パッヘルベルのカノン

「にゃぁ、にゃぁ、にゃぁ!!」

 お祝いだ。お祝いだ。お祝いだ。

 そう喜びながら、甲板に打ち捨てられた零戦へと、ナナは飛んでいく。辛うじて操縦席が残るその機体に、ナナは宝物を隠しているのだ。

「にゃぁ、にゃぁ、にゃあ!!」

 ナナは弾んだ鳴き声をあげながら、零戦の前へと降り立つ。ガバリと機体に体を突っ込み、ナナは操縦席からあるものを取り出した。

 それを、宙に広げる。

 それは、艶やかな色彩をした赤い振袖だった。染付により時計草が描かれた振袖は、パパたちから着物の話を聞いたママが、娘である翼猫たちに与えたものだ。

 マナを多分に含んだナナの振袖は、作られて数百年経つのに色褪せることがない。

 操縦席に置いてある行李から、ナナは襦袢や簪、帯、帯留めなどの小道具も取り出していく。操縦席には、小道具が置いてある行李とは別に、底が深い木箱も置かれていた。ナナはそっと木箱の蓋を開ける。かび臭い香りが、ふんわりとナナの鼻腔に届く。

 その中に入っていた物を見て、ナナは懐かしさに眼を綻ばせていた。

 レコードが設置された小さな蓄音機が、木箱には入っていた。パパたちが聴いていた曲が猫耳に蘇ってくる。

 ――パフェルベルのカノン。

 パパたちがその曲を聴くたびに、ナナたち娘は、空を飛び回りパパたちにダンスを披露した。嬉しいことがあると、パパたちはこの曲を聴いていた。そんなパパたちの気持ちをナナたちは踊ることで表現したのだ。

 木箱から、ナナは蓄音機を取り出す。蓄音機は小型だが思いのほかに重い。落とさないよう慎重に、ナナは蓄音機を木箱の横へと置いた。針を落とすと、優しいピアノの音色と、バイオリンの旋律が曲を紡ぎ出す。

 うっとりと、ナナは蓄音機が奏でる音に猫耳を傾けていた。その音に合わせ、ゆったりとした調子で、ナナは振袖を纏っていく。

 赤い振袖を纏ったナナは、空を見上げ、飛び去っていった。




 パッフェルベルのカノンが、島の静寂を彩る。その曲に合わせ、ナナは翼をはためかせる。両手を広げてみせる。

 蒼空に、赤い衣が翻る。陽光を受けて、ナナの纏う振袖は鮮やかに輝く。ナナは袖を蝶の羽のようにはためかせ、体を回す。

 踊るナナの周囲に、たくさんの蝶々たちがナナの周囲に集まってきた。ナナはアカギの甲板を見つめる。ママが蒼い眼を綻ばせ、ナナを見上げていた。ナナも、ママに笑顔を送ってみせる。

 極彩色の蝶の乱舞が、南国の空を彩る。その中央には、鮮やかな着物を着たナナが、カノンの曲に合わせダンスを踊っているのだ。

 極彩色の演舞は、凪いだ海に色鮮やかな鏡像を残していく。ゆらゆらと海面に映る自分の姿を見て、ナナは眼を綻ばせていた。

 不意に、小さな羽音が聴こえる。ナナは後方へと振り向いた。ナナの様子を不思議に思ったのか、他島の翼猫たちがこちらに飛んでくる。

「にゃぁ!!」

 嬉しさに、ナナは鳴き声をあげる。声に応えるように、翼猫たちは速度をあげて島に近づいてくる。

 ナナと同じ黒猫に、白猫、ブチに、茶虎、鯖虎、雉猫。様々な毛色の翼猫たちが、ナナの側に集まってきた。

「にゃあ! にゃあ!! にゃああああ!!! にゃにゃにゃにゃ!!」

 ナナは大仰な身振り手振りで、新しい妹が出来たことを伝える。飛んできた翼猫たちは眼を輝かせ、いっせいにナナに抱きついてきた。

「にゃ~ん」

 ぎゅうぎゅと抱きしめられ、ナナは困った鳴き声をあげた。

「みぅ」「うみゃーん」「にぃにぃにぃ」「なぁう、なぁう」「あぅん、あぅん」

彼女たちはナナを離し、良かったねと鳴き声を返してくれる。ナナは、その鳴き声に笑顔で応える。

 ナナたちは手を繋ぎ合い、くるくるとダンスを舞い始めた。

 2組のペアを作ってみたり。パッフェルベルのカノンに合わせながら、手を叩いてみたり。そのダンスを彩るように、セフィロトがゆらんゆらんと音を放つ。カノンが、静かにセフィロトの音を包み込んでいく。

 セフィロトにとまる魔女たちが空を舞い、喜びの歌を奏でていく。

「にゃあ!!」

 嬉しさのあまり、ナナは弾んだ声をあげていた。

 ――良かったね、ナナ。もうすぐ、本当の幸せが君に訪れるよ。

 ふと、頭の中に声が響く。驚いて、ナナはダンスをやめていた。眼下には緑に覆われた母艦の甲板がある。その中央に佇む大樹のママの下には、レイがいる。 そのレイが、うっすらと眼を開け、ナナを見つめているような気がした。

 驚いて、ナナは眼を見開く。

 レイが目覚めているところを、ナナは見たことがない。調停者としての役割を担っている限り、レイは目覚めることはできないのだから。

「にゃう!!」

 一緒にダンスを踊っていた翼猫に呼ばれ、ナナは我に返る。もう1度、ママの根元にいるレイを見つめる。羊膜に包まれたレイは、いつもの様に固く眼を閉じていた。

 気のせいかと、ナナは息を吐く。もし、レイが目覚めていたら。そんな期待を裏切られて、ナナは寂しさを感じていた。

「にゃう!!」

 もう1度、同じ声がナナを呼ぶ。

「にゃぅん」

 今、行くよ。

 そう鳴いて、ナナはダンスを踊る翼猫たちのもとへと飛んでいった。

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