死んだ僕と生きてる君たちへ

ノモンハンすぐる

第1話

駅のホームの端から落ちて電車にぶつかって僕が7つに飛び散った後、中央線では3時間もの遅れと2万4千人の通勤に支障が出たらしい。

実際僕が死んだ所を目撃してしまった人たちは、多少の違いはあれど、しばらくフラッシュバックに悩まされるのだろうと思うと、申し訳無さがこみ上げてくる。


とは言え僕だって死にたくて死んだわけではなかった。

その日たまたま人混みを避けるようにしてホームの端に出た瞬間、隣でよろめいた女子高生が僕にぶつかり、そのまま僕はまさに駅を通過する通勤快速列車に正面から弾き飛ばされる形となった。

「死ぬ」とかそんなことを思う間も無く、強い衝撃を全身に感じた。暗闇に包まれる前に鼻腔に残っていたのは、自分の血でも体液の匂いでもなく、ぶつかってきた女子高生のシャンプーの匂いだった。


次に目が覚めた時は、自室のベッドの中だった。ひどく汗をかいており、喉がカラカラに乾いていた。

夢を見ていたのだと思ったが、リビングに行くと僕の遺影が置いてある仏壇の前で手をあわせている妻と娘を見つけ、しばらく僕は何も言えずに立ち尽くしていた。

「おい」妻に声をかけたが何も反応がなかった。大声を出してもテーブルの上の新聞を投げつけても全く反応がなかった。それどころか投げつけたはずの新聞も、たしかに紙を触った感触と音がしたはずなのに、ふと気づくとまたテーブルにあったときと同じように畳まれて置かれていた。

さすがの僕もここまでくればなんとなく察していた。

僕は肺いっぱいに溜めた空気をゆっくり鼻から吐き出して悟った。


どうやら僕は死んだらしい。



妻と出会ったのは中学の頃だった。

たまたま隣の席に座っており、教科書の貸し借りや宿題の教えあいをしているうちに仲良くなり、いつしか一緒に下校するようになっていた。当時僕らのことを夫婦とからかってくるクラスメイトもいたが、妻はその度顔を真っ赤にして小声で否定していたものだった。

正直その時僕に恋愛感情はなかった。

彼女はバスケットボール部でめきめきと身長を伸ばしており、中学2年生で175センチを超えていた。当時彼女より10センチ以上小さかった僕としては恋愛対象として見ることすらできなかった。

中学3年生の時に告白をされたが、僕はそれを断り、彼女は笑いながらも涙を浮かべていたのを覚えている。あれは確か冬の匂いが空まで抜けていた晴れた日だった。



彼女と付き合うきっかけになったのは、成人式の時だった。中学卒業後に別々の高校に進み、連絡も全くとらなくなっていたが、五年ぶりに会う妻は垢抜けて美人になっており、クラスメイトの誰よりも綺麗に見えた。

成人式の後の打ち上げの時に、僕は彼女の隣の席にさりげなく座り、話しかけてみた。彼女は最初こそ冷ややかな態度であったが、すぐに昔のような人懐っこい笑顔を見せてくれて、僕らは連絡先を再度交換した。


そのあと何度かデートを重ね、僕らは恋人になった。僕らは周りから見たらごく一般的な恋人たちであったが、僕らから見れば毎日が楽しくて輝いていた。大学を卒業して社会人になり、忙しい時も時間をやりくりして何度もデートをして、25歳の春に僕は妻にプロポーズをした。


僕と妻が28歳の時に女の子を授かり、32歳でマイホームを購入した。郊外のベッドタウンではあるが、ローンを組み、人生いよいよこれからが本番だな、となんとなく思っていた時だった。




僕は3時間くらい様々な事を考え、少し泣いた後にベランダに出て胸ポケットのタバコを取り出し口に加えて火をつけた。

もともと諦めが早く、深く考えるのも嫌いな方だ。とりあえず僕は死んでしまってるが、家に帰ってこれてタバコは吸えるらしい。

透明人間になったとでも思えばいいことなんじゃないか。

そう考えたら少し気が楽になった。


考えてみれば生きてた時も、薄ぼんやりとした光の膜みたいなものがかかってるような人生だった気がする。


ビールを一杯くらい飲んだ時の中途半端な酩酊感。はっきりと道を踏みしめてるつもりで、本当はおぼつかない足取りで34年間生きてきた。

今だって死んでるはずなのに呑気にタバコなんて吸っている。白でも黒でもない曖昧な自分。

とりあえずもう一本吸ってから部屋に戻ろう。

僕はベランダで灰皿と化している空き缶に吸い殻を押し付けた。



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