第8話

 『目で見る言葉』を作り始めてから二年が過ぎ、今では少女もいくつかの単語を組み合わせる事で簡単な会話が出来るようになっていた。

 想いを通わせる事が出来るようになった二人は平穏で幸せな時間を過ごしていたが、何故かここ数日の魔王は少し様子が変であった。

 何か不安な事でもあるのか、ときおり表情を曇らせ溜息を漏らしている。

 そんな様子を見た少女は心配になり話しかける。


『あなた 悲しい 私 心配』

「心配してくれてるのかアリシア? 大丈夫だ、何でもない」

『あなた 嘘 ダメ』

「ふっ……アリシアには隠し事は出来ぬな……」


 頬を膨らませ少し怒ったような表情の少女に対し、魔王は笑みを零(こぼ)した後にゆっくりと不安に思っている事を話し始めた。


「俺は今が幸せすぎるのが怖いのだ……初めてアリシアが城へ来た時に、お前が辛い思いをしているのだと分かったらすぐに別れを告げようと考えた事もあった……この城から出たいと願うのなら、すぐに遠い村へ送り届けようと考えた事もあった……だが、今はアリシアにそんな考えが浮かんでしまったら、そう思っただけで体が震える……もしアリシアが居なくなったら、そんな事を想像しただけで胸が張り裂けてしまうほど苦しいのだ」

『私 離れる ない 私 あなた 一緒 永遠』


 魔王の不安を消そうと少女は優しい笑みを浮かべる。

 だが魔王にはずっと一緒に居る事は叶わぬ願いなのだと分かっていた、たとえ少女が自ら離れる事はなくとも、魔王と人間では寿命に差がありすぎる。

 どれほど強大な力を持っていたとしても、魂の量を増やし、寿命を延ばす事などは出来ない。

 人間はあっと言う間に年を取り、老い、そして消えていく……それは魔王が数えきれないほど目にし、何も感じない出来事の筈だったが、今はそれがとても辛い。

 だが、いつまでも不安な顔をしていると少女に悲しい想いをさせてしまう。


(出来ぬ事ばかりを考え、闇雲に時間を費やしてしまうのは無駄な事だ……それよりも今はアリシアに何をしてやれるのか、何をすればアリシアが幸せになるのかを考えねば)


 魔王は不安な気持ちを振り切るように少女を抱きしめる。


「心配をさせてすまなかったな、もう大丈夫だ」


 せめて少女が寿命を迎えるその日までは自分に出来る事の全てを捧げよう、そして幸せを送り続け少女の笑顔を絶やさぬようにしよう……魔王はそう心に誓い、このまま二人が幸せな暮らしを続けられる事を願った。


 だが……


 数か月が過ぎたある日、二人の幸せを脅かす出来事が起きる。

 ついに村に封印をした『勇者の剣』を手にする者が現れてしまったのだ。


(明日……いや、早ければ今日にも勇者はこの城へと来るであろう……だが何故今なのだ、何故アリシアが寿命を迎えるまで待ってはくれなかったのだ……人間が崇める神と言うのは無情なものだな……魔王である俺の願いなどは叶えてくれぬらしい)


 勇者との戦いが始まれば城は破壊されてしまうかもしれない。

 少女を巻き添えには出来ないと考えた魔王は遠く離れた村へと送り届ける事を決意する。


 少女が寿命を迎えた後ならば、魔王は喜んで死を受け入れたであろう……

 もちろん今でも死を望んでいる事に変わりはない。

 だが、少女の残りの人生を悲しみに捕らわれた状態にしてしまうのが辛かった……

 自分が傷つき、死にゆく姿を見せてしまい、少女の心に深い傷を残してしまう事が怖かったのだ…… 

 

 魔王は少女の部屋へと向かい、これから起きる事を説明した。

 だが、少女は首を大きく横に振り拒絶する。


『私 お城 残る! 私 離れる イヤ!』

「アリシア、頼むから言う事を聞いてくれ! 俺は……俺はお前を巻き込みたくはないのだ!」

『イヤ 絶対! 私 あなた 一緒 死ぬ!』

「馬鹿な事を言うな! アリシアには人間としての幸せを掴んで欲しいのだ、分かってくれ!」

『私 幸せ 今! あなた 好き 一緒 幸せ!』


 少女は大粒の涙を流しながら魔王に縋りつく。


「俺だってアリシアを愛している! 離したくはない! だが!……だが、出来ぬのだ!……」


 ついには魔王も泣き崩れてしまい、少女の事を強く抱きしめた。 

 お互いの存在を慈しむかのように抱き合い唇を重ねる二人の元へ、運命と言う名の残酷な時間が刻一刻と迫ってくる。

 どれ程の時間が経ったであろうか……少女を安全な場所へと非難させる事も叶わぬまま、勇者が魔王の前へと現れた。


 魔王の腕の中で泣き崩れる少女の姿は、勇者の目には人質に取られ怯える弱者だと映ったに違いない。

 勇者は怒りの声をあげる


「人質とは卑怯だぞ魔王!」

「ふふ……勇者よ、それがどうしたと言うのだ」


 少女の事を人質と勘違いしているのは魔王にとって好都合だった。

 今の状況ならば勇者は手出しが出来ない筈である、今のうちになんとか少女を安全な場所へと移動させなければ……魔王はそれだけを考えていた。


(くそ……このままでは戦う事も出来ない、せめて魔王の手が娘から離れてくれれば……)


 勇者は剣を構え魔王を威嚇する。

 それを見た少女は魔王の前に両手を広げて立ちはだかった。


「人間の娘を洗脳して操り、盾として利用するとは、どこまでも卑劣な奴め!」


 このままでは少女は確実に戦いに巻き込まれてしまう。

 一刻も早く自分から離さなければと考えた魔王は勇者に背を向け、少女を隣の部屋へと押し出そうとした。

 勇者はその好機を見逃すことなく、大きく剣を振り上げると、そのまま一気に切り付けてきた。


「覚悟しろ魔王!」


 だが、その動きに気付いた少女は咄嗟に勇者と魔王の間に割って入ってきた。

 魔王は持てる力の全てを勇者に向けて放ち、その存在を消し去る事で回避しようとしたが、ほんの僅かの差で剣は振り抜かれてしまった。

 勇者の剣はか弱き少女に致命傷となる傷を与える事となる……


「アリシアー!」


 魔王は少女の上体を優しく抱き起こす。

 胸からはおびただしい量の血が流れ、魔王にはどうする事も出来なかった。

 少女は僅かな笑みを浮かべ、弱々しく手を動かす。


『あなた……無事……嬉しい……』

「何も話すなアリシア! 俺が何とかする! だから……だから死ぬなアリシア!」

『あなた…………好き…………』

「アリシア! 頼むから目を開けてくれ! 頼むから俺の言葉を見てくれ!」

『…………………………』

「頼むから……頼むから、もう一度俺を抱きしめてくれ……」

『…………………………』

「うわぁぁぁぁぁぁぁ!」


 魔王の悲痛な叫び声が城全体に響き渡る。


 だが……魔王に抱かれた少女が目を開ける事はなかった……

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