第32話 ハル
僕たちはほとんど無言のまま、テープを辿って祠のある階段のところに着くと、
「ちょっとここにいて」
と言い、ハルと繋いでいた手を解き、一人で階段を上がり、閉じておいた祠を内側から開けると僕は階段を下り、
「ハル、外はまぶしいから、少しここで目を慣らしてから出たほうがいい」
そう言うと、祠から下りてくる明かりに目を向けたハルの目は、その眩しさにも気づいていないようで、動きの見せないその瞳を見て、僕は熱くなる目頭を瞼を動かすことで冷ました。
しばらくそうしていてから、
「ハル、先に出て。祠の前を左に進むと少し広くなっているところがあるから、そこで話そう」
そう言うと、薄明かりで見えたハルは、どこを見ているのかわからない虚ろな目のまま頷き、機械的な運びで階段を上がり、祠を這い出た。同じように這い出た僕は、祠を閉めて祠の下にある出っ張った木の杭をいくらか操作して、鍵をして、ハルのところに行った。
明るいところで見たハルの姿は、腕や脚に洞窟の中で擦ったあとがあり、服も少し汚れていた。
ぼんやりと佇むハルの目は、何も映していないようで、胸が痛んだ。
「ハル、疲れただろ?座ろう」
明るいところで聞こえる僕の声に、ようやくこちらに目を向けたハルは、言われるがままそこに腰を下ろした。さんざん泣いたハルの顔は、少し腫れているようにも見え、痛々しかった。
「ハル、喉が渇いただろう?これ、麦茶だよ」
と、水筒の蓋に入れてやった麦茶を渡すと、こくりと頷いてそれを受け取ると、一気に飲み干した。
「ハル、もう一杯飲む?ゆっくり飲みなよ、たくさんあるから」
そう言って新しい麦茶を注いでやると、またこくりと頷いた。その動きは、なんだか壊れた人形のように見え、感情というものを洞窟の中へ置き去りにしてきてしまったんじゃないかと思い、ハルの心の中が目に見えないことが、つかめない霧のようにもどかしかった。
「ハ~ル、お腹も空いているだろ?昨日の給食から何も食べてないんじゃないか?」
僕は作った笑顔で努めて明るくそう言うと、ハルは変わらない表情の向こうで何かを見たようにハッとして、外に出てはじめてその焦点が僕のそれと合うと、外に出て初めて生気のある顔を見せ、「昨日?」と、首を傾げそう言った。
そのハルの表情を見て、僕は作り笑顔をしながら止めていた息をそっと鼻からゆっくりと吐き出した。
「そうだよ、ハルは昨日夜になっても帰ってこないって騒ぎになって、それで今朝になって、もしかしたらここじゃないかと思って探しにきたんだ。下じゃ今頃みんなまだハルを探しているよ。僕がハルがいないって聞いたのが夕方だったから、朝になるまで動けなかったんだ。ごめんよ、遅くなって」
「え……真生君、学校は?」
「ハル、今頃それ言うか?お前も今日、学校行ってないぞ」
「そっか、そうだよね」
「さあ、ハル、一緒に食べよう。僕も安心したらお腹空いちゃったよ」
そう言ってリュックから出したおにぎりの包みを二つハルの手に持たせ、僕も一つ取り出して食べ始めた。
「作ってきてくれたの?」
「ううん、僕じゃなくて母さんがね。僕、今日、頭が痛くて学校休んでいるから、母さんが仕事行く前におにぎり6個も作ってくれてあったんだ」
「えっ?真生君、頭が痛くて学校休んでるの?」
ハルが心配顔を僕の方に向けた。
僕は思わず手を胸の横で広げ、『止まれ』の合図をするようなポーズをとりながら
「いや、だから、そういう言い訳を考えて、休んだんだ」と言った。
「そっか、私を探すために嘘をついてくれたんだね。ごめんね、……ありがとう。いただきます」
そう言うと、ハルもおにぎりを食べ始めた。
「……昔、ここでこんなふうにハルの曾お祖母ちゃんの誠子さんと、僕の曾お祖父ちゃんの恵信さんも一緒におにぎりを食べたんだよね……」
「うん。2人はあの手紙にあったように、また一緒に食べられたかな?」
「ハル、今度またここで一緒におにぎり食べないか?あの2人がまた一緒に食べられたかどうかわからないけど、曾孫の僕たちがその約束を叶えてやるって、どう?」
「うん。それ、いいアイデアだね。私もずっと気になってたから。……じゃあ、その時は私がおにぎり作るね」
「ああ、頼むよ」
ようやくハルの顔から自然な笑みがこぼれた。
ハルが2つ目のおにぎりを食べ終えるのを待ち、麦茶を飲んで一息つくのを待ち、話を切り出した。
「ハル、見て」
僕は青空の向こうにある山の間に頭一つ飛び出している大きな山を指さした。
「富士山?」
「うん。大きな山だよね。これだけ離れていても見えるって、すごいね。……ハル、どうしてここに泉ちゃんがいると思ったの?それとも、ここにいること知ってたの?」
ハルは遠くの富士の山に目を向けたまま、どうして自分がここにきたのかを話し始めた。
その話は想像以上に衝撃的だった。
昨日の学校の帰りに千絵から話を聞いたハルが、いてもたってもいられなくなり、誰にも言えずに一人で泉を探しにここまできたんだと思うと、そんなハルがいじらしくて僕はたまらなくなった。
「ハル、誰にもここのこと言わないでいてくれたんだね」
「うん、だって、ここは誰にも知られたらいけない場所で、それなのに真生君は私に教えてくれた。だから私は誰にも絶対に言わないって、決めたから。それに……曾お祖母ちゃんと恵信さんの大切な場所だし……」
「ありがとう、ハル。じゃあ……この中のこと、昨日からのこと、全部忘れることはできる?」
「えっ……」
顔を上げ僕の目を見つめたハルの目を見つめ返し、僕は頷いた。
「泉ちゃんは?」
「泉ちゃんは、いつか僕がちゃんと迎えに行くよ。伯父さんにも話しておく」
「泉ちゃん、どこにいるのかわかるの?見つけられる?」
「わかるさ。……あのテープ、洞窟の先まで繋がってただろ?もう泉ちゃんが迷わないように、泉ちゃんの手に繋いできたから……」
僕が最後まで言うより前に、ハルの目からまた涙が溢れてきていた。
「千絵ちゃんは、泉ちゃんにたくさんいじめられていた。でも、やっぱり千絵ちゃんのしたことは……よくない。絶対にしちゃいけないことなのに、そこまで追い詰められてたこと、私もわからなかった……しかも、まるで私も泉ちゃんがいなくなったらいいって言ってたからそうしたみたいに言われて……私、私にも責任があるような気がして……」
「ううん、ハルは悪くないよ。こうして泉ちゃんを探しにきたじゃないか。それに誰だって嫌いな人がいて、その人がいなければいいって思ってしまうことだってあるさ。僕にだって嫌いなやつの一人や二人はいるさ。でも、だからって千絵ちゃんのしたことは許されないことだ。謝る相手がいなくなってしまったんだ。いつかきっと、それを悔やむときがくると思う」
僕は自分で言った言葉で、ハッとなった。
僕は、これまでの神主たちが書き残したものを目にした、あの時のことを思い出していた。
そうか……そういうことだったのかもしれない。
「ハル。そろそろ山を下りよう。みんな心配しているよ。僕も途中までは一緒に行くけど、ずっと一緒というのは、都合が悪い。ここにきたこと……ここのことを知られるわけにはいかないし、どうしようかな……そうだ、ハルは泉ちゃんが失踪して、去年僕が山で迷子になったことを思い出して、もしかしたら泉ちゃんもメロディーじゃなく山に行ったんじゃないかと思って、山に探しに来たんだ。で、去年の僕と同じように迷子になった。朝になって、太陽の位置を見ながら歩いてたら、知ってる道に出られたっていうことにするってことで、どう?」
「うん、わかった。真生君のことも内緒だね。真生君は頭痛で家で寝てなきゃいけないんだもんね」
そう言って、ハルは涙で濡れた顔に、やっと少しだけ出た笑みを僕に見せてくれた。
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