第35話:アルフィの意図

「ちょうど良かった?」

「ええ。あなたに用があったのだもの。それは、ちょうど良いでしょう?」

「そうか。なんの用だろうな」


 感情の乗らない、冷たい視線がディアから発せられる。無邪気な態度に似合わない、アルフィの薄笑いと、どちらがより寒いだろう。

 ジュネはこの二人と、会ったことがあるだろうか。あの山でずっと見ていたなら、知ってはいるはずだが。

 彼はカズヤに、なにか聞こうとしたようだ。しかし口を噤んで、二人とカズヤとを交互に見ている。


「あら、玉はどうしたの?」

「……せっかくもらったのに、すまん。盗まれた」


 しまった。とさえ、考えられない。

 これでアルフィが機嫌を損ねたなら。その結果をイメージする必要もなく、背骨が氷にすげ替えられたような、凍える思いを味わった。


「そう、構わないわ。ここまで持ってきてくれたら、それで良かったの」

「ここまで?」


 運搬を請け負った記憶はない。この町に来ると、予定もなかった。そんな偶然が、狙い通りのように言われて、意味が分からない。

 思わず聞き返してしまって、ディアの舌打ちがカズヤを慄かせる。


「別に、教えてあげても構わないでしょう?」

「よろしいようになさいませ」

「ありがとう、ディア。だから好きよ」


 ディアは頭を下げて、一歩後ろに控える。反対にアルフィは、まだ数歩分残っていたカズヤとの距離を、ほぼゼロにした。

 カズヤの腹辺りに、彼女の顔がある。それが見上げて、真紅の輝きが二つ、宙に縫い付けられたように動けなくなった。


「大きな町に運んでくれれば、どこでも良かったのよ。これは実験なのだもの」

「実験って、なんの……」

「あなたたちは、玉を売ろうとするでしょう? そうしたら、大きな町に持ってくると思ったの。それが一つ」


 子どもらしい、ふわと柔らかそうな指が一本示される。そこにある爪は、毒々しい光沢のある、黒っぽい色をしていたが。


「一つってことは、他にも?」

「あら、まだ気付いてなかったのね。あの子がなにを食べるのか、調べていたんでしょう?」

「あの子――?」


 反射的に聞いてしまったが、すぐに察した。カズヤが知っている中で、彼女が単一のなにかを「あの子」などと呼ぶ。

 そんな心当たりは、あれしかない。


「雷禍か……雷禍は、縞玉を食うのか」

「そうだけど、ちょっと違うわ。あの子は、人の感情が好きなの。だから臆病な人ほど、狙われたでしょう?」


 そんなことは知らない。だが、あの町が襲われた時。火を焚いていただけでは、こちらに興味を向けていなかった。

 雷禍が居ると騒ぎ出してから、こちらに向かってきた。


「あの玉にはね、私の魔力が込めてあるの。あの模様の石が、いちばん良く貯めてくれるのよ」

「それも雷禍の好物なのか」

「そうみたいね。嬉しそうに、手足をばたばたさせながら食べてくれるわ」


 それは嬉しいのかと疑問に思ったが、それはいい。問題は、どうして町へ持ってこさせたかだ。

 しかも実験と言っていた。雷禍が好むと知っているなら、実験をする必要がない。


「そうね、私もそう思うわ」

「話が早くて助かるよ――」


 心を読まれている。知ってはいても、慣れるものではない。これで気持ちが悪いなどと考えれば、なにをされるものか。

 と、考えてしまった。


「仕方がないわ。人は弱いものね」

「あ、ああ」


 また、助かったと考えてしまって、頭を振る。なにも考えないようにしなくては。

 しかし実験の目的を、どうしても頭に思い浮かべてしまう。街を滅ぼす、雷禍の姿。怪獣映画さながらのそれが、目的なのかと。


「なにを考えてもいいのよ。そのほうが、私は面白いの。怪獣映画というの? 私も見てみたいわ」

「この世界じゃ、あいにくと無理だな――」

「そう、残念。街を壊すのが目的ではないの。どれくらいなら、あの子が言うことを聞いてくれるのか、試しているの」


 目的ではない。つまり、壊さないとは言っていない。この町を滅ぼして、なおかつそれそのものは、目当てでないと。


「言うことを聞かせて、どうするんだ」


 それを知ったところで、ろくでもないことは間違いない。カズヤになにが出来るわけではないだろうし、なにをしようとも思わない。

 ならばなぜ聞いたのか。それはきっと理屈を付ければ、自己防衛の本能とか、言いようはあるのだろう。

 しかし真実に最も近いのは、興味本位だ。

 なにを考えているのか分からないこの少女が、なにをしようとしているのか。他者の思いを完全に理解することは無理でも、どんな行為なのかを理解するのは可能だ。

 理解してどうするのか。それもまたカズヤ自身にも当てはないが、結論で言えば、知りたいと思うのに理由などない。


「知りたいの? でも、秘密」


 笑わない笑みの中に、口角がぐいと上がった。好意に属する意思表示とは思いたい。

 だが現実に、あるいは脳裏に焼き付いたのは、毒々しいまでの赤という色。薄い唇はもちろん、深い光沢のある瞳。その両方が、底知れぬ黒を奥に抱える、ザクロの果肉の色をしていた。いや、それではあまりに生気に満ちているか。もっと、なにか。この赤を示す物は――。

 血だ。

 たった今、人の臓腑から移し飲んだように。暗い赤が、カズヤの心に滴り落ちる。そんななにもかもを内包した笑みを、言葉に表すとするなら。それは、たった一言で良かった。

 おぞましい、と。


「そうか、残念だ。けど残念ついでに、縞玉は盜まれて、今どこにあるかも分からない」

「それは問題ないわ。あなたは探しやすいから、持ってもらっただけだもの。あの玉だけでも、探すことは出来るのよ」


 顔を引きつらせるカズヤをよそに、アルフィは人さし指と視線とを、同時に同じ方向へ動かした。

 こっち、ではない。あっち、でもない。そんな風に、確かめていくように。だがそれは、ポーズとして行っただけなのだろう。四方に意識を向けただけで分かるなら、そんな分割した動作など必要ないはずだ。


「こっちね」


 アルフィが一方を指すと、ジュネは怯えるように頷いた。レットを見失ったのは、そちらの方向らしい。

 つい、と指が動いて、彼女の手は口元へと移動した。くすくすと笑うように、笑っていない口元を押さえる。


「俺は探しやすいって、なにか印でも付いてるのか」

「付いているわ。とてもいい匂いだけれど、嫌いな匂い」

「いい匂いなのに、嫌い?」

「天使の臭いよ」


 笑う素振りが止まって、アルフィの表情もいよいよ凍った。話していたのは、もしかして白亜の仮面であったかと思う。

 けれども違う。その証拠に、小さな唇がまた動く。


「ところで、このままここに居ていいの?」

「どういうことだ?」

「今、玉に封じていた魔力を解放したわ。あの子が気付くと思うの」

「…………なんだって?」


 これから彼女らは、レットを探しに行くものと思っていた。そうしたら、なにかするのかしないのか、ジュネとも話そうと。

 だがそんな猶予は与えないと、彼女は言う。

 雷禍の速度は、戦闘機にも匹敵するとカズヤは感じた。それは音速飛行をする動画を見た時と、過ぎ去る印象が同じに見えたからだ。

 だとすれば、あの町付近からここまで、数分で雷禍は辿り着く。なにをする余裕も、ありはしない。

 だがアルフィの目の前から、勝手に立ち去って良いものか。ちらりと横目で、ディアの機嫌を窺う。


「お嬢さま、こちらも移動致しましょう」

「そうね。よく見える場所があるかしら」

「探してみると致しましょう」


 物見遊山の構えで、二人は立ち去る。そこに見えない階段でもあるように、宙を踏んで。

 周囲の人々には、見えないのだろうか。そう思った途端に、動かなかった身体が自由になる。それと同時に、雑踏の音も戻ってきた。聞こえなくなっていたのも、気付いていなかったが。


「ジュネ、逃げよう! すぐにだ!」

「え、えぇ⁉」


 二人の姿は、もう見えない。ほっと息を吐くジュネの腕を掴んで、カズヤは走り出した。

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