第120話 キャン
勇者一行の宿は、目抜き通りの坂を、中ほどまで登ったところにあった。
「フウ、ハア、やっと着いた……」
「グレン、だらしないわね」
ミリネはそう言うが、いくら軽いとはいえ、人ひとりをはるばるここまで抱えてきたんだ。労わりの言葉くらいあってもいいと思う。
「ミリネ、その子を風呂で洗ってやれ。こう臭くてはかなわん」
ルシル先生、その臭いのをずっと抱えてた俺の気持ちにもなってくださいよ。
「グレン、お前も風呂に入って着替えろ。臭うぞ」
へいへい、そうでしょうとも。こんちくしょう!
◇
勇者一行の部屋は、宿の最上階、二間続きのスイートだった。
この世界では珍しい浴室がそれぞれの部屋にあり、窓からは港の景色が一望できた。
風呂に入り、自分の身体と服を洗った俺は、宿に備えつけられていた浴衣のようなものを羽織り、ベランダの椅子に座って海を眺めていた。
潮風が、湯上りの顔に気持ちいい。
上質の石ケンで洗ったからか、いい香りがする。
いやー、臭くないってそれだけで幸せだね。
心地よさにひたっていると、続き部屋の扉が開く音がした。
ベランダの椅子に座ったまま振りかえると、やはり湯上りらしく上気して頬がピンク色になったミリネがいた。
俺と同じ、浴衣のようなものを身に着けている。
それを見て、ちょっとドキドキしてしまう。
ミリネが両手を肩に載せているのは、俺が宿まで抱えてきた子供だろう。
三角耳にくりくりした目。整った顔立ちは、お人形のようだ。
「グレン、この子、キャンって名前だって」
「ふうん、ネコっぽいけどイヌっぽい名前だね」
「なに馬鹿なこと言ってるの! それより、彼女の世話係はグレンだから」
「えっ!?」
キャンって女の子なの?
それに、なんで俺が世話係?
「こういう仕事は下っ端がするもんだって、先生が言ってた」
へいへい、ルシル先生がねえ……って、なんでやねん!
「なんで俺がコイツの世話なんか……」
やばい、キャンがくりくりした目でじっとこっちを見てる。
ちょっと涙ぐんでないか、この子?
「グス」
キャンの鼻が鳴る。
「グレン! こんな小さな子を泣かせるなんて!」
「ご、ごめん。キャン、こんにちわ。俺はグレン」
石張りの床に膝を着き、キャンと目の高さを合わせる。
思わず、妹が幼かった頃を思いだしてしまった。
「ワタシ、キャン、です」
キャンは、少しぎこちない話し方で、おどおどしているように見える。
「よろしくね、キャン」
三角耳が立ったうす茶色の頭を撫でてやる。
なんだこれ、めちゃくちゃ気持ちいいぞ。
キャンの体がふらりとこちらへ倒れてくる。
抱きとめてやると、小さな手で、俺にしがみついてくる。
「怖かったんだね。もう大丈夫だから」
俺は強くないけど、勇者とかめっちゃ頼りになる人がいるから。
そんな心の声が聞こえたのか、ミリネがジト目で俺を見おろしていた。
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