2019年5月 45年前の想い

 30年と4か月に渡った,平成の時代が終わり新時代の幕開けの中で、街は華やいだ雰囲気に包まれていた。


 そんな中でマスコミを賑わらせ 芸能番組の注目を一身に集める小説が書店のメインコーナーに平積みされて、今年の最大のヒット作品になるであろうと多くの話題を提供していた。すでに映画化も決定し、夏の最大の話題作としてロードショー公開されることが報じられ 秋からはテレビでも連続ドラマとして制作されるであろうことが伝えられていた。


 学校での子ども達のいじめ問題を真正面からとらえた社会派の作品でありながら、主人公の少女が強く立ち向かっていくというストーリーは 人間関係に悩む学生や若者たちの心をつかみとり、前向きな生き方を伝え、少女を取り巻く友人たちの葛藤や 家族の支えの中で 自殺まで考えた少女が立ち直り、倒れ掛かっていた中から再生していく物語は読む人を感動の中に引き込む内容で、多くのファンを作り出して虜にするような物語だった。


 書店に平積みされた小説の題名は「秘密のメロディー」と記され、作者の名前には 『今井 律』と書かれていた。


 2000年代に入り、ラブストーリーの女王との異名をとる今井律の存在はテレビ界では絶大な人気を誇り、発表する作品はどれも大ヒット作となり、テレビ界や映画界においては無くてはならない作家のひとりとなっている人気作家だった。

 しかし、その作品の人気とは裏腹に マスコミの場に姿を現すことはまったく無く、神秘のベールに包まれた作家として有名だった。年齢や出身の経歴も不詳で、噂では海外に住んでいて、その作品の原稿はネットを通じて出版社に送られてきて 編集担当者さえも実際に出会った事はないとまで言われる様なミステリアスな人気作家だった。


「今井 律」という名前さえ 本名なのかペンネームなのかも明らかにされることは無く、不思議な存在だった。

 今回発表された最新作の「秘密のメロディー」は今井律という作家にとって 渾身の作品であるとうわさされて その原案の中には今井自身の体験が随所にまとめられてストーリーを構成しているとも言われていた。


 杉崎 旋は話題作の「秘密のメロディー」という本を 書店に平積みに並べられた中から1冊を手に取った。それは ベストセラーの作品だからという理由からではなく、旋の胸に沸き上がったどこかで懐かしい言葉の響きに吸い寄せられたかのようだった。


 今井律という話題の作家の名前はこれまでにも聞いたことはあったが、この作家の作品を書籍で読んだことはなかった。テレビドラマ化された番組は2~3度見たことはあったが、ラブストーリーに心が躍る年齢でもなくなった自分を感じていて 強い興味を抱かなかったことも今井律という作家との接触が無かった理由でもあった。

 ただ、今回発表された「秘密のメロディー」という題名には旋自身の遥かな若い頃の思い出と記憶の中で青春の1ページを作り出していたように感じた。


 中学から高校に通った時代 間違いなくこの「秘密のメロディー」という名前に心を熱くしたことがあった事を思い出した。


 ベストセラーの作品は、現代社会の中で、主人公の少女の身におきる学校でのいじめ事件の物語だったが、その進展の様子はどこかで旋自身が経験してきた物語の片隅を垣間見る様なストーリーの展開であるように感じられた。

 主人公の少女は 学校で起きたいじめ事件に対して スマートフォンでのSNSを通じて胸の思いを発信し、その中で友人たちにアドバイスをもらっていじめに立ち向かい 自分を取り戻していくと言う内容だったのだが、このSNSでの活用の仕方や言葉の発信は 旋自身がラジオの深夜放送の中で真剣に考え語りあった多くの葛藤と同じように思えてならなかった。


 旋は250ページほどの単行本の小説を一気に読み終えた後 インターネットの検索サイト googlaを使って作家の「今井 律」という名前に強い関心を抱いてその情報にアクセスしてみたのだが、さすがに話題の人気作家だけのことはあり その検索語句によるヒット数は膨大な数で、作品名での検索ヒット数もその人気を表していた。

 SNSの交流サイトのfaceNoteでも「今井 律」という名前の公式プライベートサイトのフォロワー数は1万人を優に超える人気ページでもあり、とても本人との生の交流などは不可能と思われる状況を見せていた。ただどのインターネットの情報サイトを見ても この「今井 律」という女流作家の実態はほとんど見える事はなく、神秘のベールの中に存在する様な人物像しか見えてこなかった。

SNSのプロフィール写真もイラストであらわされるだけで 写真は公開されてはおらず。 これまでマスコミの場に登場して素顔を見せることも無く 数多くの文学賞やテレビ、映画作品の受賞作品が公開されても本人が表に出てくることも無く 出版社やマネージメント会社の代理人が出てくることから、その実態はどこかのゴーストライターがこれまでの作品を手掛けて来ていて、「今井 律」という存在自体が架空の人物ではないかという分析さえも語られるほどだった。


 旋はこうした中で 「今井 律」という人気作家に対してコンタクトを取ることをあきらめ、今回のベストセラー作品の「秘密のメロディー」という言葉に触発された 一つの懐かしい言葉をfaceNoteの検索欄に打ち込んでみた。


「怪傑黒頭巾」と・・・・


 実名での登録が基本となっている交流サイトSNSのfaceNoteではニックネームでの登録は、企業名登録や特殊な法人登録でなければ難しいシステムとなっていたのだが、なぜかこの語句が1件だけヒットした。総フォロワー数と友達登録数は15名ほどで 決して注目を集めるようなページではなかったが、その中に(RITU IMAI)とローマ字で記されたページ管理者の名前が記されていることに驚きを隠すことが出来なかった。懐かしい怪傑黒頭巾というペンネームが存在していることと、そこにRITU IMAIという人物が出入りしていることに一層の驚きと胸のときめきが押し寄せてきた。


「秘密のメロディー」と「怪傑黒頭巾」 という二つのラジオネームがシンクロし、そこでは遥かな物語がつづられている様に感じられるものだった。

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