猫の機長と人の副機長

NEO

テイクオフ!!

 ガヤガヤと騒がしいブリーフィング・ルームで、私は目的とする相手をすぐ見つけた。

 ひと言でいえばに二足歩行の変わった猫だが、ぱりっと着込んでる制服の肩には機長を示す三本の金帯が入っていた。

 間違いない、超絶不運な凄腕の猫機長。名前は誰も知らないが、猫の機長など他にいないので、これで十分通じた。

「機長、おはようございます」

 私は笑みを浮かべて猫機長に声を書けた。

 カウンター状のテーブルの上で、つぶさにフライトデータをみていた猫機長が私をみた。

「お前か、わざわざ俺の便に志願したというのは。知っていると思うが、今まで一度も目的地の空港にまともに降りた事がない。変わったヤツだな、名を聞いておこうか」

 猫機長が小さな笑みを浮かべた。

「フォーリンです。よろしくお願いします」

「ああ、こっちこそな。覚悟ができたなら、こいつをみてくれ。どうにも、やっかいな低気圧が居座ってるな。快適なフライトとはいかないようだ」

 私はカウンターに置かれた紙に印字されたデータを頭に叩き込んだ。

「そうですね、飛行ルートを間違えると、キャビンがスクランブルエッグになります」

 私の言葉に猫機長が笑った。

「なかなか面白い例えをするな。だが、実際その通りだ。これは、面倒だぞ」

 私は紙をみたまま頷いた。

「はい、大丈夫です。問題ありません」

 猫機長が笑った。

「大ありだ。シャツのボタンを掛け違えている。身だしなみは大事だぞ」

「ええ!?」

 慌てて制服のシャツをみると、確かにボタンを掛け違えていた。

「大方、寝坊でもして慌ててきたのだろう。いきなりトラブルだな」

「も、申し訳ありません」

 私は慌てて身なりを正した。

「よし、いいだろう。いこうか」

「はい」

 猫機長と私はブリーフィングルームを出た。


「さて、プッシュバックの許可が出たな。俺がやるとどうもよくない。ユーハブコントロール、アイハブATCってな。ここから先は、お前がやれ」

 コクピットの左側に座った猫機長が笑みを浮かべた。

 キリンジャー発エルドルフ行きの主要幹線。

 使用機材は「テクノジャンボ」の愛称も名高い、プロウィング747-400。

 五百六十席以上が満席という、極めて重たい離陸だった。

 旧態依然としたアナログ計器ではなく、いくつものマルチファンクションディスプレイの情報をチェックし、画面の出発前チェックリストを指でタッチしてクリア表示にしていった。

「チェックリスト完了、出発準備完了」

「よし、エンジンスタートの許可が出ている。焦らずやれ」

 猫機長が小さく笑った。

「はい、問題ありません……」

 ヘッドアップパネルのスイッチをいくつか弾き、私はオートモードでエンジンを始動させた。

 一瞬パネルや照明が揺らいで戻った。

 後方から聞こえてきたエンジン音を聞きながら、私はスイッチを弾いた。

「APUカット。四機ともエンジン正常始動、いつでもいけます」

「待て、いつもの渋滞だ。全く、この空港はな」

 猫機長が苦笑した。

「だったら、エンジン始動許可なんか出すなって感じですね。燃料の無駄です」

 私の言葉に、猫機長が笑った。

「なんだ、なかなかいうじゃないか。俺も同感だ。よし、タキシングの許可がでたぞ。いこうか」

 猫機長に笑みを返し、私はポケットに入れておいた指が出る黒いグローブを填めた。

「なんだ、やる気満々だな。いいことだ」

「お守りです。そうじゃなくても、猫機長ですよ」

 猫機長が笑った。

「やるな、気に入ったぞ。まあ、あんまり待たせるな。管制塔のグランドどもがブチキレて殴り込みにくるぞ」

「分かっています。さて……」

 わたしはスラストレバーを引いて、エンジン出力をアイドルからゆっくり引き上げた。

 甲高い音が機内にまで響く中、私は管制塔の指示を復唱しながら、誘導路中央に合わせて機体を滑走路に向けた。

「待たせた次はとっとと出ていけだそうです。ローリングスタートですね」

「ああ、この空港はいつもそうだ。さっさと道をあけてやろう」

 猫機長の言葉に頷き、管制塔からの指示通りそのまま滑走路に入った。

「ではいきます」

「うむ、任せた。重いから大変だぞ」

 私はスラストレバーをマック・パワーまで一気に引いた。

 エンジンが立てる心地いい轟音と共に、機体は自慢の爆破的な推力に押されて、長く伸びる滑走路を一気に加速しながら走っていった。

 操縦桿をしっかり握り、行く先を見つめながら、猛加速いていく機体の鼓動を感じていた。

「V1」

 猫機長が小さく声を上げた。

 離陸決心速度……異常なし。離陸滑走続行。

「VR」

 猫機長の声と共に、私は操縦桿をそっとゆっくりひいた。

 ……機首引き上げ速度。

 重たい機体の機首が緩やかに上を向き、機体が浮いた。

「V2」

 猫機長が速度を読み上げた。

 ……ここでなにが起きても、もう飛ぶしかない。

 緩やかに操縦桿を引きつつけていき、機体の高度は順調に上がっていった。

 私は猫機長に笑みを送ってから、管制塔の指示通りに機体の進路を変えた。

 こうして、私たちはキリンジャー国際空港を飛び立った。


 飛行高度、三万三千八百フィート。約一万メートル。

 この便はキリンジャー国際空港から隣国のエルドルフ国際空港へ向かう国際線、シーティシー・エア1890便だ。

 離陸から一時間が経過し、コックピット内も自動操縦に任せた快適な飛行が続いていた。

 パイロット必須アイテムともいえるサングラスをかけ、強烈な日差しから目を守りながら、何とはなしにパネルをみていた。

「……ん、機長。対気速度が急激に低下を始めました」

 いいながら、私はエンジンのパワーを上げた。

「変わらないどころか下がる一方だな。パワーを戻せ、速度超過になる。これはピトー管の故障だ。ナンバー2は?」

 私は反射的にパネルのスイッチを切り替えた。

「……変わりません。低下する一方です」

「ナンバー3」

 私はスイッチを切り替えた

「……ダメです。全系統、正常に作動していません」

 私がいった時、音声で失速警報が流れ、操縦桿が派手に揺れた。

「偽の失速警報だ。この場合の対応は、エマーを宣言して最寄りの空港に緊急着陸だが、この辺りには重たい機体を下ろせる空港がないな」

 猫機長が考える素振りを見せた。

「……現在地からの飛行ルート上に、これを安全に下ろせる空港は目的地のエルドルフ国際空港しかないです。どれも、小さなローカル空港ですから。いくしかありません」

「そうだな。他に行くくらいならその方がいいだろう。不安なら操縦を変わるが?」

 私は猫機長に笑みを返した。

「よし、いい度胸だな。やってみろ」

 猫機長が小さく笑った


 国境をこえてしばらく飛び。エルドルフへの降下ポイントに入った。

 緩やかに高度を下げていくと、風に煽られて機体が小刻みに揺れ始めた。

「さて、おいでなすったぞ。気象レーダーに嫌なものが映り始めた。進路を指示する」

「了解」

 徐々に揺れが増していく機体の先には、文字通り暗雲が立ちこめていた。

 猫機長の指示で小刻みに進路を変え、なるべく雲が薄い部分に突入すると視界が全く気かなくなり、派手に機体が揺れるようになった。

「これでもマシなんだ」

「はい」

 風に揉まれながら降下を続けていると、いきなりアラームがなった。

 パネルの表示をみると『第四エンジン停止』だった。

「な、なんで!?」

「ほら、はじまった。いつもこれなんだよ」

 猫機長が笑った。

「笑ってる場合じゃありません。リブート」

 私は停止した第四エンジンの再始動を試みた。

「無駄だ、ガス欠だよ。俺もうっかりして見落としていたが、昨日から単位系が変わったんだ。どう考えても足りない。二人でボケかましたな」

「ボケじゃ済まないです。ガス欠!?」

 わたしは慌てて画面燃料計をみた。

「……マジだ。ほとんど空だ」

 再びアラームが鳴り、今度は第三エンジンが停止した。

「……この高度でこの降下率なら、なんとかエルドルフまで滑空できます」

「ああ、ギリギリだぞ。しかも、この荒天を抜けてだ」

 猫機長が笑みを浮かべ、私も笑みを返した。

「上等です。なんだって下ろしてみせます」

「うむ、若いな……」

 結局全てのエンジンが止まり、不気味な静寂の中、機体は降下を続けた。


 どうにかこうにか荒天を抜け、無動力のまま機体は滑空しながらエルドルフ国際空港に向かっていた。

「風で流された分のロスが大きい。空港は非常態勢で待っているが届くかどうかだな」

「大丈夫です。意地でも下ろします」

 私は窓を流れる景色で、大体の対気速度の目安を付けた。

「……早いけど、落としたらとどかない。突っ込むしかないな」

 やがて、前方にエルドルフの滑走路が見えてきた。

「ギヤ・ダウン」

 私の声に猫機長がパネルのレバーを操作した。

 派手な風切り音と微振動を感じた。

「……だめだ、まだ速いけど、このまま突っ込むしかない」

 空港の柵を越え、降着脚が滑走路に触れた瞬間に弾かれてバウンドし、何回かくり返しながら、猛烈な速度で滑走路を駆けていった。

「オートブレーキはもうマックス、エアブレーキも始動、逆噴射できないのでどう考えても止まれません!!」

「うむ、やはりまともには着かなかったか」

 滑走路を駆け抜けた機体はど派手にオーバーランして空港周辺のトウモロコシ畑に突っ込んで止まった。

「……」

 そっと猫機長をみると、大爆笑した。

「ナイス・ランディング。ご搭乗の皆様ありがとうございました」

 猫機長の笑いは、しばらく止まらなかった。

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