第34話:領都の探検
夜が明けてすぐに、ジュネはカズヤを街へと誘った。まずは見て、知ることだと。初めて見る料理に、エールが合うのか蜜酒が合うのか、食べて飲んでみなければ分からないと言った。
最初は大通りに行こうと、宿屋の前から細い路地に入っていく。宿屋の前からして、それほど広い通りではない。人同士がすれ違うなら、なんとか余裕があるというくらいだ。
主に進んだのは、その半分ほどの幅もない裏路地ばかり。日本であれば、せいぜいがゴミやダンボール箱の置き場になるくらいだろう。
だがそこにも、生活があった。日が昇ってまだ間もないのに、小さな布一枚分の露店を出す者、洗濯物を抱えて水場に向かう者。それらを横目に、まだまだ惰眠を貪る者。
「あの寝てる奴ら、頭の上に耳が生えてるな」
「ん、ああ。あれはキトルだ」
ラチルと同じように、獣の特徴を持つ人種らしい。どうも見たところ、耳や腕の感じは猫のように見える。けれども顔は、普通の人間と変わりない者と、いかにも猫という者とが居た。個人差だろうか。
「路地裏で寝てるのが好きなのか?」
「うーん、キトルは極端だな。そういう奴らも多いけど、神官とか大商人だったりする奴も多い」
「へえ、中間が居ないのか。面白いな」
路地を曲がる度に、見える物全てが目新しい。いやそもそも街自体が、写真などで見た、ヨーロッパの古い街並みという感じがする。石造りで、煉瓦や漆喰の色が華やかで、異国という気がした。
じゃなくて異世界だけどな。という自分への突っ込みも、気分がいい。
大通りは朝市が始まっていて、人通りが多い。売り手は地面に大きな布を敷いたり、箱を並べたりして、食べ物も布地もごちゃまぜだ。
「一つ味見していいかい?」
「いいよ、食ってきな!」
一つの露店に、ジュネは声をかけた。いかにもオカン、という感じの女性も威勢良く答える。ジュネはサクランボに似た果物を二つ取って、一つをカズヤに差し出した。
「食えってさ」
「お、おお」
サクランボであれば、シロップ漬けにされた缶詰めの物しか知らない。見た目の印象でそれを想像していたカズヤに、酸っぱさの先行した味が舌を刺す。
けれども嫌な味ではない。一緒に甘い芳香が鼻に抜けるのは、リンゴに近いかもしれない。噛んでいるうちに残る甘さは、ビワにも似ている。
「これ、うまいな」
「そうか。気に入ったなら、またあとで買おう」
ジュネはそのまま、先に向かう。カネは払わなくていいのかと心配するカズヤも、戸惑いながら続く。
その背中に「またおいでよ」と、女性の声が暖かい。それでなんとなく、この場所の空気がカズヤにも分かった気がした。
ジュネの案内は、行き当たりばったりであるらしい。この町には、彼も何度か来たことがあるだけで、それほど詳しくはないと言っていた。
だから二人で「あっちはなんだろうな?」「行ってみようぜ」と、ちょっとした冒険気分だとカズヤには感じられる。日本では楽しめなかった、修学旅行気分と言ってもいい。
カズヤに出来ることを探すのが目的ではあったが、それを煩く言う者は居ない。
こんな学校生活があったなら、どれほど楽しかったろうと思う。だがそれは、今あるのだ。
それだけに、ジュネを見る視線に迷う気持ちもある。なにか恩に感じて、カズヤの世話を焼いてくれる気持ちであるらしい。
しかしそれは、いつまで続くのだろう。
「――ずっと。頼むよ」
「ん、なんだ? なんのことだ?」
「いや、なんでもない」
カズヤが疲れて歩けなくなるまで、探索は続いた。
◇◇◆◇◇
街を巡ること三日。概ね隅々まで、見学を終えた。露店で買った焼き菓子をかじりつつ、気負った様子もなくジュネは問う。
「なにか面白そうな商売はあったか?」
「うーん、そうだな――」
いくつか興味を惹かれるものはあった。だがそれは、きっと観光気分でのそれだ。いざその職業に就くとなったら、本当にやりたいのか疑問が残る。
それをそのまま言うと
「そうか。それならまた、別の町で探せばいい。カズヤが決めるまで、俺は手伝うからさ」
「俺が決めるまで、か。助かるよ」
ジュネは言って、カズヤの心に一陣の風が吹いた。
「それとも狩人でもやるか? 楽しいぞ」
「そうか、その手もあるな。師匠も居るし」
「えぇ? 俺なんか、そんなのじゃないよ。でも試しにやってみてもいいな」
そんな話をして、そういえば武器屋や防具屋がないなと思った。こういう世界に来たら、まずそこと言っても過言ではないだろうに。
「狩人なら、なにか武器が要るよな。防具も要るのかな。武器屋と防具屋は、どこにあるのか知ってるか?」
「武器屋と防具屋? いやそんな店はないと思うけど……カズヤの国にはあったのか?」
「え、ないのか。いや俺のところにも、あったわけじゃないけど」
武器も防具も、持つ者の体格によって形や大きさが変わる。そんな物を揃えて売っている店などないと、ジュネは言う。
「そうか――じゃあ、グランたちみたいなのは、どこで装備を手に入れるんだ?」
「鍛冶屋とか、革職人のところだな。弓だけは、専門の職人を探さないといけないけど」
「もしかして全部、一から手作りか」
「当たり前だろ? 誰かが手で作らないで、どうやって出来上がるんだよ」
冗談だと思ったらしい。ジュネは笑って、職人街へと足を向けた。
話していた場所から、それはさほど離れていないはずだ。二日目に訪れてはいたが、まだカズヤには、道順が分からない。
「……レット」
「え?」
職人街に入ってすぐ、ジュネが立ち止まった。見ている先に視線を合わせると、たしかにレットだ。どこかの工房から、出てきたところらしい。
「カズヤ、ここで待っててくれ。もし時間がかかるようなら、宿屋に戻っててもいい」
「あ、え?」
返事を待たず、ジュネは駆けた。
駆けた、はずだ。自分の脚で。エンジンでも付いていて、飛んでいったのではないと思う。そんな妄想さえ咄嗟に思い浮かぶほどの、凄まじい加速だった。
レットのところまでは、百メートル足らずといったところか。そこまで何秒かかったのか、数えておけば良かった。きっと元の世界の陸上記録など、問題にならなかったに違いない。
ともかく、あっと言う間もなく、ジュネはレットに肉迫する。しかし相手も、直前に気付いて逃走を開始した。
距離があったせいもあって、二人がどの路地に消えたかも、カズヤには定かでない。
――それから、一時間も待っただろうか。最も近くの工房を外から覗くくらいで、ほとんどその場を離れなかった。
「カズヤ、ごめん。見失った……」
「ジュネ。お疲れさん、でももういいんだよ。本当にもう、気にするな」
あのとんでもない脚力から、逃げおおせたのか。別の感心を思いながらも、カズヤはジュネを労う。
せっかく楽しくやっているのだ。そんなことで、気分を損ねることはない。それが本心だ。
だがその思いは、また別の理由で破れることとなった。
「ここに居たのね。ちょうど良かったわ」
赤いドレスの少女と、その頭上に日除けの傘を差す長身の女性。アルフィは物珍しそうに、付近を見回しつつ。ディアはまっすぐ、進行方向だけを見つめる。
職人街の奥から、二人の女性はカズヤたちへと歩み寄って来る。
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