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 結局、同じ部活の連中たちと楢本さんは連れ立って出かけていった。後ろのドアから楢本さん達が消えると同時に前のドアから成瀬さんが教室に戻ってきた。今しがたの賑やかな残り香など毛ほども無い。自分は安心してタエちゃんの新聞に戻ることにした。


「成瀬さん、さっき楢本さんが会いに着てたよ。」


「誰? 楢本さんって?」


「サッカー部のさ…、三上、楢本さん成瀬さんに会いに来てたよな」


「うん…。タエちゃん、ダービーは買う? やぱり皐月賞組が強そうだね。トライアル組は掲示板に乗ったら大健闘じゃないかな。」


「なんで三上君? 三上君サッカー部じゃないでしょ。」聞こえる限りで判断すると、成瀬さんはそこまでこの件を不審には感じていないらしかった。


「楢本さんが三上に会いにきて、成瀬さんにも会いにきた」タエちゃんの口ぶりは善意の固まりである。


「なにそれ意味わかんない。」


「三上に聞いてよ。俺もよくわからん。」


 他人の口を全て閉じる訳にはいかないものだ、またそんな権利も自分にはないのは当然である。だが、この時ばかりは黙っていてほしかったというのが本音だ。幸いにも話題はそれ以上続かなかった。自分はよくよくダービーの予想に熱中しているふりをしてタエちゃんも心から楽しんでいる様子だった。男がこんなふうに趣味の話に没頭していると女は話しかけづらいだろうという我ながら情けない計算でもある。それにしても余計なことを言ってくれたものだった。自分はこの間一度も成瀬さんの方を見なかった。


 その時、かつて感じたことがない恐怖が自分の体を貫いた。ふと上げた視線の先には窓側の席から栗山さんがこちらをじっと見つめている。それはもう、たまたまということはなく、間違いなく、楢本さんのバカ騒ぎからこちらを見ていたであろうと思われた。あんまり栗山さんの視線が痛いので、自分はさりげなく新聞でガードしてみたが、それで栗山さんがこちらを見るのを止めるはずがないのはよくわかっていた。


「読む?」 


 タエちゃんは栗山さんがこちらを見ているのは新聞を読みたいがためと判断したらしい。恐ろしいことがあったものである。自分は天然というものを心から理解した。タエちゃんそりゃないだろうとはさすがに言えなかった。


「ううん。いらない。」


 栗山さんの声は落ち着いていた。断りの声ながらいかにも穏やかで、見えてもいないのにかわいらしい笑顔が頭にうかんだくらいである。自分にはもう栗山さんの心境を把握するのは無理だという気がしてきた。これでうっかり気をゆるめると後で後悔するのは間違いない。自分は栗山さんへの警戒をとかなかった。新聞をしまって栗山さんの方を見てみようかと思ったが、紙の向こうの存在感と自分の本能がそれを許さない。

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