第24話 渡部ヒカル
一時間後、島崎は日吉駅近くのファミリーレストランで遅塚とウグイス嬢と向かい合っていた。
「えっとね、この子がウグイスやってたヒカルちゃん」
「
あまりにも遅塚とは雰囲気も態度も言葉遣いも違う。これで仲良しだというのだから人の相性とは不思議なものである。
「私は捜査二課の刑事で島崎といいます。せっかくお二人でお過ごしの時間にお邪魔してすみません」
島崎が頭を下げると、ヒカルは感情のこもらない顔で「いえ、全然大丈夫です」と言った。
それにしても全身『きゃぴきゃぴ』な遅塚とハードを絵に描いたようなヒカルは見事に好対照だ。
服装も、真夏だというのに、迷彩柄のカーゴパンツにカーキ色のミリタリージャケット。インには黒いTシャツを着て、足元はハードな印象の黒の編み上げワークブーツだ。髪もショートカットでナチュラルメイクに迷彩柄のワークキャップ。アクセサリーといえば、太めのチェーンに通したダブルクロスのシルバートップペンダントと、アウトドア仕様の腕時計だけだ。
「あのね、ヒカルは普段からこんな感じなの。島ちゃんのこと怖がってるわけでも緊張してるわけでもないから、大丈夫だからね。ね、ヒカル?」
「はい、問題ありません」
今はこういう子も普通にいるのかと、地味にほんの数年のジェネレーションギャップに驚きつつ、島崎は無理やり曖昧な笑顔を作る。
「お二人はどちらで知り合ったんですか?」
思いっきり捜査とは無関係だと思いつつも、訊かずにはいられない。それくらい異質な二人だ。
「あのね、あむりんもヒカルも、ナレーションの学校行ってたのね。ヒカルはナレーション科、あむりんは声優科ね」
なるほど、それならわからなくもない。遅塚のアニメ声はそのまますぐに使えそうな雰囲気だ。だが、この渡部ヒカルはこのスーパーハードな雰囲気でナレーションなどして大丈夫なのだろうか。
「渡部さんは西川議員のところでウグイス嬢をされてたんですよね?」
「はい。選挙の前だけ一週間呼び出されるような感じです」
この無表情・無感情の低音ヴォイスでウグイス嬢……謎過ぎる。サバイバルゲームの帰りというなら理解できなくもないが。
「ちょっと軽くやっていただけますか?」
ヒカルは俯き加減だった顔をスッと上げた。と同時に表情が変わったのである。
背筋がしゃんと伸び、口角と頬が上がる。何が始まったんだ?
「等々力の皆様、おはようございます。都議会議員候補、西川修、西川修でございます。西川修は都民の皆様のお声を、必ずや、議会にお届けいたします。どうぞ、西川修をよろしくお願い申し上げます。お手を振ってのご声援、誠にありがとうございます。皆様の応援を心の糧に、西川修、これからも一層精進してまいります。どうぞ、この西川修、西川修を皆様のお力で議会へと送り出してください。ありがとうございます、都民の皆様と共に、西川修、西川おさ――」
「あ、もういいです」
渡部の顔が元に戻った。これがプロか。別人が乗り移ったようになるというか……何かに憑依されているという方が、表現としては的確かもしれない。
「いや、凄いですね。驚きました」
「ねー、ヒカル凄いでしょー? あむりんもびっくりー!」
島ちゃんもびっくりだよ、と心の中で島崎も訴える。
「で、ヒカルさんが最初に匿名の告発を見つけたんですね」
「はい」
すでに棒読みに戻っている。これが渡部ヒカルの通常運転らしい。
「ヒカルさんはどんな被害を受けて、どういう告発をなさったんですか?」
と言ったところに食事が運ばれてきた。二人は一緒に夕食をとる約束をしたらしく、折角なので島崎も一緒に夕食をとることにしたのだ。
ウェイトレスが去ったのを見計らって、再びヒカルが口を開く。
「私は選挙カーの中でスカートの中に手を入れられました。翌日パンツスーツで行ったら、後ろからブラウスのボタンを外されて中に手を入れられました」
淡々と報告するのが妙に怖い子だ。この子にすら手を出すのだから、西川も相当のもんだ。
「その次の日はボタンを外されないように、頭から被るタイプのカットソーを着てパンツスーツで行きましたが、裾から手を入れられてブラを外されました」
これは聞いている島崎の方が申し訳なくなってくる。自分がやったわけではないのだが、西川の代わりに謝りたい気分である。
「ナマ乳揉まれて非常に腹が立ったので、西川議員のスキャンダルでもないものかとネットを流し見してたんです。拡散してやろうと思って。それが、先月になって『Me too』のタグが付いた匿名の投稿を見つけたんです。それで私も同じようにタグをつけて、西川にされたことを全部書きました。私がやったのはそれだけです」
「それをたまたま見つけて、あむりんも同じタグ付けて拡散したのー」
なるほど、一人がやる事は僅か一分で説明できる程度の事だが、拡散されることで大規模な運動になって行くわけだ。
「私としては西川修を社会的に抹殺できたので既に満足です」
そう言ってオムライスを食べ始めた。この雰囲気でこのセリフは、なかなかに迫力がある。
つまり彼女たちは訴訟を起こすよりも簡単に社会的に葬りたいわけだ。これが簡単にできてしまうのだから、逆に悪用されると恐ろしい事になりそうだ。だからこそ桐谷は言葉に責任を持たせるために実名でと言ったのだろう。そしてそのリスクを承知した者だけが自分の責任で行動せよと。
結果、彼女たちは実名で『Me too』運動に参加してしまった。それで心配した桐谷が……あれ? どうやっても桐谷が扇動したようにはならない。
「二人とも匿名投稿は誰だかわからないんだよね?」
二人は顔を見合わせると、それぞれ首を傾げた。
「あのエロ親父、キモすぎて女の子たちには徹底的に嫌われてたしー、心当たりありすぎて、あむりんわかんなーい」
「私もわかりません」
ですよね……と、島崎は頷くしかない。
「あ、でも」とヒカルが何かを思い出したように言った。
「エミール・ガレっていうアカウントがあったのは覚えてます」
「エミール・ガレ? 知り合い?」
「フランスのアーティストです。ガラス工芸とか凄い有名です」
ヒカルとガラス工芸のミスマッチに島崎が首を捻っていると、それを感じ取ったのか彼女は言葉を継いだ。
「私、カトリックの小学校に通っていたんで、六年生の図工でステンドグラスをやったんです。その時に先生がエミール・ガレの作品をたくさん紹介してくれました。トンボをモチーフにしたものが多いんですよ」
なるほど、人は見かけによらないとはこのことだ。今こんなハードな格好をしていても、カトリックの学校に通っていたとは、島崎にはかなり衝撃的だ。
結局、最初の匿名投稿者はわからず終いだが、アカウントが一つだけ判明しただけでも収穫だろう。あとは吉井に任せておいた方が良さそうだ。
それより。また西川の余罪が一つ明らかになった。島崎はこれを手土産に署に戻ることにして、とりあえず不思議なコンビの女の子たちと夕食を楽しむことにした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます