第8話

8 夜の公演


 

「ありがとうございました」


 すっかり暗くなった坂道を、宮坂と二人で歩いていた。


「いや、この道が通学路なら、通りやすい方がいいだろうし」

高望たかもちくんには、また助けられましたね」


 外灯はまばらで、部分的にしかLED化はされていない。

 やがて、外灯の光が密集した場所が見えてきた。公園だ。


「てか、宮坂さんってこの近所なのか?」

「はい、まだ越して来て二ヶ月ですけど」

「ほーん、なら俺と同じようなものか」

「そうなんですか?」


 公園の前に来た。

 俺の住むじいちゃんの家は、この公園を突っ切った所にある。

 なので、ごく自然に公園の中へと向かうのだが。


「少し、話しませんか」


 足を止められた。





 この公園は、いわゆる児童公園では無い。地区の憩いの場として作られた公園だ。

 背後に続く山には、もっと大きな公園があるので、みんなそっちへ行くらしいけど。


 そんな公園の中、俺は宮坂とベンチに並んで腰掛けている。


「私のこと、聞いてます、か?」


 要領を得ない質問だ。

 宮坂について聞いている事は──無感情。

 だが、俺の目にはそうは映らなかった。

 分かりにくいが、結構喜怒哀楽は明確に顔に出るタイプだと思っている。

 首を横に振り、続きを促す。


「私、ダメなんです」


 は?


「心の平静を保っていないと、すぐ慌てたりパニックになったりして……人に迷惑をかけてしまうんです」

「そう、なのか」

「はい、なので、人前ではちゃんとする為に、感情を抑制しています」


 感情の抑制。

 俺も幼い時に言われた言葉だ。

 弱いとはいえ、俺も超能力を持って産まれてしまった。

 もし感情のままに能力チカラを使えば、どんなコトになるのか分からない。

 現に妹は、その事で悩んでいるのだ。

 だからこそ俺は、なるべく他人と関わらない様に生きてきた。

 人様に迷惑は掛けたくないし、奇異の目なんて懲り懲りだ。


 もしかしたら、宮坂は俺と同じような境遇なのかも知れない。

 違うのは、俺は超能力で、宮坂は美貌びぼうということ。

 両方とも、願って手に入れた訳ではないのだ。


「中学生の時、友人がいなくなりました。笑いも泣きもしない私は、こわいと言われました」


 辛かっただろう。

 周りに誰もいない思春期に、何の意味があるのか。


「それ以来、勉強しかして来なかったんです」


 まあ、そうなっても不思議じゃない。失ったものの代わりに何かを求めることは、至極当然の欲求といえるだろう。


「高校生になって、新しい環境になって。それでも、私は独りです」


 鼻をすする音がした。

 宮坂は、俯いている。


「あのさ」

「……はい?」

「宮坂さんは無表情かも知れないが、無感情ではない。これは合ってるよな」

「はい」

「その抑制した感情を出せる相手は、いるのか」


 我ながら踏み込み過ぎだと思う。

 だが、ここまで聴かされて動かない程、俺の感情は枯れてはいない。

 本来なら、するべきことではない。過干渉だろう。


 けれど、だとすれば。


 何故目の前の少女は、俺にここまで話すのか。

 屋上で偶然助けたからか。

 草壁くさかべ先生にアドバイスでも貰ったのか。


 結果的な孤独は、俺の様な選んだ孤独とは違う。

 それに俺は、こいつの前で能力チカラを使った。

 使ってしまった。

 もしかすると俺の能力チカラに気づいていて、それも関係しているのかもしれない。


 理解、同情、疑念。

 頭の中に渦巻き始める。


「おかしいですよね、高望たかもちくんにこんな事を話すなんて……」


 聞いて欲しい時は、誰にだってある。

 今回たまたまその時にいたのが、俺だったのかもしれない。

 だが、聞いた以上はもう無理だ。

 過去に戻る能力チカラなんて無いし、記憶も消せはしない。


 つまり、何が言いたいんだよ、俺は。


「でも、高望たかもちくんに話したら、少し吹っ切れました。ありがとうございます」


 深々と頭を下げて、宮坂は顔を上げた。

 その宮坂は、綺麗で、儚げで。

 きっと宮坂は、細い細い道を、綱渡りの様に歩いて来たのだろう。


 ならば、バランサーが必要だろう。

 今みたいなガス抜きだって必要だ。

 だから、少しだけ手を差し出しても、いいよな。


「屋上」

「はい?」

「昼休みはだいたい屋上にいるから──」


 いるから?

 だから何だよ。察しろってか。

 自分で言ってて情けなくなる。

 コミュニケーション能力が不足しているのは解っている。

 が、解っているだけでは駄目、なのだろう。

 現状の打破には、それ相応の覚悟と努力が必要なのだ。

 成績を上げたければ勉強。

 早く走りたければトレーニング。

 至極シンプルで、唯一の方法だ。


高望たかもち、くん?」

「あ、いや、悪い」

「……屋上に、いるんですよね」

「あ、うん」

「なら、昼休みに屋上へ行けば、高望たかもちくんと会えるのですね」


 え。

 ちょ、ちょ、ちょ。

 今この子なんて言った?

 高望たかもちくんと、「会える」って言った?

 やだこの子ったら、意外と天然ビッチなのかしら。


「いいか、宮坂さん」

「なんでしょうか」

「あの、そういうことを気軽に言うとだな、男子は勘違いするぞ。特に宮坂さんみたいな可愛い女子に言われれば効果は抜群だ」


 注意すると、宮坂は呆気にとられていた。


「可愛い、ですか」

「ま、まあ一般の美的感覚から言えば、そうなる」

高望たかもちくんは、高望たかもちくんから見た私は、どうですか」


 言葉に詰まった。

 質問の意図は理解できるんだ。でも、正解が解らない。

 考えている間に、宮坂の顔が、少しずつ近づいてきて──


高望たかもちくんと、お話、したいです」


 ──視界が全部宮坂の綺麗な顔で埋め尽くされた。

 心臓が跳ねた。鼓動がドカドカと煩く響く。

 今日の授業の内容が、消し飛んだ。


「毎日、屋上で、お話しましょう!」


 宮坂は、俺を見つめてくる。

 外灯の光を浴びたブラウンの瞳が、水気を帯びていた。


「は、はい……わかりました」


 少しだけ仰け反りながらも、なるべく息を吹きかけないように、何とか返答する。

 大丈夫か俺の息。クサくないかな。

 だが、俺の心中を知らぬ宮坂は、さらに近づいてくる。

 超接近戦。

 思わず身体ごと後ろにずらして、ベンチの端まで距離を取る。


「約束、ですからね」


 その距離も、再び宮坂に詰められてしまう。


「わ、わかった、わかったから、ちょっと近いって……」

「え……はっ、はにゃああああ!」


 真っ赤になった至近距離の顔が、パッと離れる。

 てかまた「はにゃ」って言ったよこの子。

 ぴっくり、赤面、わたわた、涙目。

 宮坂の表情は目まぐるしく変化している。

 誰が無感情だよ。感情出過ぎだろ。

 などとツッコむ余裕など俺にある訳もなく、ただ、宮坂が落ち着くのを待った。


「大丈夫、か」

「はい。ご迷惑をおかけしました」


 俺と反対のベンチの端まで離れた宮坂は、綺麗な黒髪をくしくしと弄りながら俯いている。


「私、ダメなんですよ。冷静でいないと、すぐにオロオロわたわたしてしまって」


 うん、さっき聞いた。てか見ちゃったし。


「それで、普段は感情を抑えているのですが」


 それもさっき聞いたって。


高望たかもちくんには、もうバレてしまったし……」


 ん?


「だから、高望たかもちくんなら、を見せられるというか」


 は?


「だから、わ、私と!」

「は、はいっ」

「おともらちになってくらしゃいっ」


 ──噛んだよ。しかも盛大に。

 宮坂も自覚しているのか、涙目になっている。

 手が、心が、動く。

 仕方ないな。そう、これは仕方なくなんだ。

 俺は、くりんとした目を赤く腫らした宮坂へ、手を伸ばす。


「わかった。明日の昼休み、屋上でな」


 途端、宮坂の顔が崩れる。そして、ベンチの向こう端の宮坂も手を伸ばし。

 その指先は差し伸べた俺の手へと、控えめに触れた。


「私、はじめでおともらちをつくれましたぁ〜」


 幼児退行したように、宮坂は泣いた。

 落ち着いてから聞くと、自分から友達を作るのは初めての経験だったらしい。


 そして俺は、草壁くさかべ先生から貰ったばかりのノートに書こうと思う。


 本当の宮坂えりかは、誰よりも感情豊かだ、と。

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