嫉妬

「私、ちょっと出掛けて来るわ」


 朝。私は目が覚めてすぐに携帯に手を伸ばし、早朝に調べようと思って止めていた玉眞院について調べたら、玉川大師とも呼ばれている寺院だと言う事が分かった。しかも、私が今いる場所から近い場所にあると言う事も。


 夢の中の真吉さんが、私に何かお礼をしたいと言って消えて行った。それが一体何なのか気にならないと言ったら嘘になる。しかも、あんな風にわざわざ伝えに来ることなんてなかったもの。ただの夢だろうって言われたらそれまでだけど、でも、行かないなんて選択肢はない。だから、私は急いで着替えを済ませたんだ。


 突然出掛けて来ると行った私に、虎太郎とやこはきょとんとした顔を浮かべている。


「出掛けるって、どちらへ?」

「二子玉川。玉川大師に行って来る」


 玉川大師。世田谷の閑静な住宅街の中にあるその神社には、四国八十八ヶ所を巡るのと同じ御利益があるって言う地下霊場がある。実際に八十八ヶ所を巡れない人には、うってつけの場所って言ってもいいかもしれない。


 二人もついて来るか聞いたけど、今日に限って二人とも用事があるらしく断られてしまった。虎太郎は「ついていけずにごめん」としょんぼりしていたけど、用事があるなら仕方がないもの。




 私は一人、二子玉川駅を降りて徒歩10分の場所にある玉川大師にやってきた。

 階段を昇って中に入ると本堂の前に立つ。池川神社とは違って、少ないけれどチラホラと参拝客がいた。


 本堂正面から靴を脱いで中に入ると立派な弘法大師の本尊があり、その左側には下に降りる階段があった。参拝料を支払って、地下へと続くその階段の前に立って見ると手を差し入れても指先が見えないくらい真っ暗。何の明かりも届かない漆黒の闇に包まれている。


「中は真っ暗だから、右手を壁につけたまま歩くんだよね」


 急な階段をそろそろと降りて地下霊場へと足を踏み入れる。

 目が慣れてくれば道は見えるだろうと思っていたんだけど、どんなに目を凝らそうとも何も見えてこない。それも当然か。どこからも光が入って来ない地下なんだもの。慣れる慣れない以前に、見えるはずがないんだ。


 自分の手も腕も何にも見えない本当の暗闇なんて、初めての経験だわ……。


 私は注意書きにもあったように右側の壁に触れてみる。

 触り心地はつるつるとしていてヒンヤリしていて、少し肌寒い。

 足元も周りも何にも見えない中触れている壁を頼りながら、段差があるかもしれないからってそろそろと歩いて行く。


 そう言えば入り口に、この暗闇の中歩いている間は「南無大師遍照金剛なむだいしへんじょうこんごう」って唱えながら歩くことって書いてあったっけ。


 私は開けていても閉じていても同じ中、目を閉じたまま心の中でお経を唱えながらゆっくり歩くと道はどんどん下っていく。暗くて下るのは確かに怖いけど、引き返すことは出来ないからひたすら前に進んだ。すると、ふと目の前が明るくなり目を開く。


「わぁ……」


 私は思わずそう声を出した。

 オレンジ色の明かりの中には沢山の石仏がずらりと並んでいて、その台座部分には「四国一番」から「四国八十八番」までの番号が振られている。まさに圧巻。地下にこんな大殿堂があるなんて……。それにこの場所はまるで仁淀川町に戻ってきたようなそんな不思議な感覚に包まれる。なぜだろう。八十八ヶ所と同等の聖域だから?

 

 私はゆっくりと石仏を見て回る。そして「四国二十一番」の前で立ち止まった。


「数え年って言うと、実年齢にプラス1足した数だったよね。ってことは、この石仏にお参りすればいいって事よね?」


 私は目の前の石仏を見上げ、両手を合わせてお参りをする。すると、すぐ傍で聞いたことがある鈴の音が聞こえ、思わず目を開いて周りを見回した。


「あれ……? 鈴の音がしたような……」


 聞き忘れることが無いあの鈴の音は、幸之助の神楽鈴だ。でも、何でこんなところで神楽鈴の音が聞こえたんだろう?


 もう一度石像を見つめると、ポケットに入れた幸之助のお守りが突然カーっと熱くなった。


「え? 何……?」


 驚いてポケットからお守りを取り出すと、お守りからスーッともやのような物が立ち昇り、それは見る見るうちに幸之助の姿を象って行った。


「こ、幸之助……?!」


 目の前に姿を見せた幸之助は、閉じていた目をゆっくりと開く。そして私をその視線の先に捕らえると彼もまた驚いたように目を見開いた。


「加奈子殿!?」

「え? 何? 何で幸之助が?」


 私は何が何だか分からず混乱していると、幸之助は泣き出しそうな顔をして突然ぎゅっと私を抱きしめてきた。

 一瞬、ただの幻覚か何かだと思ったんだけど、抱きしめられるぬくもりも匂いも、本物の幸之助の物だと分かると急に胸がいっぱいになる。


「飯綱からの連絡であなたが大変な目に遭ったと聞いて、とても心配していました」


 やこ、昨日あった事、幸之助に連絡してたんだ。

 幸之助は本当に心配していたみたいで、力強く抱きしめてくる。それが何か、きゅっと胸の奥が苦しくなるくらい愛しくて嬉しい。


「でも、何で幸之助が……」

「真吉殿の夢を見たんです。池川神社で祈るようにと……」

「私も真吉さんの夢、見た! ここに来るようにって……」


 そう言うと、幸之助と私は思わず顔を見合わせた。

 偶然なのか何なのか。二人揃って同じ夢を見るなんてことあるんだろうか……。

 私はそんな事を考えはしたけど、今はどうでも良かった。これが、真吉さんが用意してくれたお礼なんだとしたら、こんな嬉しいことは無いもの。


 私はぽすっと彼の胸に顔を埋めてぎゅっと抱きしめ返すと、幸之助も同じように抱きしめ返してくれる。

 沢山の石仏が並ぶ前でこういう事するのは失礼なのは分かってるんだけどね。今しかないし……あと、まだここに誰も来ませんようにと願うしかないわけで……。


「……虎太郎殿のニオイがする」


 ふと、幸之助が私の耳元で呟いたその言葉に、私は閉じていた目を開き彼を見上げた。


「あ、え~っと……虎太郎ってね、いつもすぐ傍にいるから……」


 どう言っていいのか分からなくて焦っていると、幸之助はムッと顔を顰めてぎゅうううっと力いっぱい抱きしめてきた。


「加奈子殿は私の大切な方です。犬神に取られるなんて、やっぱり耐えられません」

「こ、幸之助?」


 何とか目線だけを上にあげるのと同時にうなじにズキッとした痛みを覚えた。


「い、いたぁっ!」


 思わずそう声を上げると、抱きしめられた腕が解かれる。

 私が自分のうなじに手を当てながら幸之助を見上げると、彼は赤らんだ顔をしてそっぽを向いて口元を着物の袖で隠していた。


 え? 何……?


「……またきっと……いえ、必ず、帰って来て下さい」


 幸之助はそう言うと、煙のようにふっと姿を消してしまった。それと同じく、暗い道を辿ってきた他の参拝客が数人、この大殿堂に入って来るのが聞こえた。




                  ◆◇◆◇◆

    



「違う」


 部屋に帰って来るなり、犬姿のままの虎太郎がジト目で突然そんな事を言うから、私は訳も分からず突然の事に目を瞬いた。

 何だか虎太郎はとても機嫌が悪そう。何かあったのかしら……。


「違うって何が?」


 不思議に思って聞き返すと、虎太郎は私の周りをぐるりと周りながらスンスンとニオイを嗅いだ。そして私の前まで戻って来るとすとんと腰を下ろし、ぷいっと顔を横に背けた状態でつまらなさそうに呟く。


「ニオイが違う」

「ニオイって……」

「猫だ」


 猫と言われて思わずドキッとしてしまった。

 鼻がいいなぁって思ったけど、そりゃそうか。虎太郎は犬だもの。鼻が利くのは当たり前だわ。


「知らないと思ってるの? このニオイ、幸之助だよね」


 ズバリ言い当てられて、私はまたギクッとなった。

 いや、ていうか何でここでいちいち私が動揺しなきゃいけないのかが分からないし、別に隠す事でもないから普通に答える。


「そうだけど……」

「幸之助、こっちに来てるの?」


 じとーっとした目でこちらを見ている虎太郎に何て答えればいいのか困った。

 来ていたと言えば来ていただし、来ていないと言えば来ていないにもなる。いや、でも虎太郎に責められるような事、私したかしら。


 私が困っていると、虎太郎はムスッとした顔のままぽつりと呟いた。


「そんな印まで付けられたら、僕、手出しできないじゃん」

「印?」

「首の後ろ。知らないわけじゃないでしょ」


 ふてぶてしくそう言われ、私は首の後ろに触れた。けれど特に手に触るものはない。そう言えばさっき、一瞬ビックリするぐらい痛かったんだ。でかい虫に刺されでもしたのかと思ったんだけど……。


 今日はバレッタで髪を上げていたから、うなじは曝け出している状態。

 合わせ鏡で、姿見の中の手鏡を見てみると噛みつかれたような丸い跡が残っている。


 ん……? 待って。噛みつかれた……?


 私はあの時の事を思い出す。

 そう言えばうなじが痛む直前、幸之助は思い切り私を抱きしめて来たんだっけ。その直後だったから……つまり……もしかして……。


 結果、私は自分のうなじに付いていた跡が何なのかが分かると、頭の先から下まで一気に真っ赤に染め上がった。

 そんな私の様子がまたしても面白くないのか、虎太郎はぷくっと頬を膨らませる。


「そんなマーキングされたら、僕形無しだよ」

「マーキング!?」

「どう見たってマーキングでしょ。そんなとこ噛むの、自分のものだって言ってるのと同じじゃないか」


 彼の言葉に私は顔を真っ赤にしながら一人で混乱していた。


「そ、そんなマーキングだなんて! バカな事言わないで!」

「あら、まぁ」

「!?」


 私がそう声を荒らげると、いつの間にか帰って来て真後ろに立っていたやこが驚いたような声を上げる。それに驚いた私が彼女を振り返ると、やこは私のうなじの跡を見つめながら目を開いて口元に手を当てていた。かと思うと、彼女は彼女で頬を染め、恥ずかしそうに視線を逸らし伏せ目がちになる。


「……情熱的ですのね」


 とモジモジしながら俯き加減にそう言った。


 ちょ、何!? 何なの二人とも!? 変な誤解しないでよ!!


「ち、違うったら!」


 困ったように頬を染めたまま笑うやこに、虎太郎はますますつまらなさそうな顔をしてぶんむくれた顔をする。


「虎太郎。もう、変な事言ってないで機嫌直して。ね?」

「……」


 完全にへそを曲げてしまった虎太郎に、何故か私は一生懸命弁明をしたり宥めたりしているけれど、一向に機嫌が良くならない。


「やこ~。虎太郎になんとか言ってよ」

「それは……まぁ……どうしましょう。これは私が口をはさむべき事ではないのじゃないかと……」


 いや、どうしましょうじゃなくて。

 やこに助け舟を求めたけれど、彼女は彼女で困ったようにさらりとかわしてしまった。何なのよもう!

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