第12話 礼子と野々宮は丹後へ2

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 永倉さんのお母さんはシングルマザー、夫の暴力に耐えかねて五歳の彼を抱えて離婚したと聴いてます。お母さんは祇園で働いていた時に祖父と知り合い三年後に事故死して、その息子さんを祖父は引き取って自宅で育てました。

 最初に彼が来た時の事は良く覚えてる。冬の珍しく雪の降った日に部屋に連れてこられて家族の前で頼るものは此処しかないと紹介された。それから私たち三人姉妹に庭で一緒に遊ぶように云われました。残った家族とどのような話がされたかは分からない。とにかく私たちは借りてきた猫のような彼を外へ引っ張り出した。打ち解けない彼を見て井津冶じゃなくてひつじだわとからかうと、そうねひつじひつじと云って二人の姉はメリーさんのひつじを彼に向かって歌い出した。やっと途中から彼も歌い出して表情をほぐしてくれた。姉たちは受験に追われるから、歳の近いあたしと自然と遊ぶ時間が増え、ケンカもできる仲になった。小学校の頃はよく泣かしていたけれど、中学からは腕力では勝てないから口げんかで負かしていた。

「おてんばだったんですね」

「あの子が弱すぎるのよそれでイライラするのあの子を見ていると」

「自分が情けないからでしょう」運転しながらチラッと彼女を見た。

 どこかの神経に障ったのか彼女の瞳が凝固した。それからさも取って付けた様に衿元を直す仕草をした。衿元へ手が伸びるとその長さに合わせて着物の袖が落ちてゆく、二の腕近くまで落ちた袖を彼女は押さえ様ともせず、衿元の人差し指だけが微かに揺れながら遠く丹波の山並みを見詰めなおしていた。 

「あの山の向こうの丹後には味土野と云う土地がありますご存知ですか?」

「知りません」

 野々宮は眉根を寄せてハンドルを握り直した。

「戦国時代は丹後は細川家の領地でした」

 急に何を言い出すのかと野々宮は肝を潰した。

 彼女曰くその味土野には謀反人の娘として細川ガラシャが幽閉された場所だと説明した。そう云う事かとハンドルを持つ手を緩めた。

「悲劇のヒロインですね」

「まだ続きがあります。彼女は今一度災難に遭います、それは石田三成が挙兵した関ヶ原の決戦で人質を拒否して自害しました。なぜ彼女は他の武将の妻のように生きる事を選択しなかったと思います」

「急な質問ですね」

「花も花なれ人も人なれ・・・か」

 彼女は遠く丹後の山並みに向かって呟いた。


   ちりぬへき時しりてこそ

        世の中の

       花も花なれ人も人なれ


「そう、あの山並みを見ていると貴方に聴きたくなりました」

 棺を指差して動いているとさも真面目に言った彼女を思い浮かべるとこの質問も神秘性を伺わせて迂闊には答えられなかった。

「彼女は細川家のためでなく明智家のために言い換えれば父の信念を貫いたと思ってます」

 主殺しの明智光秀の信念とは何なのか永遠の謎を問いかけられても野々宮には答えようが無かった。

 丹後の山並みを見たまま一度も野々宮を顧る事もなく淡々と自説を語る彼女の姿が何かを訴えているように観えた。

「その切ない顔が美しく観える、絵になりますね」

 一寸彼女の瞳に輝きが眩しく目に飛び込んできた。

「野々宮さんってお口がお上手なのね。・・・あの子はいえあの人は不遇な生い立ちでしょう。もの心付いた頃には父親の暴力に怯え離婚した後は母とは夜の勤めですれ違い、母親の愛情に飢えた果てに孤児ですからね、もう涙がでるぐらい。だから優しい言葉を掛けたいのに口から出るのは愚痴ばかり。だから知らない人には非情な女に見えるらしいの・・・」

 さっきは菩薩に観えた彼女だったが今は現世に戻って見えた。

「情けは人の為ならずか、解釈はともかくあなたは本当は思いやりのある、情(じょう)の深い人なんだ」

「ホロリとする事を云ってくれるのね」

「効ましたか」

「まだ来る訳ないでしょう! あっそこ右、もうすぐですから」

「やっぱり効(来)たんだ」

 やっと理解したらしく礼子はどっと両肩を落とした。

「お願い疲れさせないで」と礼子はしっかり運転してと言いたげに愛想笑いを浮かべ「着いたわよ」と間延びしたように云った。

 知人宅で遺骨を受け取って長沼家には夕暮れに戻って来た。一家は仏間に集まり桐山が設置した祭壇に遺骨と遺影が飾られ、それを囲むように置かれた灯篭の間から合掌してお参していた。そこへ野々宮と礼子が先祖の遺骨を持ってきた。喪主がこれで親父に顔向けが出来ると恭(うやうや)しく受け取り、父の隣に並べてもう一度全員が拝んだ。

 喪主は野々宮に労いの言葉とともに約束どおり四口の会員の手続きをする前に、父が懇意にしていた顧問弁護士が遺言状を持ってやってきた。喪主の弁護士を扱う態度で大事な用件だと察しがついた。やはり喪主からは翌朝にもう一度来てほしいと頼まれて二人は去った。


「遺言状の開封と云うことは遺産相続やねえ。あのおじいさんのこっちゃたら血縁でない永倉と云う男にも遣るんやろうなあ」野々宮が言った。

「どうかなあ、なんぼおじいちゃんに可愛がられたと云うても遺族が納得するかねぇ」

 内情を知らない桐山は否定した。

「そうでもないようですよ。それに遺言ですから血縁者にこだわらないでしょうね」

「まあなあ。遺言は尊重せんとあかんやろうが金額が問題やろうなあ」

「店長、あそこの家族は喪主の父親以外は永倉は可愛がられていたそうですよ、あの浜頓別から来た佐伯も可愛がっていたようです」

「あの嬪(ひん)のいい末娘から聞いたのか」

「でも車中では遠慮なく食事してましたよ」

「お前が一緒やから気を許したんや、お前にはそんなところがあるさかいなあ。そやさかい坂下みたいに強引にやらんでもお前なら入ったると云ってくれる遺族もいるんや。しっかり営業せえ」

「ハア」とそこへ来るかと気の無い返事をした。


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