第15話 佐々木

 登山サークルのメンバーは七人。


 阿久津文明、六十歳。東都大学経済学部卒。東小金井に本社を構える建設大手、川井建設経理部長。業務上横領容疑で逮捕。自宅は会社の近く東小金井。

 西川修、六十歳。東都大学法学部卒。都議会議員。世田谷区奥沢在住。強制猥褻容疑で逮捕。

 内藤きよみ、五十九歳。東都大学経済学部卒。江戸川区小岩で小料理屋を経営。アパレルメーカー経理、クラブのホステス、スナックのママを経て、現在に至る。

 木立美琴きだちみこと、享年五十六歳。東都大学経済学部卒。千葉県市川市。専業主婦。夫に先立たれ、後を追うように他界。

 ここまでがアウトドア組。


 桐谷武彦、六十歳。東都大学教育学部卒。船橋商業高校でこの春まで簿記の教師。住所は江戸川区上篠崎。

 中橋洋一、五十九歳。東都大学芸術学部卒。アートギャラリーナカハシのオーナー。自宅・ギャラリー共に世田谷区深沢。

 宮脇恵美えみ、享年二十六歳。東都大学経済学部卒。当時の住所は横浜市港北区綱島駅近く。

 この三人がトレッキング組。


 木立美琴と宮脇恵美は他界。宮脇恵美と桐谷武彦は付き合っていた。阿久津は中橋の客だった。怪文書が届いたのは阿久津、西川、中橋。接点は登山サークル以外に無い。


 どこから崩したらいいんだ――島崎は焦っていた。急がないと日が暮れてしまう。川畑は大丈夫だろうか。

 何が『一番価値のあるものを奪ってやる』だ、ふざけんな。お前が誘拐した女は中橋にとって価値なんか無い、だ。くそっ。

 島崎が無言でドンとテーブルを叩くのを見て、カフェの客が一斉に彼の方を向く。「落ち着け、俺」と心の中で自分に言い聞かせる。


 待てよ? 西川にとって一番価値のあるものが都議会議員の肩書だとして、その地位を奪ったのは強制猥褻の被害に遭った女性たちだ。そして阿久津にとってのそれは経理部長というポストであり、それを奪ったのは内部告発した人間だ。そこを洗えば何か出てくるんじゃないのか。なぜ俺はそこを見落としていたんだ、一番簡単じゃないか。

 島崎は大急ぎでスマートフォンを出した。


「島崎です。阿久津の件ですが、内部告発した人物のデータを送って貰えませんか。今すぐ!」


***


 ネイビーのスーツに身を包んだ二十代後半の青年が、島崎の方をチラチラと伺いながら近づいて来たのが見えた。島崎は立ち上がって軽く会釈をした。


「島崎です」

佐々木ささきです。お待たせして申し訳ありません」

「こちらこそすみません、突然お伺いして。会社の方に不審がられたりしてないですか」

「大丈夫です。遠方の友人が会いに来てくれたと言っておきましたから」


 内部告発者にとっては、告発したことを会社に知られるのは何よりも恐ろしい事だろう。しかもまだこんなに若い。今ここで知られたら、この先会社に居づらくなるのは目に見えている。この辺りは細心の注意を払わなくてはならない。

 会社に知られないように、彼の自宅近くにほど近い西武多摩川線是政これまさ駅近くの喫茶店で待ち合わせた。ここなら会社関係者に会う事はない。


 腕時計を確認すると十九時少し前、まだ空は微妙に薄明るいが、街灯はとっくに点いているし、道行く車や自転車もライトを点灯している。川畑はどうしているだろうか。酷い事をされていなければいいが。


「何をお話したらいいでしょうか」


 佐々木は細長い顔の中で目一杯自己主張している頬骨と、八の字に下がった眉毛の間に落ち着いた目で、じっと島崎を見つめて聞いて来た。


「例の件ですが、あなたはどうやって彼の不正を見つけたんですか」

「二重帳簿ですよ。元々そういう噂はあったんです。部長が数年前からどことなく雰囲気が変わったもので」

「雰囲気が? どんなふうに変わったんですか」


 佐々木は運ばれてきたアイスコーヒーで喉を潤すと、声のトーンを下げた。


「それまでは部内でバーベキューとかやってたんですけど、いつも部長がワゴン車でバーベキューセットとか炭とか持って来てくれたんです。アウトドア好きもいいけど、部長が張り切りすぎてちょっとみんな困ってたんですよ。中にはアウトドアが苦手な人もいるんで」


 確かにそれは言えている。だが部長が率先していたら参加しないわけにはいかないだろう。


「それが数年前からバーベキューやらなくなったんです。いつもバーベキューのときに乗って来ていたランドクルーザーがいつの間にかBMWに変わっていて、土日は社長や他の会社の人達とゴルフに行くようになりました。私服のセンスも変わって、なんていうかちょっと派手になったというか。一言でいえば、羽振りが良くなったって感じです。それでみんな言葉にはしなくてもちょっとおかしいなとは思ってたんです」


 なるほどそれが会社の金に手を出し始めた時期か。


「その頃からずっと部長秘書をやっていた人が急に会社を辞めたんですよ。その少し前に、部長の部屋から怒鳴る声が聞こえて来て」

「怒鳴る声? どっちのですか?」

「秘書の方です」

「なんて言ってたか聞き取れました?」

「もうこれ以上はできませんって言って、その秘書が出てきたんです。その翌日、辞表を提出して、二度と会社に顔を出さなくなりました。お別れ会すら開いてあげられなかった。その直後、彼の代わりに秘書を命じられたのが僕なんです。そこで帳簿の付け方を教わって。それがどう考えても二重帳簿だったんで、彼が辞めた理由がわかったんです」


 佐々木は静かに、だが怒ったように言った。辞めた秘書の先輩を慕っていたのかもしれない。


「なるほど……それであなたはどうしたんです?」

「突っぱねました。こういうのは最初が肝心なので。僕にはできません、と。生まれてくる子供に顔向けできないような情けない父親にはなりたくなかったんです」

「おめでたなんですか」


 佐々木はそれまでの緊張した表情を少し崩した。


「はい、来月生まれる予定なんです。やっぱり、父として子供に見せられる背中でありたいじゃないですか」

「おめでとうございます。そうですね、子供が誇れる父でありたいですね。私は結婚してないんですが、子供ができたらきっと同じように考えると思いますよ」


 結婚。そんなことは考えたこともなかった島崎だが、言われてみれば島崎も十分適齢期に突入している。

 こうして子供の誕生を心待ちにしていることを言葉にする時、父とはこんなにも優しい表情をするものなのか。彼は島崎とほとんど年齢は変わらない。家庭を持っているのと持っていないのとでは、こんなに自分の行動の指標が変わるものなのか。

 島崎はふと考える。俺は誰かに見せられる背中を持っているだろうか――。


「内部告発をする事は、元秘書の先輩に相談なさったんですか?」

「いえ、彼とはそれっきり連絡が取れなくなってしまって」

「では、お一人で決断されたのですか?」

「別の人に相談しました。ちょうど高校の同窓会があったんです。僕たちの恩師が定年退職されると聞いたので、みんなで集まって恩師を囲んで。その時にその恩師に相談に乗っていただきました」

「同窓会ですか。どちらの高校をご卒業なさったんですか?」


 まさかここでこの言葉を耳にすることになろうとは。


「千葉の船橋商業高校です」

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