第45話:叫ぶ者たち

 いや、待て。違うんじゃないのか?

 唐突に、突然に。誰かが、それはもちろんカズヤの心の中で、カズヤ自身以外の何者でもなかったが。否定を叫んだ。

 どうしてだ。どうしてこんなに強い気持ちに、俺は今まで気付かなかったんだ。アルフィはこんなにも、美しいじゃないか。

 こんなにも愛くるしく、艶やかで、色香をも同居させた存在など他にない。カズヤはそう思う。

 強く。強く。他のことなど、自我でさえも、どうでも良いほどに強く。


「簡単よ。とても簡単なことなの。あなたが特別なことをする必要もないの。私の言う通り、私の送る場所へ行ってくれさえすればいいの。そう、神の世界へね」

「もちろんだ。いつ行く? 今か?」

「慌てないで。この茶番劇が終わるまでは見ていましょう。そうすれば、私の魔力をこれだけ食えば、あの子の自我もきっと消えるわ」


 アルフィの言うことに、間違いなどあるはずがない。彼女の頼みを聞かない選択肢など、あるはずがない。

 彼女は雷禍を育てているのだ。目的も方法もよく分からないが、そんなことはどうでもいい。アルフィが言うのだから、そうなのだ。

 すると奴らはなんだ。雷禍に剣や槍を向けて、アルフィの願いを邪魔している。

 ――敵だ。


「ダメよ。あなたはそこに居て。あなたが死んでしまっては困るの。私の希望を叶えてくれる人が、居なくなってしまうもの」

「分かった。俺はここに、じっとしていよう」

「そう、いい子ね。うふふふふ」


 なんと独創的な、平たい笑いか。これを自分だけの物に出来るなら、カズヤに不可能はないと思える。けれどもそんなことを考えるのも、彼女への不敬かもしれない。


「カズヤ! その女と話してちゃダメだ!」


 不快な言葉が聞こえた。発生を探して、頭上だと辿り着く。倒れずに残っている柱のどれか。そこを駆け下りる音が響く。


「お嬢さま、あれは私が」

「任せるわ」


 ディアだ。どこに居たのだろう。死角から這い出るように、恭しく頭を下げている。

 崇高なるアルフィに、付き従うことを許された栄誉ある存在。ディアにも、カズヤは逆らうことが出来ない。そんなことを、したいとも思わない。

 傘を手放すことなく、空いている左手を宙に向ける。相手がどこに居るのか、ディアには分かっているのだろう。

 またそれを、相手も察しているのだろう。柱から柱へ、すぐまた別の柱へ。回避行動と思われる音が目まぐるしい。

 ディアの手は、その度にゆっくりと方向を調整する。翻弄されている可能性は低い。きっと、慌てる必要がないだけだ。

 とうとう地上まで、足音が到着した。最後に跳ねるような音がしたと思うと、それきり音がしない。


「それで隠れているつもりですか?」


 こちらだろうと、カズヤも概ね当たりを付けていたのと同じほうを向いていたのに、ディアは振り返る。全く反対の向きへ。

 差し出されていた左手が、空間を掴みとるように握られた。が、逃したようだ。夜の色をしたディアの唇から、小さく舌打ちが漏れる。


「人間にしては、なかなか速いですね」

「そりゃあ、俺はハンブルじゃないからね!」


 ハンブル。それはこの世界で、獣の特徴を持たない平均的な人間を指す。多くの国はその種が造っているけれど、単に数が多いこと。醜い征服欲が強いこと。それが理由であるに過ぎない。

 すると彼の特徴はなにか。素早い身のこなしと柔軟な体捌きで、カズヤの目の前まで駆け寄った。


「……ジュネ」

「カズヤ。お前は俺を、嫌いになったかもしれない。でも俺、お前が心配だったんだ!」


 心配――。

 名を呼んではみたものの、どうして知っているのか分からなかった。顔を知っているのに、名を知っているのに、これが誰だか分からない。


「その子はあなたを騙そうとしているわ。殺しなさい」

「分かった、そうする」

「カズヤ!」


 染み込むというほどでない。なんとなく身体が覚えている、剣道の構え。そうしようと考えたのでもなく、自然そうなった。

 殺す技術は知らないが、まずは相手を制することだ。そうすれば、あとはどうにでもなる。

 ジュネの首を狙い、手首を狙い、肩の付け根を狙う。しかし届かない。けれども脚が軽い。腕も、腰も。自分の身体とは、これほどに言うことを聞くものかと、疑いたくなるほどだ。


「カズヤやめてくれ! 俺はお前を殴りたくないんだ!」


 ジュネが叫ぶ。

 見え透いたことを。暴力を向けられるなどと、これ以上に分かりやすい悪意もなかなかない。

 それなのに反撃したくないなんて、そんなことがあるか。

 人は誰でも、自分だけを守りたいものだ。それでもここへ来て、アルフィを得たのだ。それだけは、邪魔をさせない。カズヤの心が、歪んだ想いに塗り潰されていく。


「みんな、自分だけが大事じゃないか!」


 怒声と共に、たいを当てる。ジュネはそれを、避けなかった。

 もつれ合って倒れ、カズヤが馬乗りになる。こうなれば、もう剣道もなにもない。顔に喉にと、拳を叩き込む。

 ジュネはこれを、ただ耐えた。カズヤの肩を揺すって、「目を覚ましてくれ」と。その手をまた払い除けて、カズヤは殴る。


「カズヤぁっ!!」


 この広い神殿に、ジュネの絶叫が響き渡る。その声に誰もが、なんだと反応してしまうほど。

 そう、誰もが。

 積み重なった巨岩の軋む音。土砂が滑り落ちる音。倒れていた雷禍の首が、持ち上がる。


「雷禍を起こすな! とどめを刺せ!」


 微動だにしていなかった雷禍に、彼らは何度剣で打ち、槍を突いたのか。それでも叶わなかったものが、達せられるはずがない。

 強引に身体を起こす雷禍から、大小の岩石が崩れ落ちてくる。直近に居た者、逃げ損ねた者が、下敷きとなって動かなくなった。

 立ち上がった雷禍の首が僅かに後退して、息を吸うような素振りがある。一度止まって――吐き出された。

 聞いた者の意識を刈り取るほどの、怒りの声。雷禍の咆哮が神殿を揺らす。

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