壁の向こうに

雄大な自然

壁の向こうに

「そこをどけ!」

そう言って、荒々しく家の中に押し入る男の背中をトニー・ヴィレクは制止することも出来ずに眺めていた。

わずかに遅れて、男の入った民家から何かを蹴散らす音と小さな悲鳴、そして懇願するような声が聞こえる。まだ小さな子供の声と、その母親らしい女の声。

続いて聞こえた発砲音を聞いて、慌てて男のあとを追った。

「軍曹、何を?」

飛び込んだ部屋の中では軍服を着た大柄な男が、まだ幼い女児を抱えた母親に銃を突きつけていた。部屋の中には蹴り倒された棚から散乱した食器類の破片が飛び散っている。

その男、ラトヴィック軍曹が声を荒げて母子を脅しつける。

「答えろ。貴様らの仲間はどこにいる?ゲリラどもはどこに隠れた!」

軍曹の言葉に、母親が何事かを叫んだ。だが、トニーにはその言葉の意味が分からない。

「分かるように喋れ。ええっ!」

そう言って軍曹が吼えたが、相手にはそもそも英語が通じていないようだ。軍曹も英語以外は知らないだろう。そもそも話を通じさせることさえ出来ていない。

それでもその母親の言葉を理解することは出来る。おそらくは、助けて、見逃してくれと言っているのだ。

だが、軍曹はその状況に業を煮やしたか、手にした銃を壁に向かって乱射した。悲鳴を上げて母子が床に伏せ、銃弾が壁にのめりこむ。

「軍曹、もう止しましょう。彼らはゲリラとは無関係で」

「黙ってろ新兵。俺に指図する気か。ああ!?」

止めに入ろうとしたものの、振り向いた男の形相にトニーは思わずあとずさってしまう。

そして後ろを振り向いた軍曹の背中、トニーの視線の先で壁の一部がボロリと崩れた。

母親が悲鳴を上げ、自分の身体を壁に押し付けて開いた穴を隠そうとする。まるでそこにもう一つの部屋があるようだった。入り口はどこにも見つからないのに。

「フン。ようやく尻尾を出したな」

軍曹がぺろりと唇を舐める。 トカゲのようだと、トニーは思った。


簡素な村だった。

トニーたちの部隊は山の尾根にある敵の前進基地に対する攻略を命じられ、森林地帯を行進しながら山の裾野に近づいていた。途中、何度もゲリラによる妨害に遭い、それによって多大な被害を出しながらようやく工程の半分ほどを踏破したときに、その村が見えたのだった。

そこは地図にこそ載っていたものの、拠点としては地形条件も悪く、おおよそ侵攻する価値のあるものとは思えなかった。だが、部隊員であるラトヴィック軍曹はそこがゲリラの活動拠点であると主張し、部隊長であるマーカス曹長は軍曹の意見を容れて調査を命じたのである。

部隊は幾人かに分かれて村の探索に取り掛かり、トニーはラトヴィック軍曹について一つの民家を調べることになったのだった。

正直に言えば、トニーは軍曹が苦手だった。同時期に配属されたにもかかわらず、何かといえば直ぐに軍隊経験を持ち出しトニーたちのような若い志願兵を馬鹿にしたような態度をとる。頭ごなしの命令に彼を嫌っている人間も少なくなかった。

とはいえ、命令には従わなくてはならない。だからこそトニーは彼に言われるとおりに動いているのだが……

目の前で軍曹が母親の頭を銃の端で殴りつける。血がしぶき、額を赤く染めてもその女は軍曹の足にしがみつき、その足に歯をつきたてた。

「このアマ!」

激昂した男が銃口を母親の頭に押し付け、引き金を引く。 鈍い音がして、女の身体が床に沈みこむ。その光景を目にして、子供が金切り声を上げた。

邪魔のいなくなった軍曹は今度こそその壁を調べようとして……

「ここにいたか。軍曹」

「曹長殿!」

民家の入り口から武装したマーカス曹長が顔を出し、その部屋の様子を一瞥する。

「おお、曹長殿。今こいつらから証拠を……」

「その必要はない。この村はゲリラとは無関係のようだ。これ以上時間を浪費するわけにもいかない。直ぐに出発する」

ほっと息をついたトニーとは裏腹に、軍曹はいきり立った。

「お待ちください。こいつらはゲリラどもと繋がりがあるにちがいないのです。現にこうして隠し部屋を発見しました」

「命令に従えないのか、軍曹。それは……」

突然、ボンッという音とともにマーカス曹長の頭が破裂した。

「ひっ」

その言葉が、自分も喉から漏れ出したものだと知ったのは一瞬後のことだ。

「曹長!ゲリラか!?」

驚きのあまり、その場にへたり込んでしまったトニーを尻目に、ラトヴィック軍曹は玄関からわずかに顔を出して襲撃者の正体を確かめる。

「ちぃ、だから言ったというのに!!」

玄関先で倒れているかつての上官の遺体に唾を吐きかけるような仕草を見せると、通信機を取り出して無線の調子も確かめずにがなり立てる。

「ラトヴィック軍曹だ!!ゲリラどもの襲撃により、マーカス曹長は戦死した。これからは俺が指揮を執る。全員南の民家に移動し、防戦体勢をとれ!いいな」

バンバンという音を立てて民家の壁がなった。漆喰で塗り固められた厚い土壁は、銃弾を受けても貫かれることはなかった。だが、それはゲリラが村を遠巻きにしている現状においてだ。

「ぐ、軍曹。こ、ここで応戦すれば良いのでは?」

「馬鹿か貴様は!散り散りに閉じこもってどうする!!」

ようやく立ち直りかけたトニーの提案を、軍曹は切って捨てた。

分散したまま立てこもったところで各個撃破されるのが落ちだ。通信状態も悪く、個々の綿密な連携も期待出来そうにない。最悪の状態で奇襲を受けてしまった形になる。

「突破するぞ。二等兵、援護しろ」

そう言って、軍曹が銃を撃ちながら民家を飛び出す。

どんなに粗暴でも、ラトヴィック軍曹は勇敢さだけは誰にも引けをとらない。

それに続いて半身を乗りだしたトニーが村の端にある家の影から姿を見せたゲリラたちに発砲。軍曹の移動を援護し、ゲリラを牽制する。

はす向かいの家の壁に隠れた軍曹が手招きし、今度はトニーが玄関から飛び出す。それを援護するために軍曹がゲリラに向けて銃撃して、トニーは軍曹のもとに駆け寄り……

不意に足にかかった荷重にバランスを崩し、道の真ん中で倒れこんだ。

「なッ!?」

重みのかかった足を見る。そこには一人の子供がしがみついていた。

先ほどラトヴィック軍曹が射殺した母親、彼女の腕に抱かれていた子供。親を殺され、敵討ちの意思に燃える子供。それが、恨みと憎しみの目で自分を見ている。

「シャーッ!!」

子供が吠えた。意味は分からない。だが、その意味はひどく不吉なものに思えた。

「なんで僕が!!」

悲鳴を上げる。よりによって自分が、軍曹ではなくて自分が復讐の対象に選ばれたことが理不尽に思えて仕方なかった。

子供が再び吠えた。 その言葉に応じたのか、ゲリラの一人が隠れていた壁から飛び出して自分の方に向かってきた。近くで確実に止めを刺す気なのか。

「何をやってる。そんな子供、さっさと殺せ!!」

壁の向こう側に隠れた軍曹が叫んだ。ゲリラたちはさらに村の外側の別方向から回りこんできているために、軍曹にもトニーを助ける余裕はない。

トニーは何とか子供を振りほどこうともがくが、幼児にもかかわらず信じられないほどの力を発揮したその子供を引き剥がすことが出来ない。ついには足にしがみついた子供に向けて銃を向けた。

だが、トニーにはその引き金を引くことが出来なかった。

その間にゲリラは目と鼻の先にまで迫っていた。トニーの近くでその足が止まり、男が何事かを喋った。子供が笑みを浮かべる。

トニーは死を覚悟した。


だが、その時は訪れなかった。眼前でゲリラの男の上半身が吹き飛ぶ。鮮血が舞い。その背後から一人の男が姿を現した。

「あなたは?」

「増援だ。助けに来た」

返り血を全身に浴びた機動装甲服に思わず息を呑んだトニーの言葉に、男が英語で答える。

そして、その左腕に取り付けられたブレードで無造作に子供の首を跳ね飛ばした。

一瞬の事態に認識の追いつかないトニーの目の前で、男はその右腕に持った大型のライフルを水平に横に向けると、そのままの姿勢で隣の民家に向かって発砲する。

放たれた弾丸は何層もの石壁を貫通し、その向こう側に隠れていたゲリラを射抜いた。

およそ人間に扱えそうにない大型の重砲を、装甲服を着た男は軽々と振り回している。

「全員、敵を殲滅しろ。一人残らず」

ヘルメットに備えつけられた通信機に向かって男が呟く。その言葉に、砲声が答えた。


「特殊機装兵隊<キマイラ>第四分隊副長のタケル・ミナカミ中尉です。貴下の指揮は誰が?」

戦闘が終わってすぐに、指揮官らしい青年がトニーたちの前に現れた。それが、自分を助けてくれた機装兵だとトニーにはわかった。

この戦争で初めて投入されたパワードスーツによる特殊部隊。

まだトニーは話にしか知らない最新鋭の精鋭機動部隊だ。

戦車にも匹敵する彼らの装甲と火力の前には民家に立て篭もったゲリラもひとたまりもなかった。

返り血を浴びた特殊装甲服を着たまま敬礼する青年は、トニーと大して変わらない年齢の若者に思える。

「マーカス曹長です。いえ、でした、が……」

そこまで答えて、言いよどむ。 だが、青年は特に気にした風になかった。

「そうか。それは話が早くて助かる。これより君たちの部隊は我らキマイラの指揮下に入ってもらう」

「冗談じゃない!!」

ミナカミ中尉の言葉に、怒声を返したのはラトヴィック軍曹だった。トニーを押しのけるようにして青年の前に立ち、彼を睨みつける。

「俺たちは連合の正規軍だぞ。それを日本人如きが顎で使おうって言うのか!?」

「我々とて総本部の指揮下にある部隊ですし、これは正規の指揮系統からの指令となります。速やかに合流し、当初の作戦目的を完遂させよ、とね」

相手よりも大きな体躯を活かし、圧し掛かるようにして威圧する軍曹に中尉は涼しい顔で応じる。

あくまで礼儀正しい口調で、諭すように論じる青年の姿に軍曹はますます激昂した。

「黙れ。いいか若造。俺は十年軍で飯を食ってる。手前がいくら偉かろうがここではそんなことは糞の役にもたたねえんだよ」

「それで、歴戦の軍曹殿がこんな寒村に関わって進行が遅れているのはどういうわけでしょうか?」

「ここはゲリラの住処だ。現にここには奴らの武器が……」

声を荒げる軍曹に対しミナカミ中尉は冷ややかな態度で応じる。トニーは一瞬、軍曹が彼を撃ち殺すのではないかと不安になった。だが、その心配は杞憂に終わった。

中尉の身に付けた装甲服は小口径の銃弾程度ではどうしようもなく、戦闘が終わった今でも彼は完全武装のまま、ヘルメットも外してはいなかったのである。

その時、一人の機装兵が民家から出ると彼らの元にやって来た。例の隠し部屋を調べていた兵士だった。

「来たか。どうだった?」

「俺の言った通り、ゲリラどもの武器庫だったんだな!?」

口論になりかけていた二人が同時に問いかける。

その言葉に金髪の機装兵は手の平に載せていたものをボロボロと地面に落とした。 白い粉が焼けた地面に落ちて、白い煙がわずかに巻き起こる。

「硝煙か。やはり俺の考え通りだったな!」

勝ち誇る軍曹の足元に屈み込んで、青年はその粉をすくい上げる。鋼鉄を纏った指の間でしばらくそれを玩んだ後、おもむろにそれを口の中に運んだ。

「……これは」

その様子にトニーたちは首をかしげ、それを持ってきた機装兵はおどけたように肩を竦めた。

「小麦粉か」

ミナカミ中尉の言葉の意味をトニーが理解するのに、わずかな時間が必要だった。

「小麦粉って、何でそんなものが?」

トニーは思わず叫んだ。

隠し部屋に隠すにはあまりに場違いなものだと思ったのだ。

そしてそれを必死になって隠そうとしていた母子の姿を思い出す。どうしてそんなものを守ろうとしていたのか。

「それはそうだろうよ。野盗から食い物を守るのは当然だからな」

「野盗、僕たちが盗賊だって言うんですか……」

金髪の機装兵の言葉にトニーが呆然とした。

「当然だろ。まさか自分たちが正義の軍隊なんて思ってたのか?」

金髪の機装兵がニタニタと意地の悪い笑みを浮かべながら、民家から持ち出したのだろう手の中にある小麦粉の袋を放り投げては受け止める。

「歴戦の経歴が泣いて喜ぶな、軍曹?」

そう述べて、地面に伏せたまま沈黙していた青年、ミナカミ中尉が顔を上げた。

その言葉に、ラトヴィック軍曹が吼えた。

「ふざけるな!そんなわけがないだろう。貴様らは俺を馬鹿にしているのか。もっとちゃんと調べて……」

「うるさいよ。お前」

ミナカミ中尉の耳元でがなりたてる軍曹に向かって、遊んでいた機装兵は右の手で小麦粉の袋を宙に放り投げると、無造作にその左手のブレードの先端をその頭に押し付けた。

止める間もなかった。乾いた音がして、ラトヴィック軍曹の逞しい身体が音を立てて崩れ落ちる。その音に周囲の探索をしていた機装兵が何人か振り返り、そしてすぐに元の作業に戻った。

「ええと、ゲリラの襲撃で戦死……ってことで?」

「証言するよ。次からは事前に報告して欲しいな」

「そりゃ、もう」

「まったく、同郷の人間にはもう少し配慮したほうがいいんじゃないか?」

「そういうのはトーヨー人同士でやってくれ」

ミナカミ中尉と金髪の機装兵の男。

砕けた口調で言葉を交わす二人の機装兵を前にトニーは足の震えを止めることが出来なかった。

殺した。無造作に、何事もなかったかのように、まるで飛び回るハエを叩き落とすのと同じように。

そう、村人たちを皆殺しにしたときと同じように。

「さてと、二等兵?」

ミナカミ中尉に声をかけられて、トニーは緊張した。背筋が凍る。自分も殺されるのではないかと冷や汗が流れた。

「君もそう処理してくれ。……軍曹のことだ」

「……了解しました」

何気ない口調でミナカミ中尉が語りかけ、トニーは全身を硬直させてそう答えた。

断れば、その場で殺される。そう直感した。

それでも、それを聞かずにはいられなかった。

「中尉、一つお聞きしてもよろしいでしょうか?」

「何か?」

「何故、村人たちまで殺したのですか?この村はゲリラとは……」

「無関係だった、といいたいのだろ。君はこっちに来たばかりかい?」

「先月より配属されました。自分は……」

「まあ、一年もすれば分かるよ。かく言う俺も、ここに来てまだ三年程度しか経ってないけどね」

戦争はすでに十年目に突入している。自分が関わることでそれが少しでも速く終われば良い。そう考えて入隊したことをトニーは思い出す。

あの頃は、自分たちが正しいということを信じて疑いもしなかった。だが、現実はどうだ。

青年が何事かを呟き。トニーはそれが日本語だと気づく。

「中尉、なにか?」

「昔の言われたことを思い出しただけだよ。おおよそ人間こそが最大の障害になりうる、とね。

誰だって人命を盾にされれば手を緩めざるを得ない。ゲリラというのはそれを利用するだろう?」

どんなに優秀な軍人でも、庇護を求める子供の、弱者の手を払いのけることは簡単ではない。

だが、救いを求めて差し出された手には刃が仕込まれている。時に表情を装いながら、あるいは何も知らぬままにその内に凶器を潜めて彼らはあらゆる装備、あらゆる防御の壁を乗り越えて中枢に達する。

「玉砕しても、まだそれ以上の人間が残っていれば彼らの勝ちだ。そのためには人間こそが最大の盾になる。人権とやらを唱える連中こそが最大の壁になる。違うかい?」

そう考えるならばこの虐殺もあるいは容認しうるものかも知れない。

善良な人間という壁の向こう側にいるゲリラを討つためにはあるいは必要なのかもしれない。

「だからといって自分は……」

「言ったろう。一年もすればわかると。言葉で言われても納得なんて出来ないさ」

そういってミナカミ中尉が首を振る。そして、傍らに控えていた機装兵に声をかけた。

「レヴィン、彼は君に任せる。同郷同士、上手くやってくれ」

「だから俺はそういうのはな……まあ、いいか。レヴィン・サーストン曹長だ」

そのやり取りを聞いてからようやくトニーは金髪の機装兵、レヴィンが自分と同じ訛りであることに気づいた。

「トニー・ヴィレク二等兵です」

その言葉にレヴィンはニヤリと笑った。

「ようこそ、寄せ集めの人殺し集団へ」

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