第10話 洞察力。




 綺麗な明るい茶髪を左に寄せてわけたゼアスチャンは、感情を表さない無表情でルアンを見下ろす。瞳は水色。きっちりとネクタイを締め、黒のコートもビシッと着ていた。


「こんにちは、ルアン様」


 ルアンの前で片膝をつくと、ゼアスチャンは挨拶をする。


「乱れております。直させていただきますね?」


 丁寧で静かな口調でゼアスチャンは言うと、ルアンのネクタイとYシャツを整えた。

 それを見ながらも、ルアンはじっとゼアスチャンを見上げる。


「……何故、私がルアンだと知っているのですか?」


 ルアンの見た目は、男の子の格好だ。弟のロアンとは瓜二つ。

 ルアンが髪を燃やされ、ギアの練習のためにズボンを穿いて過ごしている事情を知らなければ、気付けないはずだ。

 この国ではまだ、女性はドレスを着ることが一般常識。


「ルアン様がギアを初めて使ったお姿を目撃しましたので、事情を知っております。先程クアロといた姿をお見かけしましたし、ロアン様の方はラアン様が常に連れて歩いています故」

「ふぅーん……」


 事情を把握していて、クアロと共にいた姿を目にした。だからルアンだとわかったようだ。


「……」

「……なにか、用があるのですか?」


 ルアンの服を整え終わっても、ゼアスチャンは片膝をついたまま。ルアンの用件を静かに問う。

 それを一瞥してから、ルアンはにっこりと女の子らしい笑みを浮かべた。


「どうして、ゼアスチャンさんは私を様付けするのですか?」

「敬愛するボスの家族です故……」

「……ふぅーん」


 丁寧に応えるゼアスチャンを見つめながら、また笑みを深める。しかしルアンの瞳は、ゼアスチャンを観察した。

 ゼアスチャンは、決して顔に感情を表そうとしない。無表情のまま、ルアンを見つめ返す。


「私のことはどうぞ、気軽にゼアスとお呼びください。ルアン様」


 口を開きゼアスチャンは胸に手を当てて頭を下げると、静かに告げた。


「考えておきまぁす」


 声を弾ませて、ルアンは背を向ける。曖昧な回答のまま、ゼアスチャンから離れてクアロの元に戻った。


「こら! 私から離れるんじゃない! ガリアン内で誘拐されることはないけど、なにかあったら私はボスに殺されるんだからね!」

「ちょっと離れたくらいで泣かないで、ダーリン」

「誰がダーリンだ!」

「ハニーがいい?」

「ハニーなら……。ってそういう問題じゃない!」


 怒るクアロをルアンは軽くあしらい、階段そばの植木にまた腰を下ろす。


「……で、ゼアスさんと会ったんだろ?」

「どうだったのよ?」


 シヤンもクアロも、ルアンが離れた目的が達成されたかどうかを問う。


「あー、ゼアスチャン? まぁ、見た目は普通だったけど」

「普通でしょ? 精鋭部隊の中で一番の真人間なのよ」


 ルアンはいかにも興味がないように言うが、クアロは自分達の認識が正しかったと胸を張る。


「いや、ある意味変態」


 本を開いて、ルアンは言った。それを聞いて、クアロとシヤンも目を丸める。


「なんで!? なんかされたのか!?」

「なにか言われたの!?」


 顔色を変えて、二人は問い詰めた。


「あたしの前で片膝をついて、様付けしてただけだけど……あの人はマゾ。それもドMだね。しれっとした顔をしても、踏まれたがっている感じ」

「どんな会話したらそんな印象を抱くのよ!?」


 普通に話していただけだが、ルアンはそう感じた。クアロは信じられないと怒鳴る。


「あの人からこう……罵って踏んでください、って雰囲気で言っているのを感じる」

「思い込みよ! だからどこでそんなの覚えたの!?」

「クアロこそ、どこで覚えたの?」

「え゛っ……」


 ルアンから質問返しをされ、不意打ちにクアロは固まる。

 本に顎を乗せたルアンは、目を細めて口をつり上げてニヤリと笑う。子どもらしかぬ笑みで、その口で告げた。


「この変態」

「!!?」


 明らかに楽しんだ様子で吐き捨てたドS娘に、クアロは絶句をする。


「アンタもマゾだろ、へーんたい」

「なっ……何を言う!」

「あたしの父親に抱かれたいんだろ? どう考えてもマゾだろうが」

「な、何を言う!」


 楽しんでいる証拠に足を揺らすルアン。

 わなわな震えるクアロは、拳を固めてはっきりと言ってやった。


「当たり前でしょっ! あのボスに激しく抱かれたいわっ!!」


 言い切った直後に、クアロに向かってシヤンが飛びけりを決める。脇腹に入り、クアロは地面に倒れた。

 その迫力にルアンは呑気に拍手をする。


「やっぱりおめえが悪影響じゃねーかっ!!」

「ぐうっ……ちがっ……うぐ」


 ルアンの余計な知識は、クアロが元凶。シヤンが断定するが、全く覚えのないクアロ。反論したくともダメージの大きいクアロは、立ち上がれないでいた。


「シヤン、アンタもマゾだろ」

「は!?」


 足を組んだルアンが、シヤンにも言う。びくりとシヤンは震え上がった。


「ガウガウ吠えてたのに今じゃ尻尾を振って。まるで攻略が楽勝なツンデレキャラ。ご主人様求めてたわんちゃんなんでしょ? ご主人様の命令が欲しくて欲しくてたまらないマゾわんこなんでしょ?」


 マゾ呼ばわりするルアンを呆然と見て、シヤンは青ざめる。

 ふと、視線に気付いてシヤンが下を見ると、クアロが軽蔑の眼差しを向けていた。

「ちげぇ!!」と、シヤンは力一杯に否定する。


「あのゼアスチャンも、ちょっとタイプの違うマゾわんこだな。誰かの下にいたがって足に踏まれたがる変態マゾ」

「コラッ! ゼアスさんに対して、何てことを言いやがる!」


 そこで聞こえてきた声に、ルアンは笑みをなくして目を向ける。

 そこに立つのは、黒いコートに身を包んだ兄のラアン。そして足に隠れている弟のロアン、ルアンと酷似した服装だ。


「彼はガリアンの財務も任されている信頼の厚い精鋭部隊の一員だ。尊敬に値する人を貶すんじゃない」


 ラアンは厳しくルアンを叱りつけた。ルアンは口を閉じたまま、ただラアンを見据える。

 何を考えているのか、読めない眼差しに、次第にラアンは顔色を悪くして目を背けた。

 その先には、呆けているクアロとシヤン。


「てめえら! 仕事しろ!!」


 門番の仕事中であるクアロとシヤンに怒号を飛ばす。

 その瞬間、監獄の扉が開かれた。手錠をつけた薄汚れた男が飛び出す。


「脱獄だっ!! 捕まえろ!」


 ラアンは瞬時に弟のロアンを抱き上げて、妹のルアンの盾になろうとした。

 脱獄を防ぐことは、クアロとシヤンの仕事だ。

 二人が構え、ギアの紋様を宙に書こうとした。しかし二人よりも先に反応したルアンが、両手の指先で書き始めていた。両手で一つの紋様を描いたルアンの方が、クアロ達の倍速く書き上げる。

 木(もく)の紋様。真っ直ぐ下に線を引き、左上に向かって半月を書く前に、右へ一線を引き、少し下へ下げて、重なった線まで戻り、左斜め下に下げ、円を描く。奇しくも、漢字の木が円の中に描いたような紋様。

 ルアンが背にした木の枝が伸び、ラアンの頭上を掠め、階段を飛び降りて逃亡を謀った脱獄犯の身体に、鞭のように叩き付けて、扉の中に吹き飛ばした。


「ハウス」


 ルアンは鼻で笑うと、何事もなかったかのようにまた本を開いて読み始める。


「本当にルアンの発動は、早いな!! すげー!」


 シヤンは目を輝かせ、ルアンのギアを絶賛した。シヤンが宙に浮かべた紋様は消えてなくなる。クアロの紋様も発動せず消えた。

 クアロは階段を駆け上がり、中を確認する。監獄の中にも見張りがいる。その見張りが、隙をつかれて危うく逃げられた。クアロは怒鳴って、指示をする。


「両手で……紋様を書いてタイムロスを減らしたのか……」


 ラアンは驚き、感心した。

 ギアは紋様を描いて発動するもの。そのタイムロスが、命取りとなることもある。早い方がいい。

 見張りを怒鳴るクアロに目を向けていたルアンは、ラアンにそれを向けた。

 じっ、と黙って向けられる眼差しに、また顔色を悪くしてラアンは顔を背けた。


「書き方を誤れば、お前が怪我していたところだぞ! 気を付けろ!」

「……」

「……うっ」


 書き順を誤れば、下手をすると爆発しかねない。

 ラアンが注意すると、ルアンは翡翠の瞳を細める。それはまるで、声なき悪態。


 うざい。黙れ。くたばれ。


 それを言いたげだとわかり、ラアンはまた顔を背けた。

 ルアンはラアンにしがみついたロアンが、自分を見ていることに気付いた。絶賛するシヤンと似て、輝いた目をルアンに向けている。

 ルアンと目が合うなり、ロアンはびくっと震えるとラアンの陰に隠れた。首を傾げたが、息をつくと本を閉じる。


「で? なにか用?」


 ラアンに問う。


「え?」

「用があるから来たんだろ」

「あ、ああ……」


 ラアンがわざわざ監獄前に来たのは、自分に用があると解釈した。早く済ませろと急かす。


「父上がお呼びだ。クアロと来いと言っている」

「……父上が?」

「オレが代わりに門番を勤めるから、早く行ってこい」


 レアンからの呼び出し。ルアンとクアロだ。

 ピクリと反応したクアロが振り向くなり、ルアンの腕を掴む。そしてレアンの元へ駆けようとした。

 ルアンは本を落としてしまい、踏みとどまる。

 気が付いたラアンは、本を拾ってルアンに差し出した。

 そこでシヤンが声を上げる。


「うお!? 瓜二つだな、流石双子だ! あれ、でも、男女の双子じゃなかったか?」


 ラアンの後ろに引っ付いたロアンを初めてちゃんと目視して、ルアンと見分けがつかない瓜二つっぷりに驚いた。

 それを聞いて、ラアンは顔をしかめる。


「なにをバカなことを言ってる、シヤン! ギアの練習のためにズボン穿いているだけで、ルアンはオレの妹だ!」

「えっ!」


 ラアンがシヤンの勘違いを怒鳴って指摘した。実の兄であるラアンが言うならば、クアロよりも信憑性がある。

 ルアンは差し出された本を乱暴に受け取ると、大きな舌打ちをした。それにラアンもロアンも、ビクリと震え上がる。


「くそつまらねーネタバラししやがって……」

「!?」


 ボソリと低く吐き捨てると、ルアンはクアロの手を引いて乱暴に歩く。

 男の子と勘違いしていたシヤンに、とんでもない状況でネタバラしをして、至極慌てふためく姿を見る楽しみにしていたのだ。それを奪われ、ルアンは最高に機嫌を悪くして、父親の元へ向かった。


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