第29話:分かつ風
マクナスの言わんとするところを、グランは察したようだ。「ちょっとそれはね」と、マクナスがしたのと同じように、難しげな表情になる。
シヴァンに変化はなかった。どういう話なのだか、既に頭にあるのかもしれない。
「兄さん、どういうこと?」
遠慮がちに、マシェが問うた。けれども誰も話していないので、その配慮はあまり意味がない。
だが聞いてくれたこと自体は、カズヤにとってありがたい。自身に関わりのないことでも、目の前の会話が意味不明なのは癪に障る。
だからと、あれもこれも質問するのも、なにも分かっていないと侮られるのが嫌だった。分かっていないことを、露呈していてもなお、だ。
「好物なんて用意しなくても、雷禍がおびき寄せられるのは見ただろう?」
「ええ? おびき寄せ――ああ、町の灯りということ?」
「そう。誘導しようとする場所で、誰かが宴会でもしていればいい。それを何度か繰り返せば、どこへでも雷禍を連れて行ける」
種が明かされれば、やはりこれも単純な話だった。問題があるというのも、自明だと思える。
「そんな役目、誰もやりたがらないだろうけどな」
「まあね。でもそれは、奴隷や投獄されている人たちを使えば出来なくはない。例えば、適当な資材でも置いて、それを監視しておけと言えばいい」
そんな嘘で、騙されるものだろうか。しかし今のは、即興で言っただけだ。もっと信憑性の高い話は、いくらでも作れそうな気がする。
肝心なのは、カズヤが問題と考えた点に対して、対案が出されたことだ。それが有効かは別にして、少なくとも問題とは捉えられていない。
それなら……。
「じゃあ無理っていうのは、体面か」
「体面?」
「いくらそういう身分の人間だからって、国や貴族が、そんな非道をやっていいのかってことだ」
その言葉に、カズヤ以外の四人は、同じ反応を見せた。
驚き。と言うと、少し違うかもしれない。そういう表情をより正確に表すのは――面食らっている、だろうか。
そのあとの動作は、それぞれ異なった。
グランは「あ、ああ。なるほど?」と困惑を浮かべ、マシェは興味深げにカズヤの顔を眺める。
あとの二人は、それもまた微妙な感情の差異はありながらも、鼻先で笑う。
「カズヤの故郷では、そういう風に考えるんだね。優しい考え方だ」
どういうことか。彼らからすれば、おかしなことを言ったのは分かる。それをフォローされてしまったことも。
グランとマシェを見たが、なんと説明すればいいやら、そんなことが顔に書いてあった。あとの二人は、見るだけムダだろう。
「その案を実行するにはな、奴隷と投獄者の数が足らんのだ。労働力である奴隷を、いくらでも死なせていいという者は、そうそう居ないからな」
「一人や二人が騒ぐくらいじゃ、意味がないだろうからね。一箇所に数十人ずつとなると、さすがにだよ」
現代の日本では。日本に限らず、その他の大抵の国で同じだと思う。
建前ではあったとしても、人命はなににも代えられない尊いものだとされている。例えば死刑が確定しているからと、爆弾を抱えて敵対する国に突っ込め、などと命令されないか怯えることはない。
むしろ警察官や刑務所の職員などのほうが、扱いが適切でないと叩かれ、震え上がっているようにさえ見えた。
だから少しくらいなにかをやっても、罪に問われる奴のほうが、要領が悪いのだ。もしそうなっても、難癖の付けようだってたくさんある。
ある程度、都市伝説が含まれているのは知っている。だがどれがそうなのか、気遣うことはなかった。どんなことをやろうが、取って食われることはない。そんなイメージに浸されていた。
「奴隷の人たちは、大変だと思うわ。自分がそうなるのは、絶対に嫌。でも、そういうものなのよ」
優しいマシェまでが、結論は同じらしい。
知っている。この世界が特殊なのではない。元の世界でも、百年ほども前までは公然と存在した制度だ。
だがそれさえも、悪趣味な夢物語だと考えてしまう。どうしても、今に繋がる現実だったとは思えない。
「奴隷なしで動く国というのは、私からすれば逆に想像しがたいがな。お前の記憶がたしかになったのであれば、ぜひにも制度を聞いてみたいものだ」
言いながらシヴァンは、立ち上がって伸びをする。
質問には、首を振って否定することしか出来ない。記憶云々の前に、社会制度を他人に説明出来るほど知ってはいなかった。
「そうか。お前たちは、もう少し休んでいるがいい」
シヴァンは、指示された作業を終えた部下たちのところへと歩いて行く。夜が明けるには、いま少しの時間が残っていた。
◇◇◆◇◇
朝靄が残る中を進んで、一行は伯爵と合流した。分かれた地点よりも少し退いて、木々の深い辺りに幕を張って待機していたようだ。
起こったことの一部始終を、シヴァンは報告する。メモを残しているでもないのに、話したことの全てが、そういえばそうだったと思い当たる。
「相分かった。お前の判断を、私も支持しよう。子爵家には、私が一筆
「勝手な判断を致しましたところ、寛大なお言葉をありがたく頂戴致します」
報告の裏付けを、そうだったな、お前も見たな、と求めることもなかった。それどころか、不満な点があれば全責任はシヴァンが受け持つとまで言っていた。
明確な誤りでもなく、不満をだ。カズヤには、それが責任の在りようとして正しいのかも分からない。
「無礼の代償に、危険な任務を任せることとしたあの男も、逃げ隠れすることはございませんでした。よって、この場にて放免することを進言申し上げます」
「良かろう。仔細は任せる」
首を刎ねられた騎士が言っていた。カズヤは、ここぞという場面で捨て駒とするために同行させられた。
そうならなかったのは、そういう場面が訪れなかったからだ。カズヤ一人を囮にすれば他が助かる、ということがあれば、そうなっていたのだろう。
それはいい。現に今、そうなっていないのだから、今から蒸し返したところで、得もない。
だがここで放免とは、勝手にしろということではないのか。こんな危険な山の中腹で放り出されては、死刑と言われたも同然だ。
伯爵への報告が終わるのを待って、カズヤはシヴァンの下へと駆け寄る。
「おいおい、俺はここへ置き去りか」
「いや、我らも町へと戻る。同行すればいい」
なんだそうか。
一旦は、それで安心した。だが解決していないことに、気付いていなかった。言われた通り、伯爵以下の一行が出発準備を済ませ、町へと帰還するのに同行する。
先日二人で、雷禍が居るかもと怖れながら穴に潜った騎士などは、気軽に声をかけてもくれた。なんだかやっと後ろ暗いところなく、ここに居ても良いと思える。
だが、それもあっさりと終わった。
「ではな」
それは最も多く話したついで、というくらいだろう。シヴァンが、最後にそう言った。なにをくれるでなく、これからの助言があるでなく、これほど飾り気のない別れがあるものかと思う。
呼び止める暇はあった。けれどもその先にあるのは、「まだなにか用があるのか」と。関係の終わった言葉しかないと予想がつく。
伯爵とシヴァンは町長の家に、兵士たちは広場に向かう。誰も、声をかけるどころか、視線の向く気配すらない。
「じゃあカズヤ。気を付けて」
「えぇ? お前たちもか」
「僕たち? うん。このまま雷禍討伐に、加えてもらえることになったんだ」
彼らの目的はそうだと聞いている。それに反することのない、文句のつけようのない話だ。
しかし――
「俺は? 俺はどうすればいいんだ」
「うーん、そうだねぇ。僕たちが、ずっと付いているわけにもいかないし。好きにするといいよ」
好きにしろ? なにも勝手が分からない、町から出ればすぐに命さえ危うい世界で?
いったいどうしろと言うのか。そう憤りながらも、理屈は分かっていた。
彼らはカズヤに、なんの責任もない。そもそも最初に、倒れていたのを助ける理由さえなかった。
「一度は檻に入れられて、なんの罰もなく許されるなんてない話だ。ありがたく、どこへでも行きゃあいい」
マクナスまでも、そんなことを言い出した。皮肉げな表情は相変わらずでも、言い分におかしなところはない。
「この町は小さいから、なにも技術のない人が生きるには難しいわ。出来れば王都に行くといいと思うけど……」
アドバイスらしきことを言ったのは、マシェが初めてだ。しかしよく聞けば、王都に行くには歩くしかないらしい。カズヤ一人のために、馬車に相当するエコリアを出す物好きは居ないだろうと。
「悪いね。僕たちも町長の家に行かないといけないんだ」
身の振り方の決まらぬまま、三人は去っていく。カズヤには、金銭も技術も、人的な後ろ盾もない。決まるはずはないのだ。
「おい、お前ら。それは無責任じゃないか……」
弱々しく、呟きにも達しなかった声量が、三人に届くことはなかった。
それが筋違いどころか、勘違いも甚だしい、およそ問えた話でないことは分かっている。だがカズヤに取って、頼れそうな相手はあの三人しか居ない。
日常を送る町の人々を見ながら、カズヤは世界に一人で居ることを、吹き抜ける風に感じた。
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