路地裏から異世界へ―我執人生では生き残れない―

須能 雪羽

第一章:投げ捨てられる一本の雑草

第1話:強者

 ある山深い森の奥に、その場所はあった。と言ったところで、やはりそこも森でしかないが。

 特別なのは、そこにある現象。いや事象と言うべきか。それを為しているのは、一つの肉体を持った何者かに相違ない。

 夜をことごとく駆逐しようとするかのような、絶え間ない白い光。空気を裂く音、深く土を穿つ音。木々が燃えて砕ける音。

 小さな人間の身でも、どこに居れば当たらないのか隙間を見つけるのは難しい。それほどに密度濃く降り注ぐのは、いかづちの雨だ。

 閃光と轟音に包まれた死の世界に、一人の男が居た。


「返せ! 妹を、返せ!」


 惜しげもなく降り注ぐ雷の主に、男は吼えた。大音声だいおんじょうではあったが、雷鳴の一つにも劣っている。

 は、羽を広げた。そうでなくとも、男の立つ尾根一つよりも巨大な身体。その羽はあちらの尾根と、反対にあるそちらの尾根を繋ぐほど伸びる。

 それの目が、じろと男を見た。しかしすぐに興味を失って、飛び立つ。

 羽音などと、可愛げはなく。風を巻く嵐の音を引き連れて、それは去った。


◇◇◆◇◇


「冗談だろ……」

「なにが冗談だ。カネもなにも持ってねえお前のほうが、よっぽどだろうが」


 見渡す限り、野原と森ばかりの土地。街道を大きく外れているせいもあるが、カズヤはそれと知らない。

 薄汚れて、異臭の漂う衣服を着た男たち。ここに来て間もなく、彼らに見つかった。カズヤはもう散々に殴られ、蹴られ、それだけで体力を尽かせていた。


「むしろ不思議なんだがな。お前こんなところまで、カネもなしにどうやって来たんだ?」

「──こんなところ?」


 そう言われても、カズヤにはここがどこだか分からない。このような場所に、もしも住所などの目安があるのならば、教えてもらいたいくらいだった。

 カズヤは日本人の青年として、概ね平均の体格。いやもう少し発達しているだろうか。

 それがどうだ。目の前に居る同じような背格好の男。その右腕は、いとも簡単にカズヤの首を掴んで吊り下げた。


「まあ、生かしとく義理もねえし。そろそろ死んでおけ」

「ぐっ……!」


 息が出来ず、その前に喉が潰されそうなほど強く握られている。手足をバタつかせれば、逃げる機会もあるかもしれない。

 しかしそんなことを考えられたのも、ほんの一瞬。意識が遠くなっていく。


「ディア。あの人、死んじゃう?」

「左様でございますね」


 場にそぐわない、呑気な会話が聞こえた。

 幻聴でも聞こえたかと考えたが、違う。霞む視界に、さっきまでは気付かなかった人影が見えた。


「あん? なんだお前ら」

「いつの間に現れやがった」


 全身を、赤いドレスで包んだ少女。その頭上に、長い柄の付いた日除けの傘を差す、長身の女性。

 もしかしてこの男たちの黒幕かと、カズヤは考えた。しかしどうやら違うらしい。


「暇つぶしの見物です。どうぞお構いなく」

「ああん? 随分と面白いことを言ってくれるが、まあそれはどうでもいい。お前らは、金目の物を持っていそうだなあ!」


 男たちは七人。しかもナイフ程度の武器も提げている。女性二人を相手に、戦力としては過剰に過ぎる。

 しかしこのような蛮行を生業にしている者たちが、そんな倫理を厭うはずもない。

 ただいたぶるにしたところで、儲けにもならない男を相手にするよりも、よほど興味が湧くことだろう。


「逃がすなよ」


 中の一人が言った。現れたことに気付かなかったくらいだから、いい脚を持っているかもと警戒したらしい。

 一方カズヤは、解放された首を押さえて、それどころではない。いくらかの反吐も出た。

 自分の身長分とはいえ、その高さから急に手を放されたために、肘や膝を地面に打ち付けてもいた。

 うずくまって咳き込むカズヤの耳に、襲いかかる男たちの奇声が届いた。

 この数分で刷り込まれた恐怖が、カズヤの身体を萎縮させる。その上に、咳も止まる気配がない。

 最初は日本でも聞くことのあった、ケンカの音。拳が肉体を殴りつける、打撲音だ。

 そのあとすぐに、馴染みのない音になった。しかし察しはつく。硬質の物体が空を裂き、血肉を刻む音。

 大量に水気を含んだ物体が、地面に落ちる音も聞こえた。何度も、何度も。

 ──ふと気付くと、僅かに吹く風の音しか聞こえなくなっていた。ついでにひゅうひゅうと喘息のような、自分の呼吸もだが。

 血の海に沈む、二人の女。それを下卑た笑いで見下ろす男たち。そんな光景を想像した。しかもそれは、多少の誤りはあっても事実に限りなく近いと思える。

 おそるおそる。目を開いた。暗い地面しか見えない。当たり前だ。カズヤは膝を突いて、突っ伏している。

 男たちが居るはずの方向へ、首を向けた。


「な、あ……ええ?」


 実際にはラジオのノイズ音のような声が、漏れただけだった。しかし喉を痛めていなかったとしても、周囲に聞こえたのはそんな呻きだけだ。


「あら、痛いの?」


 先ほどの位置と変わらず、少女と女性は立っていた。服が乱れたり、息が荒れていたりということもない。

 その目の前に、ある意味では予想通りの血の海が広がっている。違うのは、その材料が男たちのほうということ。


「アルフィお嬢さまが問うています。答えなさい」


 平和と安全に呆けた日本人でも、ケンカの最中に殺気を発し、それを感じることはある。

 しかし長身の女性。ディアは、質問に答えろと言っただけだ。それでどうして、全身が震えるほどの寒気を感じるのか。

 気温が下がったわけではない。むしろ暑く感じる。カズヤの血が恐怖に凍って、脂汗を流すほどに。


「いいのよディア。苦しいみたいだもの」

「左様でございますか」


 アルフィが言った途端、その強烈な恐怖感が解けた。まだ身体は震えているが、物理的に圧迫されているような感覚は消えた。


「ねえ、あなた。治してあげましょうか?」


 治す? もう怖くはなくなったけど。

 最初にそう考えて、すぐに喉や他の身体の痛みのことだと気が付いた。

 医者かなにかか? 治すと言ったって、こんな痛みは湿布を貼るとかがせいぜいだろうに。

 などと考えていると、ディアの表情が急速に険しくなっていくのが見えた。

 咄嗟に察する。なんだか知らないが、この二人は主従関係にある。アルフィをないがしろにするようなことは、ディアの怒りを買う。


「いや……げほっ! げほっ!」

「ほら、そんなに苦しそうじゃないの。ね?」


 関わるのはまずいと考えて、断ろうとした。けれども声を出そうとすると、むせてしまう。

 優しげな声の割りに、アルフィの顔は冷めている。微笑を浮かべてはいるが、口調とのバランスがあまりにも悪い。

 そしてディアだ。こちらが返事を出来る状況かなど、構ってくれそうにない。

 その辺りを合理的に判断して、丁重に、速やかに断る意思を伝えねばならなかった。


「ディア。彼はなにをしているの?」


 結果。カズヤは、ジェスチャーという手段を採った。会話の通じない国でも、身振り手振りでなんとかなるという都市伝説は、何度も聞いたことがある。


「大したことはないから、治さなくとも良い。と、申している様子にございます」

「まあ、そんなことを? ディアはすごいのね」

「恐縮にございます」


 ようやく伝わったらしい。そのはずなのに、ディアは舌打ちをカズヤに向ける。その意図するところは、全く分からない。


「するなと言うなら、無理強いは良くないわね。行きましょう、ディア」

「畏まりました」


 立ち去ることが宣言されると、その瞬間にカズヤは、ディアの意識から抜け落ちたかのようだった。

 その清々しいまでの後腐れなさに、カズヤはありがたいと思う。

 ありがたいといえば、言葉が通じて良かった。こちらが言葉を理解出来なくとも、ディアが勘定に入れなかったのは間違いない。

 言葉が通じるというだけで、とんでもないチート。あの忌々しい女の言ったことだが、真実だった。

 ほっと気を抜いたカズヤは、この場での急激な疲労によって、意識を失った。

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