第31話 白兎。




 ガリアンの監獄内。

 2メートル近くの石の壁の中は、鉄格子と石の牢屋が並んでいる。

 その中には、一部頑丈な牢屋があった。1メートル近くの壁に囲まれ、窓はなく、鉄のドアの一つのみ。この中に入れられる者は、危険視される囚人のみ。

 ベアルス・ペリウス。

 犯罪者相手に武器売買をしていた組織のトップ

 ガリアンのメンバーは、ギアで対処をする。ベアルスのギア返しは、他のメンバーには手強い技。ルアンのように、打ち負かせることは出来ない。

 だから牢屋の中のベアルスは、捕まえられて以来、紋様を書けないように両腕はまとめて縛られていた。

 くすんだ白の長袖のシャツと長ズボンを着て、椅子に座ったベアルスは、両腕が不自由でも微笑んでいた。


「やぁ、お嬢さん。やっと会いに来てくれたのかい?」

「うん」


 ルアンはにっこりと愛らしい笑みを向ける。

 クアロは警戒してドアの元に立つが、ルアンは椅子を運び、そこに座った。


「困りますよ、ルアン様。牢屋に入るのは危険ですよ」

「ゼアスチャンの許可は、得たから」

「そ、それなら……」


 看守のメンバーを、ルアンが追い払うが、ゼアスチャンの正式な許可はもらっていない。

 クアロはそれを言わず、その看守に仕事に戻るように言う。


「囚人の服、似合ってるね。ベアルス」

「その格好、勇ましくて素敵だね。ルアン」


 微笑み合う二人は、牢屋とは似合わない。

 クアロは唖然とする。

 ここに来るまで、横切った牢屋の中の囚人達は、ルアンを見るなり短い悲鳴を上げては口を押さえて青ざめ震えた。

 ベアルスも、ルアンにこっぴどくギアで負かされた一人のはず。平然としていられる囚人は初めてだ。


「あ、そうだ。髪、束ねてあげる」


 ルアンはズボンのポケットから、橙色のリボンを取り出す。


「おや、お嬢さんがやってくれるのかい? 嬉しいね、ぜひ」


 嬉しそうに微笑むと、ベアルスは左にあるベッドに移動した。

 ルアンもベッドの上に、ブーツのまま乗ると、ベアルスの髪を束ねてリボンで結ぶ。


「ちょっと、ルーっ!」


 あまりにも無防備過ぎる接近に、クアロは引き離そうとした。


「おや? ずいぶん親しそうな君は、誰かな?」


 愛称で呼ぶクアロに、ベアルスは興味を抱いて見上げる。


「クアロ。あたしの子守り。防のギアが得意だから、そのうちデフェスペクルも使いこなせるわ」


 ベアルスの肩に顎を乗せると、ルアンは紹介をした。


「ふふ。君の一番の部下、ということだね」


 興味深そうにペリドットの瞳を細めて見上げるベアルスに、クアロは困惑して身を引く。


「ねーねー、ベアルス」

「なんだい?」

「どうやってここを脱獄をするか、考えた?」


 ベアルスの肩に顎を乗せたまま、ルアンは甘えた声を出して直球で問う。


「脱獄なんて、考えていないよ。僕はお嬢さんのそばにいたいから、暫く休暇のつもりでここにいさせてもらうよ」


 笑みを深めたベアルスは、ぬけぬけと答えた。


「ふぅーん……つまぁんないの」


 ルアンは笑みをなくすと、ベッドを飛び降りてベアルスから離れる。そしてベアルスの座っていた椅子に、飛び乗りどっかりと座って足を組んだ。


「ギアを使わない脱獄方法を、楽しみにしてたのに」

「ふふ、無理難題だね。この腕では、自分の髪も束ねられないんだ。外してもらえないかな?」

「だーめぇ」

「ふふ、だめかぁ、そうかぁ」


 拘束を解くように頼むベアルスは、ルアンに笑顔を向けられて、口元を緩ませる。

 ルアンの笑みに、ベアルスはほだされているのだ。

 それでクアロは、ベアルスが子ども好きだということを思い出した。ルアンを恐れていない理由だ。


「もう少し待ってて。ギア封じを学んだら、外してあげるから、ね?」


 ルアンはベアルスに効くとわかっていながら、笑顔を振り撒く。


「ほう? 僕の本は君の手に渡ったというわけかい」


 ベアルスが壁に凭れた。


「ねぇ、君の父親がなんと呼ばれているか、知っているかい?」

「独裁者?」

「ふふっ、まぁ、そんなところだよ」


 ルアンは実の父親を独裁者だと思っている。それにベアルスは吹いた。


「我々犯罪者は、ガリアンのボスであるレアン・ダーレオクを、"最果ての支配者"……"最果ての王"と呼んでいる」


 クスクスと笑いながら、脅すように教える。


「最果ての王……いいね、かっくいー」


 脅しは通用しない。ルアンは気に入った。

 アルブスカストロ国の王の目が届かない国の外れは、レアンが支配している。国の外れの王だ。


「最果ての暴君とも呼ばれているよ。ガリアンは、アルブスカストロ国王に認められていなければ、強盗と大差変わりないからね」

「あーら。強盗は人々に頼られたりしないわ」


 挑発に返ってきた言葉に、ベアルスは目を細めた。


「君がガリアンになりたい理由は、正義だと思っているからかい?」

「限りなく悪に近い正義だと思っている」

「ほーう……?」


 観察するように見つめるベアルスを見て、ルアンは笑みを深めた。


「ところで、ベアルス。囚人仲間とは仲良く出来た?」

「ん? なんのことだい? 僕は他の囚人とは接触していないけれど」

「ふぅーん」


 ニヤニヤしながら見上げてくるルアンに、ベアルスは笑みを保って首を傾げる。

 クアロには、微笑みながら腹の探り合いをしているように見えるが、ルアンもベアルスも何を考えているのかがわからなかった。


「今日はこれぐらいにして、帰るね」


 ルアンは椅子から降りた。クアロはホッとして、ルアンが持ってきた椅子を片付け始める。


「ああ、そうだ、ルアンお嬢様。僕を君が初めて捕まえた犯罪者にしてくれて、どうもありがとう。光栄だよ」


 ベッドに座ったまま、ベアルスは微笑んで捕まえた礼を言う。

 本心なのか、裏があるのか。クアロが困惑するが、ルアンは微笑み返す。


「どういたしまして。ベ、ア」


 親しみを込めて呼ぶと、鉄のドアを閉じた。


「なんで、囚人と仲良いのよ。ルー」

「……」


 クアロはじとりと見下ろして問う。ルアンは答えず、鉄のドアを指差す。

 鉄のドアの上部には小さな鉄格子の小窓がある。聞かれないために、黙って歩く。

 出口に向かう途中で、ルアンは足を止めた。


「あっれー、お姉さんだぁ!」


 明るい声を弾ませて、笑顔になるルアンが見た囚人は、かつてルアンを誘拐した女性。ベッドに座っていた女性はびくりと震え、奥へ逃げた。

 通常と言うのもおかしな話だが、子どもにも関わらず、悪魔のような力で返り討ちをされては、恐怖も抱く。


「どうしたの? ガクガク、兎みたいに震えちゃって」


 声を弾ませて笑いかけるルアンを鉄格子から見れば、小さな悪魔にしか見えないだろう。クアロは同情した。


「兎みたいって、どういう意味?」

「え? そのままの意味だけど」

「わからないんだけど」

「……」


 ルアンは少し鬱陶しそうにしかめて黙り込む。

 前世の世界と違って、小動物の兎は存在しない。人間と同等と認識されている世界なのだ。


「アンタは兎人を嫌いすぎ」

「……きらーいだもぉん」


 兎人を嫌っていることを隠さないルアンは、反対側の牢屋にいる兎人を睨む。

 顔も手も灰色の毛に覆われ、耳を頭の上に立てた兎人の男。ルアンの事件に関わっていた囚人だ。

 彼も身を縮こまらせて、ルアンに怯えた反応をした。


「ルアーさーんっ!」


 そこで、監獄に男の声が響く。

 響きが違うが、ルアンの名を呼んでいるように思え、ルアンもクアロも振り返る。


「ルー、アンタ、他に囚人の知り合いがいたの?」

「いや、覚えないけど」

「ルアンさーん! ルアーさん!」


 やはり、若い男らしい囚人が、ルアンを呼んでいた。奥の方の牢屋だ。

 首を傾げたルアンは、確認しようと歩き出すが。


「あ、こんなところにいたか。ルアン」


 監獄の扉が開かれ、そこからラアンが声をかけた。

 手招きをされたため、ルアンは呼ぶ囚人を放っておいて、監獄を出る。

 監獄の階段下には、ロアンとラビもいた。

 パタパタとロアンは階段を駆け上がり、ルアンの前で両腕を広げてはしゃぐ。

 そんなロアンの頭を撫でながら、ルアンはラアンを見上げて問う。


「何か用なの? お兄さん」

「あーそのー……悪いが、ルアン、一緒に遊んでくれないか?」


 口元をひきつらるラアンは、ルアンの顔色を伺いつつ、ロアンとラビと遊ぶことを頼んだ。

 ルアンの後ろに立つクアロは、目が合ったラアンに首を振って見せる。

 リリアンナの再婚相手の連れ子であるラビは、兎人の血が継いだ子ども。

 髪は雪のように白く、兎の耳のようにはねている。赤い瞳と色白の肌の持ち主。


「……」


 ルアンは階段下にいるラビに目を向ける。

 ラビは目が合うと微笑んだ。それを見て、ルアンは片方の眉毛を上げてしかめた。

 今まで俯いていたはずのラビが、こうして笑いかけていることを疑問に思う。


「いつまで、あの人はいるつもりなの?」


 じっと見たあと、ルアンはラアンにいつまでリリアンナが滞在するのかを問う。

 びくり、とラアンは肩を震わせた。


「えっと……」


 目を泳がして、躊躇したあと、ラアンはひきつった笑みで答える。


「ルアンとロアンの、誕生日まで……」


 それを聞いたクアロが、目を見開く。


「えっ? アンタ、誕生日だったの? ってなによその顔」


 ルアンに問い詰めてみれば、あからさまに嫌な顔をしていた。可愛い顔が台無しになるほどのしかめっ面。


「一体いつなのよ? アンタの誕生日」

「……」

「ルー!」


 黙り込むルアンを、クアロは急かして肩を揺らした。むっすりと唇を尖らせていたルアンは、渋々と口を開く。


「365日−116日+119日×5日−252日−350日−240日=日後」

「えっ……365ひく、119……? ……ってわかるわけないでしょうが! このひねくれめ!」


 いきなり淡々と言われても覚えられないクアロは、潔く問題をとくことを諦めた。


「誕生日ぐらい素直に」

「ふつかご」


 素直に教えろ、と言いかけたが、聞き慣れない声が聞こえてクアロは止まる。

 知らない幼い声。自然と、ラビに注目が集まった。クアロもルアンも、ラビの声は聞いたことがなかったのだ。それが、初めてだった。


「365−116+119×5−252−350−240=2……だから、ふつかご」


 舌足らずの静かな声で、ラビはにっこりと答えた。

 ラアンもクアロも唖然として、問題を出した本人であるルアンに目を向ける。

 ルアンもまた、驚いた反応をしていた。理解が出来ない様子で、凝視して見下ろす。

 ラビは背中で腕を組んで、ルアンを見上げている。やがて、ルアンは一歩、後退りした。

 その反応にクアロは驚く。まるでルアンは、ラビに怯えているようだった。


「……クアロ」

「な、なにっ?」


 やがてルアンに呼ばれ、クアロはぎょっとしてしまう。ギュッとルアンが裾を掴んだ。


「クアロのお家に、お泊まりしたい」

「へっ?」


 上目遣いをして頼むルアンに、クアロは間抜けな声を洩らした。



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