第18話 兄と妹と手紙。




 ラアンは、音を立てないように努力していた。

 ルアンが風邪で倒れて、二日目。クアロは門番の仕事をしなくてはいけない。大事な戦力だ。囚人達がルアンに恐怖を植え付けられて意気消沈したと言っても、油断は出来ない。

 だから家に残るラアンが、ルアンとロアンの子守りをすることになった。

 メイドウにロアンを見てもらっている間、汗を拭ってやる。

 メイドウだけに任せておけない。ルアンを見守り、看病がしたいがためにいる。


 ――クアロはいないが、オレはいる。


 そうルアンに示したいが、醜い嫉妬にすぎない。だからラアンは息を潜めて、昨日同様にベッドそばに置いた椅子から、苦し気なルアンを見つめた。

 早く良くなることを祈る。

 赤みがさす頬は、柔らかい。ラアンは人差し指で撫でると、貼り付いてしまう髪を退かしてやった。

 その手を掴まれ、ラアンは目を見開く。ルアンだ。

 熱い小さな手は、またクアロを求めているのだろうか。

 屈辱だ。でも仕方がないことだ。実際に、ルアンが求めるのは兄であるラアンより、クアロだ。家族であるラアンより、クアロなのだ。


「……お兄さん……」


 ラアンは、危うく震え上がるところだった。ルアンの唇が呼んだのは、自分。

 だが、兄と呼ばれたのはいつぶりかもわからないラアンは、本当に自分を呼んだのかと疑う。ルアンの寝言かもしれないと、ドキドキしながら凝視した。

 長い睫毛がついた瞼は閉じられたまま。シーツに吹きかかる呼吸は荒いが、規則正しい。寝ているのかと思いきや、ギュッと手を握られた。


「ひま、だから」


 ルアンの唇が動く。


「本、読んで」


 ずっと恋しく思っていたルアンのせがむ言葉。それはラアンの胸の中に、熱く染み渡った。


「お兄さん」


 もう一度、ラアンは兄と呼ばれる。間違いなく、ラアンに本を読み聞かせてほしいと頼んでいた。間違いなく、ラアンの手を握り締めながら。


「……あ、あぁ……」


 なんとか声を絞り出して返事した。ラアンの翡翠の瞳には、涙が込み上がり、ルアンが見えなくなる。


「……泣いてるの?」


 ルアンに問われ、慌てて顔を背けた。ルアンは目を閉じたままだ。


「そ、そんなわけがない」


 否定するもラアンの声は、涙で微かに震える。


 ――ルアンが。

 ――歩み寄ってくれた。


 どう接すればいいのか、わからないでいた兄の代わりに、妹から歩み寄ったのだ。

 それは兄として不甲斐ないと恥を感じるが、それよりも嬉しさで胸の中と目頭が熱くなったことを感じた。


「早く……読んで」


 ルアンは熱い掌で、ぺちぺちっとラアンの手を叩いて急かす。


「わ、わかった」


 ラアンは慌てて、本の宝庫である書斎に駆け込んだ。数冊を抜き取って、抱えて戻る。


「ど、どれがいい?」


 ルアンに選ばせると、ラアンはすぐに本を開いて読み聞かせた。ルアンが眠る間は止めて、ロアンの様子を確認したり、書類仕事をこなす。

 ラアンにとって、有意義な時間だった。門番の仕事を終えたクアロと子守りを代わるまで、本を読み聞かせることを楽しんだ。




 それから、数日。熱が下がってもベッドの上で安静にしているルアンのために、ラアンは読み聞かせた。

 一度読んでもらった本だからなのか、ルアンはそのうち指を動かして光を描く。

 紋様を途中まで描いては、掌で振り払う。光は金箔のように弾き、溶けるように消えた。


「この前、囚人を捕まえたギア。素晴らしかった」


 見ていたラアンは読むことを止めて、話し掛ける。前回の脱獄犯を捕まえた際に使った木(もく)のギアのことだ。


「あれはタイプBの木(もく)の紋様だよな」


 全て当てはまるわけではないが、一般的に知られるギアはタイプが大まかに3つある。

 タイプAは、一点に集中型。

 タイプBは、複数型。

 タイプCは、大火力型。


「クアロとシヤンが知っているギアは、あらかた覚えた。クアロよりお兄さんの方がギアを知っているでしょ、教えてくれる?」

「! ああ、もちろん。教えてやる」


 クアロが得意とするのは、防御の紋様。ギアを相殺する防の紋様。

 シヤンが得意とするのは、無属性の紋様。光だけで攻撃する無の紋様。

 その他の炎の紋様、木の紋様、雷の紋様、水の紋様、風の紋様。そのタイプAとBを覚えた。

 幼い頃から学んでいるラアンの方が、他のタイプの紋様を知っている。


「……ルアン、あのさ」


 ルアンに頼られて目を輝かせたが、すぐにラアンは浮かない顔を俯かせた。


「……その……前にさ、お前に言ったこと……すまない」

「……?」


 目を向けたルアンは、首を傾げる。


「父上の才能が継がれて……皮肉だと……言ったことだ」


 それはルアンがギアを使い始めたばかりの頃に、ラアンが言ってしまったことだ。


「ラアンお兄さん」


 ラアンを真っ直ぐ見たルアンは返す。


「たかが最小年でギアが使えるようになったくらいで、妬くことなんてない。お兄さんは、努力を積み重ねて父上の右腕になったのだから、自分を誇るべき」

「……ルアン」


 それはルアンが、ラアンの努力を認める言葉。才能がなくとも、ラアンは自力でガリアンの幹部まで上り詰めた。

 かつて忙しそうにしていたラアンに、本を読んでもらおうと機会をうかがっていたルアンは知っている。


「……泣いてるの?」

「そ、そんなわけないだろ!」


 うるっとしてしまったラアンは、逸らして顔を隠した。


「妹に妬くなんて、情けない。だいたい、父上に似て光が多いだけで、父上みたいなギア使えないし」


 クイクイッと指揮者のように指を振るルアンを見て、ラアンが左右に頭を振った。


「父上だって、すぐに“あれ”を使えたわけじゃない。光が膨大故に、ギアを使いこなすうちに使えるようになったんだ」

「……父上のギアは特殊で、他にああやって使える者はいないんでしょ?」

「ああ、父上以外にいない。故に父上は最強なんだ」


 ニッ、とラアンは自慢げな笑みを漏らした。

 レアンのギアは、特殊なタイプだ。膨大な光を持つ体質だからこその特殊で、最強のギアを使う。

 畏怖の念を抱かせるレアンだけのギア。


「あ、でも。特殊なギアと言えば、海の向こうの国にいるぞ。父上のものとは違うが」

「海の向こう……そう言えば、魔物がいる大陸なんだっけ?」


 前にラアンが海の向こうの大陸に魔物がいると、ラアンとルアンを驚かそうとしたことを覚えている。


「本当に魔物がいるの? それとも子どもに話す怖い作り話?」


 ルアンは、真顔で問い詰めた。


「え、いや……城を訪問した時に、海の向こうに行ったことのある騎士から聞いただけだからな……。海の向こうに行けるのは国王陛下達ぐらいだ。……でも、騎士の話だと、向こうの大陸は魔物の戦いの中で、一握りだけが覚醒するらしい。名は【ギアヴァント】。向こうでは最強のギアと呼ばれているらしいが……やはり父上が最強だとオレは思うぞ」

「ふぅん……ギアヴァントね」


 ラアンは、レアンが一番最強だと胸を張る。実際のところ、遠く離れた国のギア使いとレアンが直接対決することは出来ない。だから、どちらが最強かはわからないだろう。


「海の向こうは魔物がいるから、進化して新しいギアを使えるようになった。あたし達も使えるようになるんじゃない? 極限状態に追い込めば」

「……かもしれないが、やはり隣の国の特殊な環境故だろう」


 ルアンの言う極限状態がどんなものか、想像するのも恐ろしいため、ラアンは訊かなかった。


「ルアンはこれから鍛えていけば、父上のような特殊なギアも使えるようになるだろう。……五年後ぐらいには」

「五年後ね」


 ルアンは、光を出してクイクイッとまた指を振る。


「……本当にガリアンに入るのか? ルアン」


 話す機会がなかったが、ずっと訊きたかったことを、ラアンはルアンに向けた。


「あたしと働きたくないの?」

「そういうわけではない……ただ、まだお前は五歳だし」

「もうすぐ六歳」

「そ、それでも、焦ってガリアンに入る必要はないんじゃないか?」


 少し苦戦したが、ラアンは素直にそれを口にした。


「お前が、心配なんだ……」


 ガリアンは危険が付き物の仕事。子どものルアンが働くなど、心配でたまらない。


「父上は試験に受かれば、ガリアンメンバーと認めると言った。だから、お兄さんも受かったら認めて」


 ガリアンメンバーとして、認められる試験。レアンが認めるなら、ラアンも認めるだろう。例え兄として心配していても、ルアンはガリアンに入るつもりだ。


「……試験、か」

「知ってるの? 試験内容」

「ああ……一応な……」


 ラアンは難しい顔を俯かせる。いかにもその試験が気に入らないという表情。

 それほど、難しいものなのか。ルアンは訊いてみようとしたが、口を開く前に扉が開かれた。門番の仕事を終えたクアロだ。


「ボスから手紙が届いたわよー!」


 笑顔のクアロが右手に掲げるのは、レアンからの返事。早速読もうとペーパーナイフを掴むクアロの元まで、ラアンは早歩きで近付くと手紙を奪い取った。


「ちょっと! ボスからのラブレター返しなさいよ!」

「父上がお前なんかにラブレターを送るわけないだろ! ほら宛名がオレじゃないか!!」


 クアロが奪い返そうとして、もみ合いになる。ラアンは念のために宛名を確認したが、クアロ宛ではない。そもそも、レアンはラブレターを送るような男ではない。

 クアロを押し退けたラアンは封を切ると、ルアンの元まで戻った。

 結局出したのかと呆れた顔をするルアンに、ラアンはレアンからの手紙を読み上げる。


「"強盗団は確保した。そのあとに手紙を読んだ。強盗どもを連行すると帰りは、最低三日はかかる。その間、しっかりルアンのことを守れ"だそうだ。父上も心配しているぞ、ルアン!」


 レアンの短い手紙で、改めてルアンを任されたラアンは上機嫌な笑みを漏らして胸を張った。

 それを横で見たクアロは、ルアンに視線を送る。ルアンはなにも言うなと首を振った。


「あ、続きがある。"PS.リ"……リ……リリ……」


 続きを読み上げようとしたが、ラアンは青ざめて手紙とルアンを交互に見る。最後には声を発することを止めて、立ち尽くした。

 ルアンは、首を傾げる。

 痺れを切らしたクアロが、手紙を奪い取った。


「あ、待て! 止めろ!」


 ラアンは蒼白の顔で取り返そうとしたが、クアロはベッドを転がり、ラアンの手が届かない向かいに移動すると読んだ。


「"PS.リリアンナが結婚した。連れ子とともに少しの間滞在するから、覚悟しておけ"? 誰、リリアンナって」


 読み終えると、クアロは聞き覚えのない名前の人物について問う。

 ベッドの上のルアンを見ると、不機嫌な表情になっていた。


「……は?」


 短く発せられた声は、ルアンの一番低い声だろう。レアンを連想する怒りに染まったそれに、クアロもラアンも震え上がる。睨む目付きもレアンを連想するものだ。

 ルアンの怒りは、頂点に近い。そんな反応をさせるこの人物は一体誰なのかと、クアロはラアンに視線だけで問い詰めた。


「……お、オレ達の……母親だ」


 ルアンを気にしながらも、ラアンは小さく答える。

 レアン・ダーレオクの元妻であり、ルアン達の母親。リリアンナだ。



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