第9話 前世。
ルアン・ダーレオクは転生少女である。それを隠してはいない。自分から言い触らしている。しかし、それを鵜呑みにする者はいない。
「あたしは5歳プラスαだから」
ルアンはそう言う。
「αってなによ」
決まってクアロは、そう問う。だからルアンは「前世の歳」と返す。
挨拶のようなやり取りに、あまり意味はない。
クアロが話半分にしか聞かず、あまり理解していないことを、ルアンは気にしていない。前世云々を理解されなくてもいい。そのやり取りだけで十分なのだ。
クアロがルアンの子守りを始めて、一ヶ月が過ぎた。クアロに子守りと言う名の護衛をされながらも、ルアンはギアを学んだ。
指先から魔力を放ち、魔法陣を描き発動する魔法。
ただしこの世界では魔法陣ではなく“紋様”と呼ぶ。魔法ではなく【ギア】と呼ぶ。魔力ではなく“光”と呼ぶ。
光、それはまるで、バターが溶けるように、それでいて指の跡からはみ出ない、空中に描ける絵具。
指先から光を放つ動作を、呼吸をするように覚えた。
今は様々な紋様を覚えることに専念している。
クアロはガリアンで働いているため、ルアンの子守りばかりしていられない。
ガリアンが捕獲した犯罪者を、閉じ込めた監獄の門番が主な仕事。
そんな日は、ルアンもクアロと一緒に監獄前にいる。ほとんどの場合、そばの木陰で読書をして過ごす。
門番は通常、2名配置される。クアロと配置されるのは、決まってシヤンと言う名の少年だ。
ツンケン跳ねさせた赤毛。右耳の前で三つ編みを垂らして、活発そうな笑みを浮かべたシヤンは、クアロと同じ16歳。
ルアンに絡み、ギアを初めて発動させたきっかけだ。
ガリアンのボスの子どもが、七光りで組織に入ったのだと勘違いし、絡んできたシヤンだったが、再び会うと態度は一変していた。
「ガリアンに入るために、ギア学んでるんだろー? 俺も手伝ってやるよ!」
ニカッ、と歯を剥き出しにして笑いかけてきたシヤンが、ルアンは犬のように見えた。遊び相手に尻尾を振る子犬。
どうやらルアンの初ギアに衝撃を受け、ルアンを認め、なついたようだ。
それからと言うもの、クアロが門番の時は、必ずシヤンから話し掛けては、ギアを教えてくれた。
「なーなー、ルアン! 今日は水(すい)の紋様を練習しようぜ!」
今日も木陰に座って本を読むルアンに、シヤンは満面の笑みを向ける。
「仕事中でしょ、休憩してからな」
監獄を囲う高い植木に、腰を下ろしたルアンは、翡翠の瞳を向けもせずに適当にあしらう。
「そうよ! 仕事中なんだから、ちゃんと立ってなさいよ!」
正面玄関の前に立つクアロも叱りつけた。
門番は脱獄する犯罪者を食い止める大事な役目だ。
「子守りと掛け持ちするおめーに言われたくねーし」
べー、とシヤンは舌を出してクアロに言い返す。
「しょうがないでしょ、ルアンが一番安全な場所は家かこのガリアンなんだから。私のそばにいた方がいい」
腕を組んでクアロが話せば、シヤンは立ち上がり指差した。
「だいたい、なんでおめーなんかに大事な息子のお守りを任せるんだよ」
「息子じゃなくって、娘だってば!」
クアロが訂正するが、シヤンは信じない。
シヤンの視線に気付いて、木陰で文字を追っていた瞳をルアンは向ける。そんなルアンは栗色のショートヘア。双子の弟とお揃いで後ろ髪がはねている。
緑色を基調にしたベストと、チェック柄の七分丈のズボン。ネクタイは赤色だ。どう見ても、男の子の格好。
「どう見たって男だろ!」
「だからっ、ギアの練習のためにズボン穿いているだけだって!」
「くだらない嘘を言うなこのカマ野郎!」
クアロは真実を言うが、シヤンは嘘だと一蹴した。
「ルー! いい加減、アンタから言いなさいよ!」
本人が言うならば、信じるはずだ。クアロはルアンに掴みかかる。
「こういうのはな、タイミングが大事なんだよ」
ルアンは真顔で、クアロだけに聞こえるように言う。
「大きな勘違いをとんでもない状況で暴露すれば、とっておきの慌てふためく姿が見れるじゃん?」
「アンタ、性格歪みすぎっ!!」
シヤンの誤解を楽しんでいる。クアロはドン引きした。
「このドSめ……」
「ドS? いや、違うよ」
ルアンは、首を振って否定する。
「あたしはいじられたいマゾなんて、いじりたいとは思わない。気持ち悪いし、萎える。……自分をサドだと思い込んだマゾや、嫌がる奴をいじりたい。その方が楽しいもの」
「アンタは間違いなくドSだ!! 鬼!!」
子どもらしかぬ嘲笑を浮かべたルアンを、間違いなくドSとクアロは大声で断言した。
「絶対におめーは、悪影響だろ。近付くな、しっしっ」
「私はいい影響力しか与えてないからっ!!」
事情をよく知らないシヤンに追い払うように手を振られ、クアロはそれを叩き落とす。
「なんで変態なオカマ野郎に、ボスはお守りを任せたんだよ?」
シヤンは睨む。
しかしルアンの性格の悪さは、前世からのものだ。クアロが同性愛者でも、その影響は受けていない。強いて言うならば、口調くらいのものだ。
「私はボスに一途だけど、他の隊員がゲスだから任せられなかったんでしょ」
胸を張って見せるクアロは、ボスに一途と認められていることを思い出して、にやける。
それを見て、ルアンもシヤンも「キモイ」と吐き捨てた。
「私には防のギアがあるから、護衛を兼ねた子守りに最適だと思ったのよ」
「そりゃ、防のギアなら守りに最適だけども。精鋭部隊の誰かの方が、おめーより確実じゃないか?」
ギアの相殺を得意とするクアロなら、ルアンをギアから守れる。
しかし、護衛の任務なら精鋭部隊が相応しい。
ルアンの父であり、ガリアンのボス、レアン・ダーレオクが率いる精鋭部隊。幹部とも言う。戦闘において最強のギア使いが揃っている。
「最初ラアンが面倒見てたけれど、髪燃やしちゃったから、私が選ばれたの。他の精鋭部隊は……ゲスだって知ってるでしょ」
ルアンの兄ラアンもまた精鋭部隊の一人だが、既にルアンの子守りをクビにされた。
「……確かに……」
少し考えたあと、シヤンは納得する。
現在、ガリアンのメンバーは男だけ。犯罪者を捕まえる仕事ではあるが、大半が酒癖や女癖が悪い。
子どもだからと油断できないほどゲスだからこそ、レアンは彼らに預けなかった。
「でも、おめーも変態じゃん。男好きだし」
同性愛者と変態は同等と認識しているシヤンは、疑いの目を向けるが、クアロは胸を張る。
「男なら誰でもいいわけじゃないし、私は年上が好きなの、年下は趣味じゃないわ」
「ほんとかよ」
「そもそも、ルアンは女の子だから」
「うるせーよ、いちいち」
もう一度クアロはルアンが女の子だと言うが、シヤンはうんざりしたように一蹴した。
すると、ルアンがようやく本を閉じる。
「じゃあ確認する?」
そう問いながらも、ルアンは二人から回答を求めない。
赤色のネクタイを外すと、Yシャツのボタンも外し始めて胸元を晒す。袖で両頬をゴシゴシと擦ると、当然のように赤くなる。
ふっくらした赤い頬をすると、ルアンは翡翠の瞳を潤ませてクアロを見上げた。
「クアロお兄ちゃん……優しく、して?」
少し息を乱して、Yシャツを握り締めながら、おねだり発言。
「止めなさいっ!!」
クアロは瞬時にYシャツを閉じさせた。シヤンは青ざめて硬直。
「アンタはどこでそう言うの覚えるのよっ!!」
「前世」
「意味わからないから!」
「はい、一応正常」
怒りながらもクアロは、ルアンのボタンをつけてやる。クアロがルアンに手を出すことはまずない。シヤンもしかり。
「……ねぇ、あの人も確か精鋭部隊だよね」
ネクタイは自分で結び直しながら、ルアンは顎で指す。
ガリアンの屋敷。書類仕事と休憩をする館の三階の窓には、廊下を歩く男の姿。
「あー、ゼアスチャンさんよ」
確認したクアロがその男の名を言う。
「あっ、ゼアスさんは一番真人間じゃん! なんでゼアスさんに子守りを任せないんだよ?」
「まだ言うの? ゼアスさんは、今はラアンの仕事も負担してるもの。彼ばっかりには子守りを押し付けないわ」
シヤンがまだクアロの子守りに文句を言うが、クアロは適当にあしらい返す。
「確かに真人間っぽいけど……この一時間で三回もあの廊下を往復してるよ」
「三回も?」
ゼアスチャンと言う名の男は部屋に入って、ルアン達の視界から消える。
ルアンは読書をしながらも、三度も往復していたゼアスチャンを見ていた。
「レアンは、ラアン以外を変態だって吐き捨てたよ」
レアンいわく、ラアンを除く精鋭部隊はみなゲス。
しかしシヤンもクアロも首を振る。
「いやいや、ゼアスさんは例外だって。あの人、冷静沈着で、精鋭部隊のストッパー役だ。あの人がいなきゃ、ぶっちゃけガリアンはもっと柄悪い組織になってたはずだぜ」
「清潔に身形を整えてるし、荒れたところも見たことないし、ゲスな会話しているところも見たことないわ」
二人はゼアスチャンという男は、まともで優秀だと認識していた。
確かにルアンが見ても、ゼアスチャンは身形を整えていてインテリ系の印象を抱く。まともそうに見える。
「でもまともそうに見える人ほど、どんな性癖を持つかわからないじゃん?」
「だからアンタはどこでそう言うの覚えるのよっ!?」
ルアンはクアロの問いにまた「前世」と笑って答えた。
まともそうに見えるゼアスチャンに任せなかった理由があったからこそ、レアンは預けなかったに違いない。自分に想いを寄せる同性愛者より、信頼できるまともな人間を選ぶに決まっている。
「自分の目で確かめてくる」
「あっ、ちょ、バカん! 勝手に離れるな、ルーっ!」
ルアンは地面に着地すると、館に向かって走り出す。門番で持ち場から離れられないクアロの呼び声も気にせずに、屋敷の中に入った。
階段を探して廊下を駆けると、別の男と出会す。ガリアンの黒いコートを着ているが、前開き。ブロンドの長めの髪をハーフで束ねた目の細い長身の男。
「お? ボスの子どもじゃん。えーと、ロアンだっけ?」
男はにっこりと笑いかけると、足を止めたルアンの前にしゃがんだ。
大抵の者が、ルアンを弟のロアンと間違える。それはルアンがドレスではなく、男の子の格好をしていないことが原因。なにより、ルアンが否定しないことが要因。
「お姉ちゃんはどこ? 君達の母親って美人だったからさー、きっとお姉ちゃんは美人に育つわけよ。今のうちに可愛がって、将来ももっと可愛がりたいってわけで、お姉ちゃんにオレのことかっこいいとか言っておいて。飴あげるから」
「……」
ルアン本人に下心を話して、笑いかける男も恐らく精鋭部隊の一人。
きっと母親に似て美人に育つであろうルアンに、将来手を出すことを目論んだ者ばかりだったため、レアンは子守りを任せなかったのだ。推測したルアンは納得する。
一応、ガリアンに入るつもりであるルアンは、精鋭部隊の彼に媚を売るかどうかを見据えながら考えた。
ほんの一瞬だけ。
役に立たないと判断し、媚を売るならばゼアスチャンの方がいいと考え、そのままなにも答えずに階段まで走った。
「ちょっ……可愛くねーガキめ!」
男の悪態など聞こえないフリ。
三階へ辿り着くと、またゼアスチャンが廊下を歩いていて、出会した。
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