だいっきらいな高校時代の元カノと大学で仲良くするハメになったんだけど!

兎谷あおい

第1話 元カノとの再会

「やーらーかーしーたー!!!!」


 2月中旬。某大学キャンパス。校舎から出ると、もう日はすっかり傾いて、空は茜色に染まっていた。

 前もって決めていた待ち合わせ場所に着くと、既に待っていた宇佐美うさみがこちらを向いて叫ぶ。駆け寄ってくる。

 ……目立つからやめてくんないかなあ。


 って。まてまて。

 こいつは、いったい、何をやらかしたんだ?


 * * *


 宇佐美は、別格だ。

 こいつは、天才だ。


 なんでかわからんけど、勉強がめっちゃできるの。マジで頭どうなってんの。

 授業中はいっつも本読んでるくせに、いざ先生に当てられたらちゃんと答えるし、授業のミスはきちんと把握してるし、定期テストはいつもトップだったし。これは聞いた話だけど、高1の時にもう模試で東大のA判定を取ってたそうな。

 最後までD判定だった俺みたいな凡人からすると、ほんと雲の上みたいな感じだ。

 望むなら、全国どこでも――いや、本気を出せば世界のどこの大学にだって行けるだろう。東大でも北京大でもハーバードでもMITでも。


 そんな宇佐美と俺がつるんでいることに理由があるとすれば――第一志望校が、同じだからである。

 俺が東大とかMITとか受験するわけじゃない。俺はそんな天稟持ってない。

 そして、こいつが俺と同じ大学を選んだ理由はただ一つ。「気になる研究室があるから」だそうな。

 俺からすると、なんで入学前に研究室のことまで調べてるのって感じだけど。話を聞くと、もう教授とメールも交わしてるらしい。ほんと、入試前にそこまで心の余裕があるとか、心底うらやましいわ。


 それで迎えた今日――第一志望校の試験日。

 朝から夕方までみっちりテストされて俺はもう疲労困憊だけど、やらかしてはいない。きっちり、これまでの生涯の勉強の成果を解答用紙に叩き込んできた。過去問の感じからしても、なんとか合格はできたんじゃないかな。できてるといいな。

 で、だ。

 俺は知っている。宇佐美は勉強ができる。俺よりずっと。

 俺がやらかしていない試験問題で、やらかすはずがない。


 もう一度、俺の中に疑問が浮かぶ。

 こいつは、いったい、何をやらかしたんだ?


 ちなみに。

 宇佐美こいつはすぐに周りが見えなくなる性質なので、受験票筆記用具その他持ち物については前日に彼の母親と一緒に再確認を済ませてあった。インフルエンザ対策のマスクだったり、花粉症対策のティッシュもたっぷりかばんに放り込んである。

 だから、なおさらわからない。


「えっと。落ち着け、宇佐美。何をやらかしたんだ?」


「ティッシュ……」


「え? なんだって?」


「ティッシュ! 渡しちゃった!」


 ……はあ?


 * * *


 その場で話していてもらちがあかないし、何より寒かったので、とりあえず歩くことにした。大学と最寄り駅の間でカフェが目に入ったので、宇佐美を引っ張って入店する。

 どうせ甘い物を飲ませておけば満足することは知っている。カウンターでホットココアとカフェオレを頼んで、手近な席に座らせた。


「だから、ティッシュを渡しちゃったんだよ」


 ココアをすすらせると、だいぶ落ち着いてきたらしい。やや小柄で痩せた体つき、ぼさぼさっと適当に手ぐしを通されているっぽい黒髪、そして黒縁のシンプルなメガネの奥で、目があさっての方向に泳いでいる。


「誰に」


「隣の人に」


「……よく受け取ってもらえたな?」


 受験の隣の人って、受験戦争のライバルじゃん。俺の隣めっちゃぴりぴりしてたぞ。


「ほんとにそう思うよ」


 頭抱えちゃった。なんで。


「第一、なんで隣の人にティッシュ渡そうとしたんだ?」


「余ってたから」


「ノルマ達成するまで帰れません、じゃないんだぞ」


 街角で配ってるやつ、あれほんとに段ボール箱ひとつ空にするまで帰れないのかね。


「知ってる。あと、隣の子がティッシュ使い切っちゃってたから」


「こ?」


。むすめだよ。女の子」


「ほーん」


 つまり、なんだ。

 隣の席の女の子が花粉症かなんかで、ティッシュを持ってきていたけど使い切ってしまって。

 昨日の裏方の仕込みによってたくさんのティッシュを所持していた彼が、お裾分けをした、と?


 ふーん?

 男子校出身でオタク気質のこいつが、そんな細やかな気遣いできるか?

 しかも、女の子に? 女子高生に?

 ぜったいなんか理由あるでしょ。


「……ああもう! なんだよその眼は!」


「ジト眼だよ。……なってる?」


「怪しい目つきにはなってる」


 かわいいジト眼は女子の特権だよな。しかたない。


「で? どうした? 惚れたの?」


「べっ」


 コップを口元に運んでいた宇佐美から、変な声が漏れた。

 かれこれ1年弱つるんでるけど、こんな仕草をするのははじめてで面白い。


「え、そんな一瞬で好きになっちゃったんだ? ふーん?」


 あ、耳赤くなってきた。


「へー。宇佐美くんがそんなに惚れっぽいなんてなー。しらなかったなー」


「ああもう! いいだろ別に! そうだよ! 好きだよ!」


 目尻が涙でキラキラして、頬まで赤く染まってしまっている。

 こういうの好きな女性いるのかなあ。照れフェチ? ……まあいいや。


「はい、よく言えました」


 にやにや。


「……いいだろ、別に」


「悪いとは言ってないしよく言えましたって褒めただろ」


「棒読みだったじゃん」


 これじゃ話が進まん。俺はもう疲れてるし早く家帰りたいんだ。


「で、どこら辺に惚れたの? 顔?」


「そりゃ、確かにかわいかったけど……」


「まあ女子みんなかわいいよな」


「それな」


 正直、男子校で3年間過ごした俺らの審美眼は当てにならない。道行く女子がみんなかわいく見える。

 顔がいいだけで惚れてたらラブレターが1日100通は必要になってしまう。


「で?」


「本」


「ほん?」


「本ってよりは、漫画。とにかく、昼休みに読んでたの。あれを読んでる人は――女子は信用できる」


「……バカかな?」


 あ、いけねえ。心の声がこぼれてしまった。


「えっと? どっちが?」


「どっちも。まずなんで昼休みに漫画読むんだよ。普通は資料集とか開くだろ」


「え、僕も小説読んでたんだけど」


「お前は例外だ」


 一般人からするとその心臓が信じられんよ。いや。理論的にはわかるけどね。直前になって詰め込んだところで意味ないって。でもさ、やっぱり精神安定剤というか、ね。関連する事柄を摂取しておきたくなるじゃん。


「えぇ……」


「で、お前もバカだ。そもそもその漫画を読んでる女子のサンプル数いくつだ?」


「ゼロ……いや、ひとり」


「そのひとりが判断しないといけない対象でしょうに」


「えーだって信用できるもん。あれ好きな人は。ほら、佐谷にも薦めたじゃん前に」


 ああ、あれ。あの砂糖まみれラブコメっすか。


「そもそもそのラブコメを好きだという保証はあるの? ただ読んでただけじゃなく?」


「カバーすり切れてたからね、あれはちゃんと愛読してるよ」


「その辺はちゃんと見てるのかい」


 恋は盲目じゃなかった。


「まあ経緯はわかった。で、優しい宇佐美様はティッシュをあげたんだろ?」


「それだけならよかったんだけど……」


「何? 連絡先聞くの忘れたの悔やんでるの?」


「そうじゃない……」


「じゃあ何も問題ないじゃん」


「問題あるんだよ! 渡したティッシュに!」


「はあ……?」


「……名前」


 はじめは聞き取れないくらい小さく。それから、やけくそになったような口調で、宇佐美が告白する。


「僕の名前が、書いてあるの。ティッシュに。ひらがなで」


 * * *


 やっと、全貌がわかった。

 原因は、昨日の夜の荷造りだ。寒いし花粉も飛び始めてるし、宇佐美の母さんと俺はティッシュをこれでもかと詰め込んだ。そう。宇佐美宅にあったポケットティッシュを、これでもかと詰め込んだ。どうせティッシュなんて使い捨てだし、パッケージまでは気にしていなかったのだ。

 その中に、宇佐美が小学校の頃の使い残しが混ざっていた。「もちものにはぜんぶなまえをかきましょう」という号令のもと、ひらがなで丁寧に1パック1パック名前を書かれた、愛情のこもったティッシュが。


 宇佐美一也くん18歳。同年代の女子との会話久しぶり。

 会話の方に集中しすぎて、肝心の手渡すブツの確認を忘れる。結果がこれだ。


「……アホだな?」


「しかたないだろ……というか母さんと君のせいだ……」


「まあそこはちょっぴりあるかもだけど。いやでもこれは宇佐美がアホ」


「どうすればいいんだ……」


「どうもしなきゃいいよ。どうせ自然に向こうだって忘れる」


「……それはそれで嫌だ」


「嫌なら電話番号かLINE聞いてこないのが悪いんだよな」


「ぐぬぬ……」


 さっきからずっとぼさぼさの髪の毛を自分でわしゃわしゃしているので、更にぼしゃぼしゃになっている。


「ま、再会できる可能性もゼロじゃないだろうし」


「うーん……」


「同じ教室で受けたってことはまず確実に同じ学部だし」


「それもそう、だよね」


「ひょっとしたら、名前覚えられてるかもしれないな?」


「それ……うーん……嫌だけど……嫌じゃない……」


 * * *


 ――気休め程度に言っておいたこの台詞がほんとに回収されるだなんて、世の中はよくできている。

 4月。入学式。首尾よく第一志望に入学した俺宇佐美は、運命の再会を果たすことになる。



 ガイダンス開始10分前、教室に入ってきたふたり、、、の女子に、俺たちの目は吸い寄せられた。


「うさみ……くん……?」


 赤ぶちの丸眼鏡をかけたちっこい子が何やら口走っているが、俺の耳には届かない。


 なんせ――

 その隣に立ってこちらにぐっと視線を向けた女子は、俺の元カノ、、、なのだから。

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