第22話 母親失格。




 リリアンナが立ちはだかる廊下の先には、玄関。リリアンナを押し退けて強行突破しようと、ルアンはクアロの手を握り締めて踏み出すが。


「外泊なんて許しません!」


 リリアンナは腰に両手を置いて、怒鳴った。レアンの部屋で話していたことを、盗み聞きしたようだ。

 ルアンはクアロの手を強く握った。堪えるように俯くルアンを見て、クアロは割って入ることにする。


「レアン様から許可はいただいたので、私が責任持って」

「変態は黙ってて!! わたくしの娘から手を放して!」


 クアロが同姓愛者だと知ってしまったらしい。

 クアロは笑顔を引きつらせた。当然の反応だとわかっていても、気に障る。

 だが、クアロまでリリアンナに反抗的ではいけない。従って、クアロはルアンから手を離そうとした。しかし、ルアンが握り締めて放さない。


「嫌だ」


 ルアンは口を開く。

 リリアンナが戻ってきて初めて、目の前で声を出した。


「嫌だじゃありません! わたくしの頼みも聞かないのは、その人の悪影響ね!」


 またリリアンナが、クアロを悪く言う。クアロの手を握るルアンの力が増す。


「わたくしはあなたの母親なのよ! 母親の頼みを聞いてちょうだい!」


 それが、ルアンの我慢の限界を超した。クアロから手を離して、一歩前に踏み出す。

 ルアンを止めようとしたが、クアロの手が触れる前にルアンの声が廊下に響いた。


「捨てて逃げたくせに、母親面するんじゃねぇ!!」


 ビクリとリリアンナは、震え上がった。


「アンタが結婚なんかしてもどうでもいいっ! だが、実の子を捨てたくせに、他の子を持とうとするな!! 無責任なアンタは母親失格なんだよ!! 」


 再会してから、ルアンが溜め込んでいたもの。

 他の男と結婚したことは、どうでもいい。だが、他の子どもの母親になろうとしていることに怒りが沸いた。

 実の子の母親も務められなかったリリアンナが、ラビに母親として好かれようとしていることが許せない。


「母親ぶろうとするな!!」


 捨てたくせに、母親を演じようとすることが許せなかった。

 気付くと、ルアンの隣にレアンがいる。聞こえたのだろう。ルアン達がその登場に唖然として見ていると。


  ぱんっ!


 レアンの大きな掌が、ルアンの頬を叩いた。小さなルアンはよろめいたが、踏み留まる。

 リリアンナも、クアロも、そして騒ぎを聞き付けたラアンも、それを見て目を見開いた。


「親にそんな口を聞くな」


 レアンが、低く告げる。

 初めてだった。横暴なレアンが、子に手を上げたこと。ルアンに手を上げて、叱ったことは、初めてだった。

 遅れて、ルアンの頬に熱が集まる。それを痛みと自覚しないまま、ルアンの瞳に涙が浮かぶ。それを落とす前に、ルアンはその場から逃げ出す。

 リリアンナを避け、ラアンを押し退けると、ラビが立っていた。赤い瞳と翡翠の瞳が、初めて合う。

 しかし、歩みを止めないルアンは、すぐにラビも押し退けて、玄関を飛び出した。


「お前もだ」


 クアロも、ラアンも、追おうとしたら、レアンが口を開き、それに気を取られてしまう。

 低い声と鋭い眼差しが向けられたのは、リリアンナ。


「捨てられた子どもの気持ちを無視して、押しつけがましいこと言うな。今のお前は母親ぶっても認められてねぇ」

「な、なによっ! わたくしがお腹を痛めて産んだのよ!? 母親なのよ!」


 リリアンナは言い返す。

 だが、レアンが目を細めると、リリアンナは震え上がり口を閉じた。


「母親として愛情を示したことが、一度でもあるのか? 抱き締めたこともねぇだろうが。それで母親と言い張るんじゃねぇ」


 レアンは容赦なく、言い放つ。


「忘れるな。お前は母親の資格を捨てた」


 この屋敷を出た時に、母親の資格は捨てたのだ。

 実の子も、捨てた。

 リリアンナは唇を噛み締めると、黙って自分の部屋へ駆け込んだ。


「なにしてる、クアロ」


 唖然としている間に、クアロはレアンに呼ばれて震え上がった。


「娘を一人にするな。明日は連れて戻れ」

「……は、はいっ!」


 ルアンを追わなくてはいけないと、クアロは我に返る。今夜はクアロに預けると言う。クアロはダーレオク家を飛び出した。

 レアンは自分の部屋に戻ると、掌を見る。ルアンを叩いたその左手。


「……ちっ」


 舌打ちを漏らすと、その掌を握り締めた。




 ◇◆◆◆◇




「ルー! ルー! ルアン!」


 ダーレオク家を飛び出して、クアロは呼びながらルアンを捜した。

 すぐに見付かる。

 煉瓦が敷き詰められた坂の街灯の下。小さな背中を見て、クアロは安堵した。しかし、その肩は震えている。


「ルアン……」

「だから黙ってたかったのに!!」


 ルアンはクアロを振り返らずに声を上げた。


「傷付ける言葉しか出ないのに!!」


 それが涙声だったため、クアロは肩を掴み、振り返らせる。

 ルアンの瞳から、涙が溢れ落ちていた。初めて父親に叩かれたそのショックは、いくらルアンでも大きすぎたのだ。


「わかってる!! 実の親にあんな態度、ダメだってわかってる!!」


 言い聞かせるように、ルアンはまた言う。


「わかってる!!」


 理解している。

 実の親に、どんな親であろうとも、ルアンの態度はよくないとわかっていた。

 だからルアンは、黙って無視をしていたのだ。口を開けば、母親を罵倒する言葉が出てしまう。傷付ける言葉しか、今のルアンには言えない。


「でもっ、はいそうですかって、許せない!!」


 子どものように無視をしたり、喚き散らしても、しょうがないと理解している。

 それでも、捨てた母親を簡単に許すことは出来ない。何事もなかったかのように、受け入れることは出来ない。

 二度目の経験でも、ルアンは憎しみを抑えることなど出来なかった。

 大嫌いでも、涙を流す。それは止まらない。


「ルアン……」


 クアロには、またなにも言えない。ルアンの心情を全て把握することも、慰める言葉をかけることも、出来なかった。

 クアロに出来るのは、ただ一つ。泣きじゃくるルアンを、抱き締めることだけだった。

 あの日のように――――。




 ルアンが目を覚ますと、クアロの腕の中にいた。クアロの部屋のベッドだ。

 窓際の壁にシングルベッドは二人が横たわると、寝返り一つで落ちかねないほど小さい。

 起き上がって見回すと、テーブルと向こう側にはキッチンが目に入る。質素な一室。


「……狭い」

「お嬢様をこんな部屋に泊めて、申し訳ありませんねー」


 ルアンが漏らすと、同じく起きたクアロは嫌味を言い返した。


「家と同じ豪華な朝食が食べられるとは思ってないでしょ。軽く作るから、顔洗って髪を整えなさい」


 欠伸を一つ漏らして、背伸びをしながらキッチンに立ち、朝食を作り始める。

 そんなクアロをぼんやりと見つめてから、ルアンはのそのそと朝の支度をした。バスルームもまた小さく、バスタブとトイレが一緒だ。ルアンの家との差は、一目瞭然。

 支度を済ませると、クアロはトーストと目玉焼きとハムを皿に乗せて、テーブルに並べていた。


「ここに住んでいい?」

「バカ言うんじゃないわよ。ボスに家に返せって言われてるから、ちゃんと帰りなさい」

「……やだ」

「やだじゃない。帰りなさい」

「……」


 ルアンは膨れっ面しながら、トーストにかぶりつく。


「ルー。ボスにも謝るチャンスをあげなさい。アンタのために怒ったんだってことはわかってるでしょ? ルーが出ていったあと、リリアンナのことも叱ってた」


 クアロが教えるも、ルアンは膨れっ面を止めない。

 そんなルアンが逃亡する前に、クアロは腕を引っ張りダーレオク家へ連れ戻した。

 こんなことでレアンとルアンの仲に溝ができてはまずい。

 丁度、レアンは自分の部屋にいた。だからクアロは放り込むようにルアンを部屋に入れて、扉を閉じる。

 ルアンはむくれたままだが、観念してレアンの元まで歩み寄った。

 書類を見つめてチェアに座るレアンは、なにも言わない。

 どうせこうなるとわかっていたルアンは、もう1つ部屋にあったチェアを押してレアンの隣に並べた。

 本棚から一つ、本を抜き取ってから、ルアンはそのチェアに座る。

 どちらが根負けするか、勝負だ。


「……」

「……」


 ペラ、と書類と本のページを捲る音しかしない。その部屋の時間は、ゆっくりと流れた。

 ルアンはレアンの謝罪を待ったが、一向に口を開きそうにもない。

 構わないと思った。ルアンは自分が悪いと認めている。

 レアンの謝罪を聞いてから、ルアンは別にいいと返したかった。その流れを待つ。自分からは言えない。

 しかし、いつしか本に集中して、どうでもよくなる。隣で本を読んでいるだけで、レアンに許しは伝わっていると思えてきた。

 だからレアン側の肘掛けに凭れて、ルアンは本を読むことを楽しんだ。

 そんなルアンの頭の上に、レアンの掌が置かれた。昨夜ルアンの頬を叩いた左手が、そっと優しく撫でる。

 レアンの謝罪だ。

 不器用な謝罪。それだけで十分だった。レアンは不器用な父親だと、ルアンは理解している。

 だから、黙って撫でられることで、許しを示す。沈黙したままの仲直り。

 不器用な父娘には、それで十分だった。


「ルアン」


 やがて、レアンはルアンに話し掛ける。


「ガリアンの試験、やるか?」


 撫でられながら、ルアンは目を丸めて瞬く。

 留守中のルアンの活躍を聞き、試験を受けられると判断したのだろう。


「……はい」


 ガリアンで働くことを、認めてもらうための試験。

 ルアンは頷いた。


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