第45話 狂乱

「な、なにアレ!?」

 

 リンダの声が恐怖で震える。

 それは全身が血にまみれた人の姿をしていた。

 三日月形に開いた口にはまっ白な歯が並んでいるが、その口から顎にかけ、まっ赤に染まっていた。

 左右の手には太い棒のようなものを持っている。


「ヒ、ヒイイイッ!」


 背後からリンダのものだろう叫び声がする。


「気をつけて! あれは人ではないよ!」


 ルークの声は緊張していたが、いつもの調子を失っていなかった。

 彼ってほんとリーダーにふさわしいね。


「気をつけろ! あの男、狂乱デリリウムだ!」


 いつもはのんびりしたコルテスの声が、ピンと張りつめている。

 

「コルテス、そのデリなんとかって、な――」


 俺が尋ねようとしたとき、前にいた男がもの凄い勢いで、俺に襲い掛かってきた。


 ブンッ


 空気を切り裂く音がする。

 首をすくめた俺の上を何かが通りすぎる。

 

 ゴッ


 肩に衝撃が伝わり、支えていた男の体から、急に力が失われる。

 横を見ると、男はその首が真横に曲がっていた。

 どう見ても、生きていないだろう。


「ケケケケケ」


 目と鼻の先に、まっ赤な「人」が立っている。

 その両眼は、ルビーのように紅く光っていた。

 肩の男をふり落とし、短剣を抜く。

 

「ルーク、みんなを連れて逃げろ!」


 目の前に立つ何かから、一瞬も注意を逸らさないよう、小さな声で言う。

 

「みんな、ここはグレンに任せて撤退するよ!」


「だめよ! 彼を置いていけない!」


「リンダ! ここはボクの言うことを聞いて! アイツはボクたちが対処できる相手じゃない! 今の内に逃げるんだ!」


「で、でも――」


「早く、早く逃げて」


 余裕がない俺は、聞こえるかどうかの声でそう囁いた。


 ブンッ


 紅い目の何かが振ったものを、頭を下げ避ける。

 それはソイツが手に持った棒だった。

 いや、よく見ると、人の足だ。

 きっと襲った者の足を引きちぎり、棍棒がわりに使っているのだろう。


 ルークが言ったとおり、こいつは人でない。化けものだ。

 背後でルークたちの足音が遠ざかる。

 よかった。これで、彼らを守って戦う必要はなくなった。


「来い、化け物!」


 一瞬も気が抜けない戦いが始まった。



 ◇ ― ルーク ―


 いつかこんな決断をしなければならない時が来ると思っていたが、それが今日だなんて……。

 

「ルーク、みんなを連れて逃げろ!」


 グレンの声が頭の中をぐるぐる回る。

 

「リンダ、泣かないで!」


 放っておくと、うずくまりそうなリンダに肩を貸し、第二層のボス部屋の方へ急ぐ。

 うまく行けば、先にダンジョンへ入った第二班と合流できるはずだ。


「コルテス、アレが何か知ってるの?」


 のっぽの短槍遣いはイニスを背負い、ボクの前を走っている。 

 

狂乱デリリウムは、特殊な毒を受けた者に起こる状態異常だ。受け手にそうなる資質がなければ、毒の症状だけで済むのだが、運悪く資質を持った者が、毒にやられたのだろう」 

 

 コルテスの口調は、ボクが知っているのんびりした田舎出身の少年に似つかわしくないものだった。


「コルテス、君、本当は……。 いや、今は急ごう!」


 彼が素性を隠しているにしても、それは理由があってのことに違いない。

 自分から話してくれるまで、その事には触れないでおこう。

 とにいかく、なんとかしてこの場を切りぬけないと。




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