第7話

 魔王は少女と共に城の中にある広間へと戻ってきた。

 そこには先ほど買った衣服や食料が箱に詰められた状態で積み上げられている。


(服などはアリシアが自分の分かりやすいように片付けた方が良いな……だが他の物は俺が片付けないと)


 魔王は積み上げられた箱を開け、中身を確認しながら少女に関する物を部屋へと運び込んだ。

 少女は新しい服を手に取り、一着ずつ喜びを噛み締めるように身に当てると、嬉しそうにその姿を鏡に写し見つめていた。

 魔王はその様子を満足げに眺め、その後、雑貨や食器などを棚や引き出しにしまおうとする。

 しかし、ある事に気が付いたのかその手を止めてしまった。

 魔王が片付けを全部やってしまっては、何がどこにあるのか分からなくなってしまい少女が困るのではないか、そう考えたからだ。

 引き出しに入っている物の名前を書いて貼っても文字が読めない少女には意味がない。

 かと言って大きな紙に地図のような案内を書いたとしても、結局は収納した場所に文字を書かなければならない。

 あれこれと思案した結果、魔王はベッドの時と同じように、引き出しに入っている物の絵を描き、その紙を貼り付ける事で中身が分かるようにしようとした。

 だが、それは思っていた以上に困難な作業となる。


(まずアリシアが食事を作る為に必要な物から始めるか……)


 魔王には食べると言った行為は必要ないが、少女にとって食事は命に係わるほど大切な事だ。

 なので魔王は最初に調理場に関する物が入った箱を整理することにした。

 包丁やザル、スプーンやフォークと言った道具は、たとえ魔王の画力が低くても比較的簡単に描く事ができた。

 しかしはっきりとした形の無い物を書く段階で思わぬ苦戦を強いられる事となる。

 例えば塩や砂糖と言った粒状の物や、酢や調理酒のような液体状の物はどう描けばよいのかが分からない。

 

(砂糖と塩はどう描き分ければ良いのだ?) 


 見た目は同じような白くて小さな粒なのだから、点々を多く描いた所でどちらがどちらなのか判別はできない。

 しばらく悩んだ末に、魔王はそれぞれの物を入れる容器の形で描き分けられるのではと思いつく。


(そうだ、確か人間は砂糖は匙で掬って使っていたが、塩は小瓶に入れて振りかけていたぞ)


 良い考えだと描き始めたが、またしても手が止まった。


(いやいやいや、小瓶に入れて使うと言えば確か胡椒も同じだったと思うが……う~ん、どうやって描き分ければ……よし! 胡椒は小瓶の横にクシャミをしている顔を描けばアリシアにも分かるだろう)


 多くの難問を突き付けられた魔王の思考はとんでもない方向へと向かってしまい、最終的には少女に半分も意味が伝わらない落書きが城のあちこちに貼られる事となった。

 その結果しばらくの間、少女はその絵が何を意味しているのか分からないまま引き出しを開け、中身を確認した後にその絵が中に入っていた物を示しているのだと理解し、そのつど笑いが止まらなくなり何も出来なくなってしまうと言った状況に陥る事となる。

 

 それから数週間の時が過ぎ、少女も城での暮らしに慣れてきた頃、魔王はある事について思い悩んでいた。


(思いのほか時間は掛かるが、絵を描いて何かを伝えるのは可能だと分かった、だが、それは一つの事を伝えているだけで決して会話をしているとは言えぬ……俺はアリシアと話がしたい……俺の想いをアリシアに伝え、そしてその答えをアリシアから伝えてもらいたい……笑顔になれる事柄も、涙を流す事柄も、その想いの全てをアリシアと共有したい)


 それは言葉を知らない少女には無理な事だと分かってはいる。

 文字を知らない少女には出来ない事なのだと理解はしている……だが、魔王はどうしても諦める事が出来なかった。


(そう言えばアリシアは首を縦や横に振る事で『はい』と『いいえ』の意思を表した事があったな)


 魔王は少女に優しく抱きしめられた時の事を思い出していた。


(声と言う音の組み合わせで言葉を作るのではなく、目に見える動作で言葉を作れば良いのではないか? そうだ! その物を表す動きで、俺とアリシアだけが理解できる『目に見える言葉』を作れば良いのだ! そうすればアリシアと会話が出来るぞ!)


 魔王は喜び勇んで少女の元へと向かった。

 そして何かあったのかと見つめる少女に対し『昨日収穫した桃を二人で一緒に食べたい』と言った想いが簡単な動作で伝わるかどうかを試してみた。


(こんな形の物なのだが分かるかアリシア? これをだな……)


 魔王は空中に指で丸い形を示した後に、それを掴んでかじる仕草をした。

 不思議そうに見つめていた少女は何かを理解したのか、笑って頷いた後に調理場から林檎とナイフを持ってきて皮を剥き始める。

 そして切り分けた林檎を皿に乗せると魔王の前へと差し出した。


(なるほど、アリシアは丸い物で林檎を思い浮かべたのか、それを俺が食べたがってるのだと思い用意をしてくれたのだな……正確に伝わった訳ではないが、それでも工夫をすれば絵を描くよりは早く伝える事が出来そうだ)


 林檎を食べながら魔王は『目で見る言葉』の可能性に喜んでいた。

 だが、この時の魔王は聞こえない者に対して新たな言葉を作る事の大変さを理解していなかった。

 それは、仮に桃と林檎の動作を二つ考えたとしても、この動作が林檎を表す、こちらの動作は桃を表すと言った説明の部分が少女には伝わらないからだ。

 それでも魔王はくじける事はなく、どんな動きをすれば物の名前や感情を伝えられるかを一生懸命考える……

 そして一つ一つ新しい動作を考えては時間を掛けて何度も何度も繰り返して少女に見せた。

 そう……言葉とは『誰かに想いを伝えたい心』なのだ……

 少女もそんな気持ちが分かったのか、少しずつではあるが単語を覚え、魔王の想いに答えようとする。


 そこには誰にも邪魔をされない、二人だけの優しい時間が流れていた。

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