10
楢本さんは何かを落としたのだろうか。最初は足を伸ばして獲物をひっかけようとしていたが、次に手を伸ばした。それでもつかまえることができなくて机の下にもぐりこんだ。
「楢本さんだいじょぶですか?」きっかけができたので声をかけながら近づいた。
ズガン! と、図書室中に楢本さんが顔面をぶつける音が響き渡った。ぶつけた時と同時に放たれた「ぎゃっ」という楢本さんの悲鳴はどこか女の声のようだった。
「おまっ、ほんっっと、ふざけ、マジ無理、もー」
「楢本さんだいじょぶですか?」自分は笑いながら同じことを言った。
「全然だいじょぶじゃねーよ! もーなんだよ、びっくりさせんなよ!」
楢本さんは普段の物言いよりずいぶん荒っぽかった。これも知らない一面であるが、おそらく、普段の楢本さんはこの一面を一番装着しているのだろう。机の下で起き上がろうとするので、当然、今度は後頭部をぶつけた。花瓶を机に置いたときの数倍の音がした。割れた音がしなかったのはなによりである。
「マジで! ほんとふざけんなよ!」
楢本さんの怒りはむなしかった。こちらも少々殊勝な気分になって「すいません、楢本さん、だいじょぶですか?」というと、そこでようやく普段の雰囲気が戻ってきた。
「三上くん? 何してんのこんなところで?」
「いや、それ俺のセリフですよ。楢本さん、やっぱりケガひどいんですか?」
「今日は定休日だ」
「ラーメン屋みたいですね。全員休みなんですか?」
「冗談だよ」
ずいぶんとわかりづらい冗談を言うあたり、楢本さんはまだ不機嫌らしい。
「楢本さん、図書室にはよく来るんですか? 俺、初めてなんですよ」
決して大きな声ではなかったが、図書館で話すと意外と大きく響いた。楢本さんは声を制するかのように、指で一番後ろの端の席を示した。二人が静かに移動し終わって席に着いたときには、たった二人の女子も図書室を後にしていた。
よく確認してみると、図書委員といったものは存在しないらしい。借りたい本がある場合は隣の部屋の教師を呼ぶことになっているようだ。やはり、ほとんど本を借りる生徒がいないのだろう。
図書室が二人きりになると、楢本さんも安心して普段通りの声を出した。楢本さんの普段の声は大きすぎるぐらいだが、場所柄、多少遠慮はしているようだ。
「サッカー部はさ、一週間に一日休みがあるんだよ。今日は完全休日」
「そうなんだ。楢本さん、足は? 骨は折れてないんですよね?」
「折れてないよ。実際、全然たいしたことないんだ。いやー心配をかけたね」
「無事ならなによりですよ。じゃぁ、毎回部活休みの時は図書館に来てたんですか? 実はけっこう読書家なんですね。俺もこの学校にこんな立派な図書館あるなんて知らなかったです。でも誰も使ってなさそうだから、楢本さん入ってきてほんとびっくりしましたよ」
「これでも意外と人来るんだぜ。まぁ穴場ってやつだよな。」
「貸切みたいだ」これは確かに穴場だと自分も思った。今後、この場所をどれだけ利用することになるかと思うだけで気分が高揚してくる。
入口の方からドアを開ける音がした。楢本さんは身をかがめて椅子に座ると、目で合図をよこし手招きした。
「どうしたんですか?」
しーっと楢本さんは自分を制すると、身をかがめてするどい視線で様子をうかがっている。自分は訳が分からないまま楢本さんの指示を守った。楢本さんが一回肩を叩いた後、うつぶせになって眠ったふりを始めた。自分もそれにならった。入ってきたのは女子が数人のようだ。しかし、声だけで何人いてどんな人物かを想像するのは少し楽しくもあった。
おそらく、楢本さんと同じクラスの女子か何かで、何か頼まれたことをほったらかしにしていてバツが悪いのだろう。
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