孔明はうちの兄ですが、何かご用ですか。
杉浦ヒナタ
第1話 襄陽の郊外ではじまる物語
その男は部屋の壁にもたれ、口を半分開けて居眠りしていた。
仙人が着るような白い道服。いつも持っている
「そんなに
僕は思わず呟いた。ただその場合、行き先が仙界になるとは限らないが。
僕の名前は
ここ
一方、ここで
そうして毎夜『こんな文章しか書けない、わたしはダメな奴だー』とか叫びながら泣いているのだ。もう鬱陶しくて仕方ない。
ただ、無駄に達筆なのにひかれ、一度読ませてもらった事がある。
もう、ため息しか出なかった。
そうなのだ。僕は、家事がいっぱいあって、暇じゃなかったんだ。
それでも、もしやと思い三度も読み返したのだが、書いてある意味すら、まったく分からなかった。これ、何が言いたいのだ。そもそもこれは文章なのか。
なのに、襄陽の街では結構評判になっているらしい。
恐ろしいことだ。もう、この国も滅亡が近いのではないだろうか。通ってくる子供達まで、兄の文章を習いたいとか言っている。
絶対止めておけ、あんなものはゴミだ! 僕は声を大にして言った。
そうしたら、翌日から生徒の数が半分に減った。
我が家の困窮度合いは一層ひどいものになった。
「なあ、均。ご飯これだけ?」
情けない声で孔明は言った。まったく無駄に身長が高いだけあってよく食べるのだ、この男は。
さらには無駄に顔がいいし、無駄に声がいい。
これで働いてさえくれれば……。
☆
ある日、畑から帰ると家の前にえらく立派な荷車が何台も止まっていた。大勢の男が荷物を家に運び込んでいる。
あわてて中へ駆け込むと、狭い家のなかに家財道具が山ほど詰め込まれていた。
「なんですか、あなた達は」
声を掛けるが、誰も答えてくれない。
兄の孔明も部屋の隅に押しやられ、呆然としている。
「なあ、均よ。これ、なんだろう」
そんなの、僕が知るわけがない。
やがて全ての荷物を搬入し終えたのか、男たちは去っていった。
「あ、あのぉ」
その声に僕は振り返った。
ひとりの女性が、玄関さきに立っていた。
ほっそりとして、僕より少し長身だろう。まあ、兄ほどではないが。
明るい褐色の髪を後ろで三つ編みにして、猫のしっぽのように背中まで垂らしている。ただ異様なのは、目の前に、透明で丸い、
「孔明さまは、どちらでしょう」
きれいな声で、彼女は言った。
僕は黙って、兄を見た。もう一度彼女を振り返る。
「すみません。あなたは一体……」
「はい。私は
彼女は頭を下げた。
「孔明さまの妻になるために、参りました」
僕は、その場に座り込んだ。
噂には聞いていた。洛陽の太学を主席で卒業したとか、天才的な発明家だとか。
ただ、その容貌については……。
「すみません。こんな、史上最悪のブスで」
申し訳なさそうに彼女は言った。
だが図らずも、僕と兄の孔明は同じ台詞を呟いていた。
「……いえ。すごく可愛いと思います」
誰だ、ブサイクなんて噂を流したのは。
蓮理さんは困ったように俯いた。
こうして、僕たちの新しい生活が始まったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます