第32話 礼子は野々宮と神戸の姉を訪ねる

 野々宮は礼子さんからアポを取ってもらい姉の雅美のいる神戸を訪ねた。

「車は口数の少ないあなたには打って付けだけど、もっと人と接する努力をしなさい」と車でなく礼子は電車を勧めた。確かに車は目的地まで誰にも会わないで行けるけれど、それじゃ神戸はつまらないと言い出して電車で行った。

 礼子は阪急で行くと言っていた。時間に余裕がなければJRにするけれど、やはり阪急の方が落ち着くらしい、京阪はもっと落ち着くけれど遊び心が有るときだけ乗ると言っていた。だから礼子はいつも神戸まで足を伸ばす事はなかった。

「神戸には行かないのですか?」

「雅美姉さんには悪いけど帰りを考えたら大阪までなの」

「三十分しか違いませんよ」

「まあ理屈はそうだけどその三十分は大阪にいたい」

「礼子さんは神戸より大阪が好きなんですか」

「残念でした。本当は神戸の方が旅情が有るけど、大阪はガサツなのよだけど人情が有るわ」

でどっちがいいんだろうと思案する内に私鉄電車は三宮駅に到着した。正面から六甲の山並みが見える。かなり急峻な山肌が迫る。ここを源氏の若大将が馬で駆け下りたのかと思う間もなく礼子はサッサと先を行く。野々宮は慌てて追っかけた。礼子は改札を抜けて真っ直ぐ山の手へ行くかと思えば急に横の道に逸れた。それを問うと「手ぶらって言うわけにもいかないでしょう」と微笑んでる。

「そうですねじゃぼくが買います」どこの店がいいかとアーケードの商店街へ踏み込んだ。甘い物には縁のない野々宮を見て任せられないのか礼子が先に進み出た。

「あなたは雅美姉さんの好みが分からないでしょう」

「じゃあぼくが払いますから品物は礼子さんに任せます」

「そう云うことはいちいち言われなくても率先してやることよ」

 営業マンとしては失格ねと笑ったが、でも売り物が売り物だけに難しいとこねとも言った。

「今まで失敗したことはないの?」

「喪主は必ず入ってくれました」

「一晩親族に代わって寝ないでローソクの火の番をされてるんだからグッと来るわね、お父さん感動してたわよ」

「そうですか、であなたは」

「おじいちゃんには振り回されたからそれほどでもないかしら、でもこう云うのって後から効いて来るのよね」

「遺産ですか」

 それには答えず「何であんな遺言なの?」と首を傾げていた。

 彼女は寄り道してアーケードが連なる小綺麗な洋菓子店で手土産のケーキーを買った。

 礼子は珍しい物を見つけては色んな店に立ち寄っていた。平日の昼間の商店街をくつろいでいるのは年配者だ。若者はサラリーマンか近くのビルに勤務する制服女子社員たちが歩いていた。この時間は若い男女のペアは少なかった。制服姿の高校生のグループもいた。やはり神戸は小綺麗な店が軒を並べていた。礼子はそんな人々の間をノンビリと歩きながら姉のマンションへ辿り着いた。

 招かれた部屋の窓から港が見えた。あんたが神戸に来るのは久しぶりね、と言いながら土産のケーキと一緒に紅茶を出してくれた。今日はあたしでなく宇土原に用があったのね、と言いながら主人を呼んだ。

「よかったわ、主人は明日シアトルへ出るから、行ってしまえば四十九日は無理だったところ」

宇土原は席に着くなり、挨拶もそこそこに事前の用件、クルーズ船で会った長沼の事を話し始めた。

横浜を発ったクルーズ船は函館、小樽と寄港してから利尻、礼文の沖を通り宗谷海峡を抜けた。直ぐに樺太南端の能登呂岬が見えた。留多加の海岸に沿って北上して大泊(おおとまり)に入港した。

 クルーズ船はコルサコフ(大泊)に停泊してバスでホルムスク(真岡)に入った。真岡は仰るとおり海に沿って伸びた長い街並みは神戸に似ています。けれどビルは少なく低い家屋が並んでいた。埠頭にはクレーンが林立した光景は、おそらく戦前かもっと昔の発展する前の神戸を想像するには充分な眺めだった。

 宇土原は妻からクローズ船で祖父の樺太での印象を礼子に聞かせてほしいと頼まれた。今度の事では無理もないと、義妹には知ってる限り正確に伝えようと思った。

 長沼さんから昔樺太で過ごした想い出を辿りたい、と頼まれて地元の運転手に案内してもらった。ロシアの辺境の地である樺太は、四十年以上経っていたが景観は変わってなかった。真岡郊外に在る洋館建てのアレクセイの家は、今もそのままだが住民は代わっていた。 

 長沼夫妻と宇土原は中を見せてもらった。戦後直ぐに入植した家の持ち主は、昔の住民も同じロシア人だと知っていたが、その後の消息は分からなかった。

暖炉だけは昔のままだが間取りや飾り、調度品のすべては長沼の記憶とはすっかり入れ違っていた。馬橇用の馬が飼われていた納屋には日本製の中古車が収まっていた。長沼はその一角を撫で回していた。宇土原の質問に我に返ったように狼狽したが直ぐに何でもないと否定した。地面を見詰める顔が尋常ではなかった。どうもその辺りに何か埋めてあったのではと今でも宇土原は推測している。それを知っているのは今では永倉だけである。

 住人から地元の古老を紹介され、その古老がアレクセイ・ラブリネンコの墓を教えてくれた。古老は樺太に取り残された朝鮮人であった。

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