第98話 追いかけっこ

 タルマス青年は、幼い頃から帝都の市場で働いている。

 露店ではあるが、去年からやっと店を任され、仕事が面白くなってきたところだ。

 なんとかこの店を繁盛させ、親方の娘であるサリナを嫁に貰おうと考えていた。


 この日、夜明けと共に商売を始めたタルマスは、売り物の果物や野菜を木箱の上に並べ、呼びこみを始めたところだった。

 道行く人は、早朝から活動する冒険者や商売人が多い。

 呼びこみも、それに合わせたものにする必要があった。


「そこの兄さん、冒険者だろ? --ダンジョンじゃあ、水分と栄養が両方摂れる、モリモリの実がいいぜ!」


 カゴに入れた、丸い果実を両手で掲げる。


「ほら見ろよ、ここ。ヘタのところが黄色くなってるだろ? これは栄養がたっぷり詰まってる証拠だ! これ食っときゃ、オーガも一撃だぜ!」


「おいおい、さすがにオーガはねえだろう!」


 冒険者の一人が足を停めた。

 こうなるとしめたものだ。

 タルマスは、銅ランクと見当をつけた相手に、さらに呼びかけた。


「本当だぜ!

 栄養抜群のこれさえ食っときゃ、銀ランクのお兄さんなら、オーガでも――」


 ズコーン!


 そんな音がしたかと思うと、彼の露店がいきなり空へと打ちあげられた。

 黒い液体が、周囲にとび散る。

 それは、露店があった場所の地面に開いた穴から噴きだしていた。


 あまりのことに声を失ったタルマス青年は、ふき飛ばされた姿勢のまま、壁際に置かれた穀物袋にもたれかかっている。

 その上に、何かが落ちてきた。


「ぐえっ!」


 落ちてきたものに腹部を強く打たれ、タルマス青年が悲鳴を上げる。

 幸い、下に敷いていた穀物袋がクッションになり、大事には至らずにすんだ。

 彼の上には、まっ黒な何かが載っていた。


「ぺっ、ぺっ! スライムが口に入っちゃった!」


 まっ黒な何かが言葉をしゃべった。

 

「ば、馬鹿っ! なんてことすんのよ!」


 こちらも穀物袋の上に落ちた黒いものが、やはり言葉をつかった。

 それは少女の声に聞こえた。

 やっと、考える力が戻って来たタルマスが怒鳴る。


「おい、のけろよ!」


 タルマスに押された黒い物体が、どしゃりと道に落ちる。


「い、痛-っ!」


 その声は少年のもののようだ。


「グレン、逃げるわよ!」


 二つの黒い人型が立ち上がると、手を取りあい、走りだした。


「ま、待てーっ! 店を弁償しろーっ!」


 タルマスが、叫びながら追いかける。


「あたいの店も、どうしてくれるんだいーっ!


 こちらも被害を受けた店のおばさんが、鍋蓋を手に走りだす。


「「「待てーっ!」」」


 てんでバラバラな格好をした店主たちが、まっ黒な二人を追いかけはじめる。

 そんな彼らも、顔や腕、お腹の辺りに黒い液体で染みをつけている。

 街中の追いかけっこは、こうして幕を開けた。





 


 








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