君が待つ最果て 〜異世界転移した平凡JKと、神の国の皇女の物語〜

@nakiriarata

プロローグ side-A 平凡JK、喚ばれる



 小さい頃の私は、それはそれは泣き虫だった。


 夜の闇が怖いと言っては泣き、ひとりが寂しいと言っては泣き、迷子で心細くなっては泣き、死んだ両親を思い出しては泣き。


 その度に駆けつけて、私の頬を伝う涙を拭い、手を差し伸べてくれた兄は、もういない。





 西暦二○XX年、日本。とある地方都市にて。




「金がない」



 私は呟いた。事態は深刻である。


 春も盛りを過ぎた頃。高校の授業を終え、バイト先に向かう私の足取りは重い。セーラー服を翻し青春を謳歌しているはずの女子高生が零したにしてはあまりにも暗い溜め息だが、それもそのはず。


 財布の中の全財産は五百円と少し。家の冷蔵庫にもろくな食材がなかった。買い置きのカップ麺が三つと、あと何があったっけ。鞄の中には飴とお菓子が少々。心許なさすぎる。


 今は月末である。バイトの給料が出るのは、掛け持ちしているうち一番最初の店でもあと三日。上記の食料だけであと三日、凌がなければならない。……これ何て無理ゲー?


 項垂れながら金策に頭を巡らせる。視線の先、安物のローファーの縫い糸がほつれてきていることに気づいて、さらに落ち込む。



「店長に頼んでみようかなあ……」



 お給料前借りさせてください、って。勤務態度はそれなりだし、もしかしたら許してくれるかもしれない。


 亡くなった両親と知り合いで、その伝手で雇ってもらっているバイト先の店長は、当然ながら私の家の事情を知っている。両親とは幼い頃に死別していること。年の離れた兄がいるけれど、わけあって今は一人暮らしだということ。親戚の援助だけでは到底足りないから、食費光熱費その他諸経費すべて、私がバイトと両親の遺産のやりくりで賄っていること。



(家賃に携帯料金もあるけど、何とかなるか……やっぱバイトもう少し増やそうかな……うーん……ほんと四月は出費が痛い。新学期なんて何にもありがたくないなあ、高二にもなると)



 大変じゃない、と言ったら嘘になる。華の女子高生が部活もせず恋愛もせず、倹約とバイトに勤しむ日々を送っているのだ。親戚が勧めるように彼らの家にご厄介になるか、あるいはもう少し家賃が安いアパートに引っ越すかしたら、きっと生活は少しは楽になるのだろう。だけど、自分で決めたことだから。


 私のたったひとりの家族──兄が帰ってくるまで。私が、お兄ちゃんと暮らしていたあの部屋を守るんだ。一年前、そう決めた。


 鞄からスマホを取り出して確認すると、現在午後三時を少し過ぎたころ。これからバイトだ。よし、と小さく呟いて、気合いを入れた。


 泣くな、めげるな、挫けるな。自分に言い聞かせて、私は今日もこの世界を生きている。いつかきっと努力は報われるはず、いつかまたお兄ちゃんと笑いあえる日が来るはず。



 ──その時の私は、確かにそう、信じていた。







 住宅街の合間を流れる川にかかる、橋を渡っているときだろうか。


 声を、聞いた。私は立ち止まる。



【──……で……いで……】



「……声?」



 首を傾げた。男とも女とも判別がつかないほど微かな声が聞こえる。



(……何これホラー?)



【──…いで……ちらへ……】



 空耳なんかじゃない。確かに聞こえるのだ。手招きするような、声が。


 きょろきょろと辺りを見回すが、橋の上にいるのは私だけだ。河原なんてものもないし、周りは住宅街が広がるのみ。一体どこから。


 ──そのときの私が、一体何を思ったのか。


 いくら後から考えても、きっとわかりはしないだろう。理由なんてなくて、ただ、考えるより先に体が動いていたのだから。呼ばれた──そう、感じた。


 私は欄干から身を乗り出し、下方を流れていく川を覗き込む。



【──こちらへ、おいで】



「……ッ!?」



 一瞬のことだった。欄干に近づいた私の手を、何かが、見えない誰かの手が、掴んだ。


 そして──私を橋から引きずり落とす。



「嘘、何これ……ッ!?」



 重力に従って落下する。徐々に接近する水面は、水しぶきと冷たさをもって私を迎えた。漸く叫ぼうとした私の肺に、水が流れ込む。その間にも、体にまとわりついた『何か』が私を底へ底へと引っ張っていく。がむしゃらにもがいても、掴むのは水ばかり。


 息が苦しい。肺が水に浸食されていく。見上げれば、私の口から漏れた最後の呼気がうたかたとなり上へと上っていくのが見えた。伸ばした手が何かを掴むこともなく、光が遠ざかっていく。闇と水と恐怖が、私を取り囲んでいる。



(助、け……)



 ああ、そろそろ限界だ。人生何が起こるかわからないなんて百も承知だけど、まさか、こんな。体から力が抜けていく。真っ暗な水底をただ一人、私は。


 落ちて、いく。



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