僕達は家族になれない

桜庭きなこ

さあ一緒に『いただきます』を




 *


 三泊四日の出張で訪れたのは、鹿児島県鹿児島市。九月も終わりに差し掛かり、もう暦上では秋だけれど、まだ真夏日を記録し続ける鹿児島は、ただただ暑かった。さすが南国である。

 ……まあ、今年は異常気象オンパレードだったから、この時期に真夏日猛暑日がやってきたところで今更感はあるのだけれども。

「あー、あっつ」

 無事にこちらでの仕事を終えた三日目の夜、行く当てもなく街を彷徨いながら、そんなことを零した。たかが三日滞在したところで身体が慣れるはずはなくて、明日には東京に戻る。温度差で風邪をひかないか、それが当面の懸案事項である。

 今回初めて訪れた鹿児島市は、印象的な街だった。路面電車が走っていること。街路樹が時々すごく南国チックな樹になっていること。火山灰を捨てる日が決まっていること。少し大きな道には当たり前のように、幕末や新しい時代に活躍した志士たちの銅像があること。場所が変われば景色が変わるのは当たり前だが、たとえば初めて新潟市を訪れたときとは、なんというか衝撃が違うような気がする。新幹線一本で軽く行ける距離ではないことが関係しているのかもしれない。

 大通りと思われる道を歩いていると、アーケード街のような通りに出くわした。どうやら、名を天文館通と言うらしい。昔ここに天文関係の何かがあったのだろう、と適当な予想をしながら、逢坂はその通りに足を踏み入れた。


 *


「大須みたいだな、ここ」

 一通り歩いてみての感想は、こうだった。いろんな店が雑多に並んでいて、でもある程度飲食は飲食、服飾は服飾で固まっている感じや、ここが観光客にとってそこそこ需要のある場所であると同時に地元の人も普段から利用するような感じが、名古屋の大須っぽく感じた。たとえば金沢の近江町市場は、完全に観光客相手に商売するようになって以来、ものの値段が上がってしまい、地元の人は足が遠のいているという。そうはなってほしくないな、と勝手に思った。余計なお世話なんだけれども。

 そんなどうでもいいことを考えながら歩いていると、胸ポケットにしまっていた携帯が震えた。が、すぐ振動はおさまったので、電話などではない。取り出して画面を確認すると、あの有名なメッセージアプリの通知だった。通知欄には、差出人の名前と

『お仕事終わりましたか~?♡』

 と、おおよそふざけているとしか思えない文字列が並ぶ。その後には、とくに何が続くわけでもなかった。

「あいつ、いい加減ハートはやめろって言ってんのに……」

 逢坂は、何度も指摘しすぎて口癖になってしまった台詞を吐いた。それでもなんだかんだ許してしまうのだから、甘いのだろう。

 なぜやめろと言っているのかというと、この通知と文面をうっかり同期の誰かに見られようものなら、女か? と追及が始まるからである。差出人はそうなることを狙って、こんな風に面倒くさい女の雰囲気を出しているのだろうけれども。

 到底理解できないが、どうやら自分は女子社員にかなりモテる方らしく、中には恋愛、あわよくば結婚を企んでいる人もいると聞いた。となると、あの文面を見られて「逢坂に女の影が!」と誰かに言われでもしたら、どんな修羅場に送り込まれるかは容易に想像がつくというものである。

『終わったよ』

 それだけ打つと、アプリの通話機能で着信が入った。相手は先ほどのメッセージを送ってきた、伊吹湊。

「もしもし?」

『もしもーし、お疲れ様ー』

 湊はものすごく軽いノリで労いの言葉をかけてくる。

「お前さ、いい加減ハートはやめてくれない?今日みたいな出張の日はともかく、普通に会社にいるときにあんなん送られると気が気じゃない」

『えー、いいじゃん。見られたならそれはそれで変な虫もいなくなるでしょ』

 社内で逢坂が置かれている状況は湊も知っている。なぜならよく愚痴るから。

「お前のこと追及されるのが面倒くさいんだよ」

『そしたら聞いてきた相手まとめてうちに連れておいでよ。丁重におもてなしして口止めするから』

「……さすがにそれは同僚が可哀想だからやめとく」

 湊はやたらと弁が立つので、結果として自分が優位に立つ説得(またの名を脅迫)がものすごく上手い。さすがは腕一本でなんの後ろ盾もない世界で生き抜いているだけあるなぁ、とは思うが。

『ひどいなあ、さすがに由衣さんの知り合いには本気出さないよ。湊さん泣いちゃうよ?』

 普段は一人称に自分の名前なんて絶対使わないくせに。どうやらおどけているらしい。

「そんなキャラじゃねーだろーが、お前」

『まあね』

 逢坂が突っ込むと、あっさりもとの調子に戻った。

「で、何の用?明日には帰るのに」

 このタイミングであのような連絡をしてくるからには、相応の理由があるはずである。緊急の要件なら文面があれだけで終わるわけはないし、緊急でないのなら、明日自宅に帰ってからでも間に合うだろう。だからそう訊くと、湊も『あーそうそう、』と前置きして要件を述べた。

『お土産リクエストしようと思って』

「酒は買わねえからな」

 先に言うと、湊は電話の向こうでケラケラ笑った。

『わかってるよー、由衣さん実はかなり下戸だもんねー』

「うるせぇ」

 湊はかなりの酒豪なので、酒を買っていこうものなら四分の三は湊が飲む。逢坂だって酒は嫌いではないので、買っていってもいいのだが、今回はなんとなくそれ以外が良かった。

『あとでお金払うからさ、よさげな黒豚買って送ってよ。クール便とかで二人分』

「えらく具体的な要求だな。つかそれ土産というよりお取り寄せグルメじゃねえか?」

『いーんだよ細かいことは。とにかくよろしく!』

「はいはい。割り勘な」

 逢坂も二人分のちょっといい肉を買うくらい苦ではないのだが、湊の方が可処分所得が多い。そんな事情もあり、頼まれた買い物で、しかも金も払うと先に向こうが言ってきたのだから、そこはきっちり請求する。

『半分出してくれるんだ、ありがと』

「俺も食いたいし」

『やだなー、さすがに一人で二人前は食べないよ』

「どうだか」

 精神的な部分や見た目は男でも女でもない湊だが、生物学的には男性なので、それなりの基礎代謝がある。またそれなりに体力のいる仕事をしているからか、見た目以上には大食漢だ。

『じゃあよろしく』

「おう」

 簡単な挨拶を交わして、電話が切れる。……と思ったら、切れなかった。

「……」

『……』

「……切らねぇの?」

 訝しんで聞いてみる。電話の向こうからは不貞腐れた声が返ってきた。

『……そっちこそ』

「いつもお前から切る癖に」

『たまにはそっちから切ったっていいんですよ』

 湊は相変わらず不貞腐れている。何か隠しているときや、我慢しているときの湊は大体こうだ。それが湊のいじらしいところで、そうしたいならさせておきたい気もするのだが、家族である以上、できれば我慢はしてほしくない。逢坂は無理やり扉をこじ開けに行く。

「本音を吐け、本音を」

『やだ』

「はぁ?」

『だって絶対笑うもん、由衣さん』

「聞いてから決める。ハイドーゾ」

『……なんか今回は寂しかったんですよ。一人分のご飯作って、二人がけのダイニングテーブルで一人で食べるの。だからわざわざ電話して声聞こうって思って。でも声聞いたら余計ダメで、こっちから切るのやだなーって』

「……」

 予想していなかった返答で、逢坂は電話だということを忘れて黙り込んでしまった。

『ちょっと、黙られるのいちばんきつい』

 湊にそう言われて電話だったということを思い出し、今の心情を表す言葉を探して音にした。

「いや感心しちゃって。湊にもかわいいとこあるんだなって」

『人をなんだと思ってんだコラ』

「伊吹湊さん」

『あーもう! だから言いたくなかったのに!!』

「電話口で叫ぶな、耳潰れる」

『潰れてしまえ』

「お前なぁ」

 口では呆れ言を言ったが、逢坂の口角は上がっていた。湊はたまに、普段は絶対に見せない子どもっぽさを覗かせる。湊がそれを見せるのはおそらく自分だけで、それが実はかなり嬉しい。

『……明日、変なところで寄り道とかしてこないでくださいよ』

 言外に早く会いたい、と言っているわけだが、素直に言ってこないあたりがまたいじらしい。

「心配しなくても羽田からまっすぐ向かいますよ、荷物も多いし」

『約束ですからね』

「はいはい」

 じゃあ今度こそ切るから、と前置いて逢坂は言った。

「おやすみ、まだ寝ないだろうけど」

『まだ九時にもなってないしね。うん、でも、おやすみなさい』

 その返事を聞いて、逢坂から電話を切った。に、しても。

「珍しいこともあるもんだなぁ」

 これまでの人生経験や職業柄ということもありそうだが、湊は自分の感情を自発的に表に出すことはめったにない。他人から「察しがいい」とよく言われる逢坂でさえも、半年ほど一緒に暮らしてようやく何を隠しているかが分かるようになった。踏み込んでも許されるようになった。なのに、今回こうして電話をかけてきて、(結局はこっちから踏み込んだしほぼ誘導尋問だったが)寂しいとも言った。

「明日雪が降らなければいいけど」

 帰ったら、あの寂しがりやを思いっきり抱きしめてやろう。そして、あのダイニングテーブルに適当に作った料理を並べて、二人でくだらない話をしよう。

 ほんとうに柄じゃないけど、こんなこと人生で数えるくらいしか思ったことがないけど、

「早く会いたい」

 そう思った夜だった。

(おわり)

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