青時雨
桜庭きなこ
雨降りと花嫁
*
雨は、嫌いだ。
栗田柊は、雨が窓を打つ音を聞きながらそんなことを思う。
「早く梅雨明けしてくれよなー」
呟いた言葉は、誰に聞かれることもなく、ひとりで過ごすには広すぎる部屋に消えた。
*
栗田家。その血筋は古く、この家のある地域では名を知らぬ者のいない名家だ。
柊は、その血を引く栗田家の長男である。しかし、嫡出子ではなく、認知されて栗田の家に入ったのは5歳の時。そのため、継母とは折り合いが悪く、本邸で暮らすとどちらの負担にもなることから、今は第2邸で暮らしている。第2邸は、別荘地として有名な地域にあるので外はとても静かで、また、住人も柊と数人の使用人だけで、その人数で暮らすには些か広すぎるこの家では、人の声はおろか生活音も部屋に飲み込まれて消えてしまい、ただ静寂だけが広がっている。
―それだからか、雨が降ると、その音がやけに耳につくのだ。
この音が、どうにも柊は苦手だった。自分の孤独を浮き彫りにさせられる気がして。
もともとこの家に来た経歴がアレなので、「栗田家」ではいつも独り。
加えて、この広すぎる家。第2邸の人たちとはうまくやれているし、信頼もしているけれど、それとこれとは話が別だ。
「この年にもなって寂しい、とか言うのもどうかと思うけどな…」
自嘲しながらこぼした言葉も静寂に飲まれ、部屋にはただ雨の音だけが響いていた。
*
コンコン、と部屋の戸をノックする音で目が覚めた。
返事をすると、「失礼します」という声と共に戸が開く。
「あ、お休み中でしたか、失礼をいたしました」
戸を開けた女性は、ベッドに身を投げ出した柊を見て謝る。
「いや、別に、昼寝してただけだから構わないよ、…葵さん」
柊がそう言うと、葵さん、と呼ばれた女性は安心したようにすこし笑った。
葵さん、空木葵さんは、この邸の使用人の一人で、唯一、柊と年齢が近い。
彼女は柊の付き人である空木清さんの孫娘で、そのつてでここで働くことになったので、ひとりだけ若いのだ。ただ、若いとはいえ祖父の清さんをはじめここのほかの使用人の皆に厳しく指導されて育ったようで、仕事の腕は確かである。
部屋に入ってきた彼女は洗濯物を抱えており、それをてきぱきとクローゼットに片付けていく。最後に、白い布を持ってこちらに来た。
「すみません、柊様。ベッドのシーツをお取替えさせて頂きたいのですが」
申し訳なさそうに言う彼女に、柊は「ああ」と頷いてベッドから立ち上がり、葵がシーツを取り換える様子を眺めていた。本来ならばこういう仕事は、部屋の主がいないときに行うべきであるけれど、柊が「部屋に入るときはなるべく自分のいるときにしてくれ」と使用人の皆に頼み込んだのである。別に、部屋にいかがわしいものを隠しているだとか疚しい事はないが、自分がいない時に部屋に入られるのは、なんとなく寂しくて、苦手だった。
-それが、葵相手なら尚更。
*
5分もしないうちにベッドは綺麗にされていて、「お待たせしました」と自分を呼ぶ声で我に返った。
「ああ、ありがとう」
「最近は雨が続いて気が晴れないでしょうから、せめて寝るときくらいは気持ちよく眠りたいですよね」
そう言って彼女は笑う。柊が雨を嫌いなことも、雨の日は気分が落ち込むことも、この邸の人たちは皆知っている。
「ほんと早く梅雨明けしてほしいよ…」
「まあそう言わずに。雨の日も、悪い事ばかりではありませんよ」
そう言いつつ、彼女は窓の外に目線をやった。
「雨の日にしか見られない生き物だっていますし、雨上がりに虹が架かるのでは、と期待しながら過ごすのもいいものですよ」
「そうはいっても、苦手なものは苦手だからなあ」
「では柊様、こんな話をご存知ですか?」
葵は慈しむような目を柊に向けて話し始めた。
「雨の日に祝言をあげたふたりは幸せになれる、という言い伝えです。なんでも、その二人がこれから流す一生分の涙を、空が、神様が代わりに流してくれているそうですよ」
「…へえ、知らなかった」
「七夕の催涙雨もそうですけれど、昔の人は、雨を神様の流す涙だと考えたようです。…そう考えれば、気分が沈んでいるのは自分だけじゃない、と、少しは気を紛らわすことができませんか?」
「うーん、ちょっとは、紛れる、かも」
「それ以外にも、誰かと話していたら気が紛れるというのなら、忙しくないときであれば話し相手になりますし、あまり塞ぎこまないでくださいね」
子供を心配する母親のように葵は言う。
「…ありがとう」
柊は、葵の手を軽く握り、少しだけ引き寄せた。ぽすん、と肩に彼女の頭が乗る。
「どうしたんですか?」
「何となく、こうしたくなった」
そう言えば、彼女は笑って、控えめに柊の背に手を回してくれた。
そこでふと思い立った。柊は、葵が手にしていた交換後のシーツを掴むと、葵の頭にそれを被せた。
「え、あの、柊様?」
と戸惑う葵に顔を寄せて、そのまま軽く口づける。
「…こうすると、花嫁さんみたいだなって、思って」
わずかに顔を離してそう言えば、彼女の頬が一層赤くなる。
「雨の日の花嫁は幸せになれるのだろう?…今はまだ無理だけど、いつかちゃんと、幸せにするから」
ちょっとだけ恥ずかしくて小声でそう言えば、彼女は
「今でも十分幸せですよ」
と笑った。
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