死がふたりを別つから

かがわ

序章 わたしの愛しき亡霊

/0 教室~書庫(五月十七日)

 心臓痕しん ぞう こん硝子がらすは美少女だった。


 流砂のごとき滑らかな黒髪。磁器のように白く暖かみのない肌。か細い四肢は触れれば壊れてしまいそうで、その顔貌かお かたちさえ不自然なほどに均整が取れていた。


 そして何より、名の通り、硝子のように透き通った瞳が印象的な娘だった。


 あの瞳は、いけない。初めて見たときから、そう感じ取っていた。


 あれは魔的だ。直視すべきものではない。そうっていたのに、わたしはあの対の硝子球から目を離すことができなかった。わたしの身体が、意識が、あの球の奥へ奥へと吸い込まれていくような錯覚があった。真実、わたしは呑み込まれて――閉じ込められていたのだろう。ふたつの大きな瞳に映り込んだわたしの姿は、檻の中の虜囚にしか見えなかった。


 そうやって、心臓痕硝子は周囲のあらゆる人間を虜にしていた。誰もが彼女を羨み、妬み、そして忌避した。


 飛び抜けていたというより、かけ離れていたのだろう。皆が肌でそれを感じ取っていた。そこに在るのはヒトではなく、心臓痕硝子という異生物、心臓痕硝子という閉じた生命球せかいだった。


 誰もが羨望した心臓痕硝子は、それゆえに周囲から疎外され、また彼女も誰かと積極的に関わろうとはしなかった。


 あの硝子の瞳に囚われながら、彼女に触れることは誰一人として叶わなかった。


 ああいうのを孤高とでもいうのだろうか。


 こうして知ったように語るわたしも、彼女と言葉を交わしたのは、ただの一度きりのことだった。


 わたしは彼女のことを、何も知らない。


 だから、わたしには分からない。


 何故彼女は、まだ蒸し暑い秋の日に、学院の屋上に向かったのか。


 何故彼女は、放課後の屋上から、空へとその身を差し出したのか。


 何故彼女は、眩しい夕べの庭園に、真っ赤な花を咲かせたのか。


 わたしには、さっぱり分からなかった。



   *



 放課を知らせる鐘の音とともに、独り足早に教室を出た。


 級友たちの間をすり抜け、廊下を行き大階段を上がる。靴の踵と古い木の踏み板が、小気味良いリズムを刻む。踊り場の大窓から差し込む西日で目が眩みそうになる。


 三階に上がると、すぐ右手に図書室の入り口がある。それを横目にわたしは廊下の奥へと進むと、突き当りに見える一際古びた扉に手をかけた。


 書庫の中は、十分な静粛性が保たれていた。


 誰も喋らないのではない。


 誰も居ないのだ。


 当然だ。図書委員も、司書教諭も、普段利用するのは図書室と隣接する図書準備室のみ。この書庫は、ほとんど読まれなくなった古い書籍が詰め込まれているだけの、誰も出入りしない物置同然の部屋だった。


 だからわたしは、この広い部屋の中で一人きりだった。


 




「――――」


 書庫の最奥。窓際に置かれた粗末で小さな木組みの椅子。


 そこに、亡くなったはずの彼女が佇んでいた。


 ――心臓痕、硝子。


 まだ五月も半ばだというのに、あの日と同じ夏服姿で、彼女はただ窓の外を眺めていた。


 わたしは彼女のことを、何も知らない。


 だから、わたしには分からない。


 何故彼女は、今になって現れたのか。


 何故彼女は、わたしにしか視えないのか。


 何故彼女は、自ら死を選んだのか。

 

 わたしには、やっぱり分からなかった。

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