第4話

「……かな。どっちかと言うと、憧れ?」


 私のつぶやきに、日和はふぅん、とあいづちを打った。


「別に、僕は小春にふられてほしいとか思ってるわけじゃない。告白したところでふられるなんて決まりきってる事実はどこにもないし」


 今度は私が無言でうなずいた。


「仮に自分の妹と友達が付き合うことになったとしても、全然迷惑じゃないし。むしろ祝福するさ、きっとな」


 ここで日和は言葉を一度切って、こう続けた。


「――なぁ小春。人間の感情ってさ、変わりゆくものだろ」


 当たり前のことを真剣に言う日和が嫌になったのと、頭の痛みが引いてきて少し元気になった私は軽口をたたいてみることにした。


「うん。今の日和もさっきまで私に怒ってたのに今はそうでもないでしょ?」


「お前もな」


 少し笑って日和は言った。


「……それで?」


 一緒に笑う気になれなかった私は、あまり不愛想にならないように続きを促した。


「変わるのは人間の感情だけじゃなくて、人間自身もなんだよ。例えば、仮にだけど小春がイワシのことを好きじゃなくなる日がくるかもしれない。それだけじゃなくて、イワシが小春の好きなイワシじゃなくなる日だってくるかもしれないんだ」


 怜くんの人格が変わる日がくるとは思えない。怜くんはいつだって怜くんだから。でも、日和の声がじんわりと心に伝わってきて、反論する気にはならなかった。


「だから、まぁ……。今だけのその感情大切にしろよ。って話。本人に想いを伝えることだけが感情を大切にするってことじゃないかもしんないけど。でも、それは今の小春の感情に正直になれるってことなんじゃないかなって、思っただけ」


 照れたような声で日和は言った。


“もうイワシのこと好きなら告っちゃえよ!”


 けんかの原因のひとつとなったこのセリフが脳内で再生されて、明日実際に怜くんに想いを伝えてみようかとか思ってしまった私は疲れているのかもしれない。


「ちょっと失礼」


 シャッという短い音。椅子から立ち上がった日和がカーテンを少しだけ開けた音だろう。コト、と何かが私の学習机に置かれた音がした。そしてすぐにシャッという音と共にカーテンが閉まった。


 去り際、日和は小さな優しい声でこう言った。


「さっきはごめんな」


 階段を下りていく音が消えたのを確認して、体育座りをしていたベッドから下りる。学習机には、結露している保冷剤とバンダナが置いてあった。私は保冷剤をバンダナでくるみ、痛みがほとんど引いている額にあてた。


 覚えてたんだ、日和。というか気付いてたんだ、私が床に頭を打ってたこと。


「ありがとう。こちらこそごめんね」


 静かな部屋に私の声がこぼれた。

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