皇女殿下の車窓より――野戦服より愛をこめて
森戸喜七
1話 御忍出発
トリブ共和国とラグーシャ皇国間の越境鉄道の最終列車出発時刻は午前10時だった。最終列車というのは、鉄道設備や車輛の老朽化が進んだことと両国ともに航空機による旅客輸送の推進に国家が乗り出したことによる。越境鉄道は設備の更新と高速電気機関車の実用化までしばし運航が停止される予定だ。これは蒸気機関車による越境運航の終焉を意味していた。
ラグーシャ皇国の西部中央都市ミカット市に位置する統合駅では皇帝皇后自らが最終運航記念式典を主宰していた。
「長きにわたって両国の平和の象徴たりえたこの鉄道と従業員の皆様に、心からのお礼を申し上げるものであります」
万雷の拍手、観客は誰しも興奮し涙すら流す者数多。その中で一人の少女が悪戯っぽく笑い皇帝皇后たる父母にウインクした。高貴な振舞いの二人は娘のしぐさに気づくと皇后は苦笑いを返し皇帝は不貞腐れたようにそっぽを向いた。娘はバツが悪そうな顔をすると気を取り直して声は出さず口をぱくぱく動かした。しかしその形はラグーシャ語ではなく皇室とその従者のみに代々伝わる秘密の言葉。皇帝皇后と皇室警護官はこっそり動く唇を見て読唇術で読み取った。
(お父様、お母様、娘の勝手を許してね。ちょっと旅行したら元気に帰ってきます。二人とも元気でね)
控室に戻った皇族一行は安堵の表情を浮かべると皇帝だけはブツブツと文句を言った。
「全くソフィアのやつ、親の気も知らんで・・・そもそもこの前あの列車よりも豪華な御召列車に乗ってトリブへ行ったじゃないか」
「皇女としてじゃなく、一個人として旅をしてみたいというのも解らなくはないではありませんか。むしろ私は、あの子があんなに目を輝かせて一人旅をねだる姿を見て安心しましたわ。健やかに育ってくれたのねって」
「しかし、市民と一緒だと」
「あら陛下、親愛なる皇国臣民を信頼なさらないのですか?大丈夫ですよ、ちゃあんと護衛の方がついているんですもの」
「変な虫でもつかなきゃいいが」
その言葉に皇后が笑いボディーガードたちも口元に手を添え上がった口角を隠した。そして皇后は諭すように皇帝に言う。
「良いお友達でもできたらいいじゃないですか」
車掌が乗車開始の案内を始める。多くの人に混じってソフィアもブリキの重いトランクを持ち上げた。周囲を固める三組計六人の男女は私服着用の皇室警護官だが、事前に言い渡した通りあえて荷物運びを手伝わない。
「いよいよ普通の人として旅ができるのね。どんな人に会ってどんなものを食べて、どんな景色を見れるのか、楽しみだわ!」
爛々と輝く目で王女殿下はタラップに足をかけた。
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