになる。旧人類は、他者を絶滅に追い込まない。そんな環境になったときは自分が滅びるというアイヌ的な生き方をしていたことになる。アイヌは、凶作になったとき隣村に助けを求める。しかしそれを断られた場合、その村を襲わないで、凶作の村は、自滅の道をたどっていた。同じように旧人類の石器は、他者を絶滅させるような使い方をしなかった。
新人類と違い旧人類の方が平和的だ。文明とは壊すことではない絶滅させることではないと思いたい。旧人類の方が文明的と言うのは、どう解釈すればいいのだろう。気になる所だ。
これらのことを踏まえて、文明の始まりは、旧人類からにした。旧人類は50万年前から発生。北京原人が、火を使い始めた時期とも重なるので、文明を考察がしやすい。なんせ、地球は、7万年前から2万年前まで、キッツイ氷期だった。これを生き抜くには、火が必要だ。それに、日本のペトログリフで言うところの糸で作った服が必要だ。毛皮だけだと生存率が下がる。
旧人類は文明的
旧人類の脳の容積は現代人より多い。じゃあなぜ、現代人の方が脳容積が少ないのか。そこから新人類であるクロマニヨン人が共食いしていた可能性が考えられる。BSE(牛で言うと同族飼料食いから来る狂牛病)は、脳を委縮させる。もしかしたら昔は、旧人類の方が、人間らしかったかもしれないと言うことだ。
また旧人類は、近親相関をしていない。多様な旧人類同士で混血して進化していたと考えられる。混血には、新人類も含まれるのだろう。日本人は旧人類と現生人類の混血種かもしれない。本書は日本中心史観なので、この混血は、日本人にとって、旧人類と現人類のいいとこ取りだと言いたい。
旧人類が発明した文明の最たるものは宗教だ。葬式して先祖を敬う。この辺りからを文明とする。
3、地球の年代から人族の歴史を追う
3000万年前 人が猿から進化した?
2600万年前 日本がユーラシア大陸から独立する
2300万年前 イネ科の植物が出現 現代の風景に
1600万年前 日本の本州の中部にマングローブの林 このころ日本は亜熱帯
1400万年前 アフリカとユーラシア大陸再結合
950万年前 チンパンジーなどの霊長類出現
500万年前 人とチンパンジー分岐
400万年前 琵琶湖の誕生 世界で3番目に古い古代湖。
第4期
258万年前 ホモ・ハビリス出現
250万年前 ホモ・ハビリス石器を使う
190万年前~10万年前まで生息したホモ・エレクタスが、初めて火を使用
170万年前 伊豆半島が日本に衝突
100万年前 ホモ・エレクタスがアフリカを出る
60万年前 ドナウ氷期Ⅰ
55万年前 ドナウ氷期Ⅱ
40万年前 ギュンツ-カンザス氷期
30万年前~23万年前 ミンデル氷期 海面の低下は、100メートル
23万年前 寒冷種のネアンデルタール人が中東に出現
19万年前~現在 現生人類
18万年前 リス氷期 海面の低下は、200メートル
12.4万年~7.4万年前 エーミアン温暖期
11万年前 洞爺カルデラ 巨大噴火 日本人にとっては破局的噴火
8万年前 現生人類 アフリカを出る
7.4万年前 トバ破局噴火 これで、長い氷期が訪れる
7.4万年前~1.5万年前 最終氷期(ヴュルム-ウィスコンシン氷期) 4万年前 縄文式土器
4万年前 古代型現生人類がヨーロッパに出現
3.5万年前 ネアンデルタール人がヨーロッパで絶滅
2.9万年前 姶良巨大噴火 鹿児島湾ができる
2.2万年前~1.8万年前 最終氷期の最盛期 海面の低下は、120メートル
2.2万年前~1.8万年前 北米大陸とユーラシア大陸の氷床が極大 厚さ3Km
1.7~1.1万年前 マンモス、マストドンなど大型哺乳類が大量絶滅
1.5万年前 急激な温暖化
1.5万年前 小麦栽培開始
1.3~1.2万年前 日本列島が大陸から完全に分離する
完新世
7300年前 鬼界噴火 日本にとっては巨大噴火
7千年前~6千年前 平均気温は現在より2度高い。しかし現在より海面80m低い
6千年前 北米大陸のローレンタイド氷床がほぼ消失
6千5百年前 シュメール文明
5千5百年前 サハラ砂漠誕生
3千6百年前 鉄器使用
西暦
720年 万葉寒冷期の極期
740年 大仏温暖期 極端な温暖化 日本は不作で大変だった
1645~1715 マウンダー極小期 江戸時代は寒かった
1812/13 夏の無い年
年表は、ヨーロッパ人主導で作られている。ここに、近年見つかった縄文土器の記述を入れて見た。新人類と年代が合わないことはなはだしい。新人類は、一度10~8万年前ぐらいにアフリカからイスラエルに出ているが、トバの破局的噴火によるその後の氷期の為、か、アフリカの出口に当たるイスラエルに住んでいたネアンデルタール人に押し返されたのか、大多数は、一度アフリカに引っ込んでいる。もう一度アフリカを出て行ったのは5万年~4万年前。4万年前には、既に日本で、縄文土器が使われている。なのにアフリカに、このような遺物はない。日本じゃ煮炊きしているのに、そんな感じがない。
また、気になるのは、マンモスなど大型哺乳類の絶滅の時期だ。彼らは、1万7千年前から1万年前ぐらいに掛けて絶滅している。つまり1万8千年前に終わった最終氷期の温暖化が原因で絶滅したのではない。それは、旧人類の絶滅とされる時期とも重なっているので、同じことが言える。ネアンデルタール人もマンモスなどの大型生物も、なぜこの時期に滅んだのか。検証する必要がある。末期のネアンデルタール人と言うか旧人類が日本人の祖先となるなら何となくわかることもある。骨太のネアンデルタール人がそうでなくなった理由だ。主食が肉から米や魚貝類に変わった。だから骨太でなくなった。大型動物がいなくなっても、氷期で採取が困難になっても日本はすぐ海に出れる。そこで、魚や貝で命を食いつなぎ、採取の方は、氷期が終わって、どんぐりから米にだどりついたと言うこと。胴長短足は変わらないけどね。胴長短足で目がぱっちりというのは、ネアンデルタール人の特徴。
ここで、次に特筆するべきことは、稲作だろう。稲作は、1万年前に長江流域で始まったと中国人が言っているが。それは土器が発見されただけ。大体その頃そこに住んでいたのは、日本人ではないだろうか。ホツマツタエという古紋書からは、そう読み取れる。このころ日本では、もう、稲作をやっていた可能性が高い。確実なのは7千年前の菜畑遺跡からで、水田跡が発見されている。稲作が、弥生時代に伝わったと言うのは嘘である。日本の方が先にやっていたことだ。また、中国の土器出土の土にある炭素の年代測定が証拠と言うのなら、日本では、4万年前からと言うことになる。煮炊きが米とは限らない。どんぐりは、煮ると渋みが取れる。稲は、四季植物ではなく、雨季と乾季が繰り返される亜熱帯植物。実際氷期後の日本には、亜熱帯の時期が有ったので自生の為、亜熱帯地域演出の水田は、必要なかったかもしれないが、小麦と同じ時期である1.5万年前の温暖化時期あたりに始まったと言うのが妥当だろう。氷期は徐々になるのだが温暖化は急になる。
稲作はさておき、それ以前は、狩猟採取で生きていた日本人。狩猟と言っても貝塚からして、海産物主体だし日本は島国。大型種の絶滅に関係していたとは、地勢学的にも考えにくい。旧人類は、40万年も栄えていた。そして自然と共に生きていた。現生人類とは、違う生き方をしていたのではないだろうか。日本人が旧人類の血を色濃く受け継いでいるとしたら、納得できるが多い。
今回は、日本人の免疫細胞の遺伝子に、ネアンデルタール人の遺伝子が51%も入っていたという研究成果から、また土器などの遺跡から、更には、神社の御神体になっているペトログリフから、日本人は、現生人類だけを基準には考えられないことが、うかがわれた。日本人は、現存する人類の中でも最も古い種族の末裔ではないかと思われる。
日本人はどこから来たのか。何の事はない、日本人は、初めから日本にいた。現生人類のクロマニヨン人から見るとそう言うことになる。
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