ただの兵士ですが、僕は全力でここを通さない。 vol.1
高速シンカー
第1話
◇
今日も僕の一日は始まる。
顔を洗い、歯を磨き、寝癖を整える。
ルーティンと言えば聞こえは良いが、それに対する拘りや願掛けなどは一切無かった。
リビングへ向かうと僕はカーテンを捲る。開けるのでは無い。〝捲る〟のだ。
どうせこの後は仕事に行って、家に帰ってきたらもう夜だ。僕は捲ったカーテンの隙間から、空模様だけ確認した。
「──うわっ、眩し」
うん。今日も良い天気だ。
まあ僕の仕事は、天気などあまり関係のない仕事なのだが、行き帰りの事を考えれば晴れている事に越したことは無い。
「さて、と──」
次に僕はキッチンへと向かう。
流し、釜戸、ツボ、ツボ、樽……。それらを通り越して、僕は勝手口のドアを軽快なメロディーと共に開けた。
「お、やっぱり良い天気! でもまだちょっと肌寒いかな」
まだ朝の六時とあって、外は日差しの暖かさと、吹く風の冷たさが混同していた。
僕は悴む手を擦り合わせながら、歩いて数分の鶏小屋へと足を運ぶ。近づくにつれニワトリ達の甲高い声が鳴り響き、今日も辺りに朝を知らせていた。
「おはようお前達。なんだか今夜は唐揚げが食べたいなー」
これはいつものお約束。
これを言うとコイツらは、バタバタと羽を羽ばたかせ興奮するのだ。僕の言葉が解っているのかいないのか、それがとても面白い。よし、明日は蒸し鶏のサラダとでも言おう。
「はいはいはいはい、わーかった! おい! やめろ! やめろって! ──ふう、鼻がむずむずする」
ニワトリたちが暴れるもんだから、舞い上がった羽毛が鬱陶しい。まあ、自分がからかった代償なのだが……。
僕のそんな様子を見て、ヤツらは満足気に彼方此方へ散っていった。体についた羽毛をはらい落とすと、置いておいたカゴを手に取り、産みたての卵を五~六個頂いて小屋を出た。
「いつもありがとう。美味しく頂きます」
ニワトリたちに礼を言うと、僕は来た道とは違う方向へと歩を進める。
「やあ、おはようチャペル! 」
もともと人口の少ない村なだけに、僕と他の住人とは全員が顔馴染み。その中でも僕みたいな若者は、決まって城へ出稼ぎのために出て行ってしまうのが少し寂しい。
どこも生活は貧しいから仕方ない事なのだが、それでももう二度と会えないと思うと……やり切れない気持ちもあった。
「あ、おはようございます、レイラおばさん! 」
「今日も良い天気だねぇ。よっこいしょ! ふう──ダメだねぇ、年をとると。水汲みに来たんだけど重くって大変! 」
そう言って、腰をトントンと叩くレイラおばさん。そんな姿を見た僕は、水を代わりに持ってあげる事にした。
水は木製のバケツいっぱいに入っていて、力に自信なんて無かった僕だったが、あのままおばさんを行かせるよりは役に立った。
「はあ、はあ──」
「ありがとよぉチャペル、助かったよ。さ、どれでも好きなの持っていきな」
レイラおばさんの家は村で唯一のパン屋で、旦那さんのルドルフおじさんと二人、早朝から夕方まで営業している。
僕は水汲みを手伝った駄賃代わりに、好きなパンを二つ〝タダ〟で貰える事になった。
「売り物、本当に貰っちゃっていいんですか? 」
「ふふふ、いいんだよ! 重いの持ってもらって、おばちゃん助かったし」
「──タダで?」
「そっ、タダで」
「なんてお得な……」
さっきから鼻をくすぐる良い匂いがしており、陳列された多種多様なパンたちは、窓から入る日差しを跳ね返すように、ピカピカと光っていた。
その様子から空腹の僕にとって、パン一つ一つがまるで宝石のようだと見紛うほど。
モノによっては湯気が立ち上っており、今なら僕は焼きたてだよ! と自己をアピールするモノもいるから、選ぶこっちはなんとも困ったもんだ。
「う~ん……迷うなぁ……」
「うふふ、迷ってちょうだい。どれが一番なんて事は無いさ。ウチのパンはどれも一番、なんだからねっ! 」
そう言って、レイラおばさんは両手を腰に当て、膨よかな胸をドーンと張った。
言いたい事は良く解るのだが、こんな時は何かオススメが欲しいところであった。しかしそこは、自分の食べたい物くらい自分で決められなきゃ、と僕は真剣さを更に増した。
なにせ〝タダ〟なのだから。
ゴロッとしたチーズが入っているパン。木の実を織り交ぜているパン。小さい子に人気のクリームパンや、野イチゴのジャムパン。何も入っていないがソコがいい、長~いスタンダードなパン。他にも色々なパンが所狭しと陳列されているが、ここは──
「それじゃあレイラおばさん、レーズンバターロールと……その長いパンを下さいっ! 」
「あいよっ! なんだい、若いのに中々シンプルなパンを選ぶじゃないかい」
そう言って僕が選んだパンを紙袋に詰めながら、おばさんはオマケに美味しそうな林檎もサービスしてくれた。
林檎も〝タダ〟だなんて。素敵過ぎて今夜一晩は、林檎を枕元に置いて寝よう……。
「ありがとう! レイラおばさん! 」
「いいのよ! しっかり食べて、今日も仕事頑張んなっ! 」
見返りを求めた訳ではないが、良い事すると何だかお得。僕は、おばさんに預かってもらっていた卵のカゴを受け取ると、カゴと手渡されていた紙袋とを見比べた。
「おばさん! これ、お返し」
僕は卵を三つ手に取り、転がって落っこちないよう慎重にカウンターへと置いた。
「あらやだよぅ、くれるのかい──卵? お礼のお礼だなんて、お礼のお礼のお礼をしなくちゃねぇ」
「ちょっ、いえ──」
「お構いなく」と言おうとしたが、レイラおばさんが時間を与えてくれない。
「あらでもやだねぇ、パン以外であげられそうな物って言ったら……。
「おばさん適当言ってない? それ本当に合ってるの? 」
「可笑しな事訊くねぇ、自分ちのペットの名前忘れる奴なんていないよ……変かい? 」
うん、変だよ。
「いや、変じゃないけど長すぎて、もう皆〝ハジー〟って呼んでるからさ」
「あらやだ混んできたよう。はいはい、いらっしゃい! あらまあ奥さん、ごめんね、ちょいと待っとくれ! ふう──ごめんよチャペル、それで? ハジッケンシュトルム・マッキンシュタインが何だって? 」
「あ、いや、もういいんで……ほらっ、お店! お客さん来てるよっ! 」
ここいらで撤退しておこう。
僕もさっさと朝食を食べて、仕事に向かわなきゃだし。よ~し! 今日も一日、元気に叫ぶぞっ──。
『ダメダメっ!! ここは通れないよっ!! 』
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