五月十一日

眠りに落ちる直前の、もう次は目を覚まさないかもしれないという漠然とした恐怖。

これだけならば健常人であったとしても偶に頭をかすめるだろう。

しかし気づかぬうちにその不安は彼方へ消え去り、心地よい眠りに落ちていく。

だが、死が目前に迫りその不安が現実として己の身の丈を超え、今まさに襲い掛かろうとしている彼にとって、その不安は決して瑣末なものではなく、到底受け入れ難いものだっただろう。

想像を絶するほどの恐怖に一体何度そのシーツを握りしめたのだろう。

彼の掌の下、皺だらけとなったシーツがその恐怖のほどを物語っている。


小さな病室に、十人以上の親族を含めた彼の知り合いが所狭しと佇んでいた。

ベッド脇に跪き目も当てられないほど嗚咽する親族。彼等を囲むように佇む同じ医学部5年の同期生、後輩、そして彼と親交のあった先輩。

中には卒業して既に医師として働いている研修医の先輩も居た。自らが働く病院で後輩を看取るその辛さは如何程だろうか。

病室の至る所から、抑える必要のなくなった嗚咽が聞こえてくる。


言葉にできない苦しみと恐怖が彼を飲み込んだはずだ。動けず喋れないまま、物言わぬ肉塊となった彼。

死に瀕し、ヒトは何を考えるのか。訊こうにも彼等は生を終えている。死者はすべからく答えない。


人と人の間から僅かに見えた皺だらけのシーツ。

その上に横たえられた左腕を見遣る。

そういえば、始まりは内肘の小さな1つの発疹だった。

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