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 賑やかな放課後、居場所を探してうろうろしていると、、まだまだこの学校のことをよく知らないのだなと実感した。その事実は自分にとって明るい材料だった。知らないことがあるというのはこれから暇つぶしができるということになる。栗山さんのことがあって気分がいまいちすぐれないでいると、すぐに帰るのもどこか消化不良だ。行ったことのない階や廊下、教室等を覗くだけでも退屈はしない。吹奏楽部がそこらじゅうで楽器を吹いたりしているので、自分ひとり歩いていてもそれほど不審ではないのだ。


 図書室は二階の一番端っこにあった。扉を開けるとずいぶんと広々としている。図書室にたどり着くまでが薄暗かったので、トンネルを抜けた後のようなまぶしさだった。人数を数えたら女子が二人しかいない。これだけでいかに宝の持ち腐れかが分かるというものだ。机一つ一つに蛍光灯までついていて、ちょっと学生には贅沢なのではと思った。驚いたことに新聞が何紙とある。いったいどれだけ金の無駄遣いをすれば気が済むのかと、自分は断固抗議したくなる気持ちになった。新聞なぞはどれも大差ないはずで、こんなに何紙もあるのが不思議でしょうがない。実に無駄である。


 棚にはいまだかつて誰にもページをめくられたことのないであろう本がぎっしりと並んでいる。これはめくられたことがないどころではない、おそらく、棚に置かれた後、一度も動いたことがないのだ。とても引き抜く気にはならなかった。しかし、本というものは背をみてるだけでも楽しいものだ。この、運動しか能のない生徒が集まる学校で、こんな贅沢な図書館を維持するのはいったいどういうことだろう? よほど金が余っているとみえる。


 本が倒れてしまっている棚からなんとなく手に取った本は表紙が実に見事だった。中身は全文英語である。いったいこれをどこのだれが仕入れたのだろう? しょうがないので新聞を読むことにしたが、ほとんど貸切で贅沢な空間だ。


 その時、図書室のドアが再び開いた。入ってきた人物は他ならない、楢本さんである。いったいこの人が図書室になんの用であろう。正直、図書室が似合うか似合わないかと問われれば即座に似合わないと言って差し支えない人だ。しかし、これが実は読書家となると、自分はとんでもない思い違いをしていたことになる。さきの栗山さんのことといい、自分はもう少し人を見る目を養わなければならない。また、そのためには自分も他人ともっと打ち解けていくべきだろうと反省した。


 楢本さんはどこにも寄り道することなく席についた。すでに常連の気配である。その凛々しい横顔は楢本さんの印象を変えるには充分だった。楢本さんが少しでも視線を傾ければ自分が視界に入ったはずだった。実によそゆきの顔であるし、はたからみてもとても集中している様子である。まったく知らない他人のようでもあるし、ほんとのところあれが楢本さんの素顔かもしれない。自分はとてもいつものように声をかける気にはなれなかった。きっとまだ足の具合が悪いのだろう。それでもどんな本を読んでいるのかと思うと声をかけたくなる衝動は確かにあった。我ながら積極的な衝動である。


 今まで自分に声をかけてくれた人たちの心の動きも、同じようなものだとしたらと想像すると、対応のぞんさいさに恥ずかしい気持ちを覚えるところではある。しかし、すべての会話を完璧にこなそうとするのは狂気の入口に立つようなものだ。これに気づいて普段もう少し明るく丁寧に心がけるのも悪くない。自分はこのわずかな間にいっきに大人になったような気がした。実際そうであるはずだ。人生には時々わずかな瞬間でいっきに物事を理解してしまうことがある。それが今である

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